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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1219

2019/03/23

賢者の道〜Vol.1219「聖別されたナザレ人キリスト」2019-3-23
聖書:創世記49:22〜26

◎ヤコブ12人の息子たちの中でただ3人だけがキリストの予表でした。
それは、ユダ、ヨセフ、ベニヤミンです。ユダは罪に打ち勝つ勝利
の獅子なるキリスト、ヨセフは世の人を養うキリスト、ベニヤミン
は昇天し高く上げられたキリストの予表でした。

さらに、ヨセフとベニヤミンは、かつてヤコブが恋に陥り、心は
彼女に結び付けられたラケルから生まれたのです。

ヨセフという名は、創世記30:23、24で説明されていますが、
一つは「アーサフ」(アーレフ・サメフ・フェー)つまり動詞
「取り除く」に由来し、ラケルの長い間の恥を「取り除いた」
ことを意味します。

もう一つは、「イャーサフ」(ヨッド・サメフ・フェー)つまり
動詞「付け加える」に由来するわけで、後にもう一人の子ベニヤ
ミンが生まれることを予言しています。
つまり、ヨセフだけでは完全でなかたったので、ベニヤミンを
加えてヨセフが完成すると見たのでした。

ヨセフとベニヤミンは二人で一つです。またこのヨセフの名前は
49:22で「実を結ぶ若木」のように増殖・付け加えとして表現され
49:26では彼が、聖別され、取り除かれた、分離された者となる
よう暗示されています。

また申命記33:17では、ヨセフは力に満ちた雄牛に譬えられてい
ます。

雄牛としてヨセフには二本の角があり、それは息子のエフライム
とマナセを意味しますが、この二本の角をもって、ヨセフは地の
果てまで人々を突き刺し、邪悪なる者を突き倒し、狼に譬えら
れたベニヤミンのように噛み裂くのです。
高ぶりをずたずたに裂き、神に従順になるのです。

◎さてヨセフはヤコブの子であり、「実を結ぶ木の息子(ベン・
フォラート)、泉のほとりの実を結ぶ木の息子、その枝は垣根を
越える」(創世記49:22)とあります。

これにより「実を結ぶ木」がヤコブであることを知ります。
ヤコブに先立つ誰も十二人の息子を持ちませんでした。彼は
実に豊かな実を結んだのです。ヤコブはイサクの子であり、
イサクはアブラハムの子でした。

聖書では、神は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と
呼ばれています(出エジプト3:6、マタイ22:32)。
それは父なる神、子なる神、聖霊なる神を指し、三一の神の称号
です。

ヤコブは、聖霊の到来を表徴します。御父は御子の中におられ、
御子は十字架と復活を通して「命の霊」となられました。聖霊は
神から流れ出たようにヤコブは生み出す神である聖霊を表徴して
います。
神の具体化としてキリストはぶどうの木であり、実を生み出します
(ヨハネ15章)。

一方、旧約聖書ではキリストを「若枝」(エレミヤ23:5、ゼカリヤ
6:12)とも見ています。
ですからキリストが木であり枝であるように、ヨセフもまたヤコブ
の一部であり、聖霊の実そのものであったのです。

しかもヤコブが泉としての神の傍らで生活し、水を得て成長した
ように、ヨセフもまたこの水を得て大枝を張り、垣根を越える
象徴的な言葉で語っています(49:22)。

これはヤコブが垣根を越えて行動したことを意味します。
彼は良き地に制限されずに、垣根を越えて異教の国エジプトに行き
別の領域へと広がっていきました。

私たちの内側のキリストもまた制限されません。自由に枝を伸ばし、
すべての制限を越えます。例えば、家族の制限学校の制限、職場の
制限、国家の制限、教会の制限、反対者の拘束すら超えていきます。

◎そのヨセフに対して「弓を射る者たちは彼に敵意を抱き、矢を放ち、
追いかけてくる」(49:23)。
これはヨセフの苦難を言っています。彼の兄弟たちは、攻め、矢を
射るように攻撃してきました。

しかし、彼らはヨセフに勝ち得ませんでした。24節は言います。
「彼の弓はたるむことなく、彼の腕と手は素早く動き。ヤコブの
勇者の御手により、それによって、イスラエルの石となり牧者と
なった」。

それはヤコブを顧みる神によってイスラエルの牧者、石とされ、
ヨセフもまたこの全能者によって強くされ、祝福を受けたのでした。
この祝福はすべてキリストの嗣業でした。ヨセフはここでキリスト
を代表しています。御父のすべての祝福は、御子に与えられたのです。
このキリストは、「兄弟たちから選べれ、 聖別された方でした」
(49:26)。

「選ばれた」と訳された言葉ネジール(ヌン・ザイン・ヨッド・
レッシュ)は、「聖別された人」という意味もありますが、ナジル人
(民数記6章)という言葉でもあります。

ヨセフは、真のナジル人であって、すべての人から聖別され、
神の為に生きたキリストを予表しました。

ナジル人というのは、民族名ではなく「強い酒を飲まず、髪を
切らず、死者との接触を絶つことによって、神への誓いを果たす人」
のことです。

◎さて主イエスは幼少期ガリラヤのナザレという町に住み、そこで
育ちました。そこでイエスは「ナザレ人」と呼ばれました。
このナザレ移住が「彼はナザレの人と呼ばれる」との預言成就で
あったとマタイは記します(マタイ2:23)。

これは旧約聖書のどこからの引用なのかはっきりしません。しかし
これは新改訳聖書の脚注を見ますとイザヤ書11:1のメシヤ預言が
参考箇所として示されます。

そこでは「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根から
ひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる」とあります。
ダビデの父エッサイの名で呼ばれる株から新芽が生え、そこから
若枝が出るわけです。

「若枝」と訳された言葉は、ネツェル(ヌン・ツァディ・レシュ)
で、「子孫」の意味の他、「ナザレ人」を意味するノツリと同じ
綴りです。

ナザレは、ナゼラートと言い、キリスト教はナゼルートと言います。

このようにナジルとナザレの発音の近さからか、ヤコブのヨセフに
対する「ナジル人(聖別され人)となるように」との祝福を預言の
成就としてマタイ2:23で「若枝」と「ナジル」を結合させたようです。
ヨセフは、キリストを予表し、全祝福を頭に与えられました。
私たちも命の実を結ぶ若枝でありたいものです。

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