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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1221

2019/03/30

賢者の道〜Vol.1221「ヤコブの最期」2019-3-30
聖書:創世記49:29〜33

◎このメッセージでは、ヤコブの最期についてお話し致します。
創世記は長い書で50の章から成り立っています。彼の生涯の大半は
もがき続け、147歳まで生きました。

創世記49章ではこの世を去ることを見ます。人の生涯の価値と結果
がおもに決定されるのは最初の段階でなく最後の段階です。
ですからヤコブが最期にどのように振舞ったかは知る必要があり
ます。

主イエスを除けば最上の召天は、使徒パウロでした。彼はこう宣言
しています。

「わたし自身は既にいけにえとして献げられています。世を去る時
が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道
を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受ける
ばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに
授けてくださるのです」(テモテ4:6-8)。

何と卓越した去り方かと思います。彼には妻や子もなく、単純でした
が、ヤコブは子や妻がおり、多くのかかわり合いがありました。
4人の妻レア、ラケル、2人のそばめがおりました。

彼の恋した人はラケルでしたが、叔父のラバンに欺かれ姉のレアを
最初に与えられ、次にラケルを与えられました。

正式の妻は誰であったかのでしょうか?彼はアブラハムとサラ、
イサクとリベカが葬られているマクペラの洞窟にレアを葬り、
自分もそこに葬られることを望みましたから、レアが正式の妻で
あったと言えます。

しかし、愛するラケルのためにある按配をしました。それは創世記
48:7で、ラケルの悲しい死を記念したことを見ます。

彼は彼女の息子ヨセフに2倍の分け前を与えることで、彼女に対して
敬意を表しました(48:5-8,20,22)。

エフライムとマナセにした祝福はラケルを記念してしたことです。
ヨセフはヤコブの11番目の息子で、ラケルの最初の子で、12番目
の息子ベニヤミンもラケルから生まれた子でした。

その2人の子がヤコブの心の中で、ヤコブの長男ルベン、次男シメ
オンに置き換えられたのです。

ヤコブは言います、「今、わたしがエジプトのお前のところに来る前
に、エジプトの国で生まれたお前の2人の息子をわたしの子供にしたい。
エフライムとマナセは、ルベンやシメオンと同じように、わたしの子
となる」(48:5)。

それは、こういっているかのようです、「ヨセフよ、あなたの息子は
もはやあなたのためではない彼らは私のためであり、私はラケルのため
である」。

ヤコブが息子たちの間の長子の権は、たえず心にあったラケルを記念
するヤコブの願いを通して、ルベンからヨセフに移されたのです。
こうすることによってラケルを真の妻にしたのです。
この事例は、誠実な男女関係の真実を見ます。

ヤコブはラケルに出会ったその日から、恋し、生涯彼の心は変わり
ませんでした。この忠実さが神によって尊ばれました。

今日このような愛が失われつつあります。この死につつあった人
ヤコブが、愛した人を、40年前に死んだラケルを記念したことは
何と素晴らしいことであったでしょうか。

ヤコブの生涯を通して、彼は妻や子供たちの関わりのほかに、さまざま
な地理的領域ともかかわりました。彼はパダン・アラムへの旅をし、
後にカナンの地の戻りました。隠居の年になって、エジプトに移住し、
17年間そこに住み、地上で最も力のある王と関わりました。これが
彼の葬りにも見られます。

50章では、ヘブル人の葬儀であったにもかかわらず防腐処置をし
追悼の儀式は、エジプトの戦車や騎兵も加わりエジプト流の荘厳な
葬儀(アベル・ミツライム)を行った記録がみられます(50:11)。
これは栄誉に満ちて葬られたことを示します。

またヤコブは、死を「眠り」と考えることにより(47:30)、復活を
期待し、エジプトにではなく先祖が眠るカナンの地に葬られること
を息子ヨセフに命じました。

これで彼が信仰の人であったことが分かります。神が約束した良き地
がやがて子孫の分け前として、嗣業となることを信じたのです。
信仰と希望で満ちて世を去ろうとしたのです。

神にある望みのない人たちは葬りの事柄を無視しますが、復活の
希望を持つ者たちは、葬りのためのよい按配を示します。
それは栄光の姿で主にまみえることを期待するからです。

死は自然にやってきます。その時、私たちはヤコブがしたように、
ただそれを受け取りたいのです。

◎死ぬべき最期が来た時、 ヤコブは自分を癒す医者を求めたのでなく
ヨセフの手を腿の間に入れることを誓うことを求めました。これは
割礼の成就です。肉、天然の命が切り取られることです。
ヤコブが選ばれたのは神の恵みの契約が相続されるためでした。

しかし彼の生涯の大半は肉の妨げ、割礼の契約が支配しました。
そして肉の中でもがき続けました。自分の肉の力で神の約束を
受け継ごうとしました。

聖霊の管理など考えも及びませんでした。むしろ神と格闘さえした
のです。しかし、主が、ヤコブの腿に触れ、真の割礼をなしたので、
足をひきずるようになりました。

いまやもう一つの真の接触、肉の力が完全に終わらされ、動くこと
が出来なくなり、神の恵みに絶対的に信頼する時がきたのです。
それはヨセフによる腿への接触への求めでした。

これは神に信頼する、ゆだねることの表明です。これにより彼は
極みまで神に対処されました。
私たちは腿の力で歩き回り、自分を支えます。しかしこれが完全に
終わる時、力強い神の約束の成就となります。

ヤコブは息子ヨセフが自分との約束を誓うと 寝台の枕元で息子たち
1人1人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました
(47:31、ヘブライ11:21)。
神の恵みにゆだねたのです。神の霊に満ち、命の円熟したヤコブの
世を去る姿でした。

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