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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1216

2019/03/13

賢者の道〜Vol.1216「ダンの背教と祝福の回復」2019-3-13
聖書:創世記 49:16〜21節

◎申命記33:22は「ダンは獅子の子、バシャンの野から踊り出る」と
言います。

ユダの継続です。ユダは獅子であり、ダンは獅子の子だからです。
しかし獅子が獲物のために戦ったのに対し、獅子の子は、多くの
領地を得るために戦いました(ヨシュア19:47、士師18:27〜29)。

本来ダンの割り当てられた領地は、ユダ北西部の山地と海との間の
細長く、狭い土地であったが、士師記1:34から分かるように、彼ら
はアモリ人(ペリシテ人)に山地に追い込まれ、このため北上し、
ライシュに落ち着きました。

士師記18章でダン族はライシュと呼ばれる町(ヨシュア記では
レシェム)を占領しダンと名づけた後、ミカという男が造った
偶像を、ダンの聖所の中に置きました(士師18:30)。

その当時、神の神殿はエフライム山地のシロにありました。一方、
ダンの町には偶像が安置されていたのです。

ではどうしてこうなったのでしょうか?その霊的な意義を知らねば
なりません。

◎申命記によれば、神の民には唯一つの礼拝場所があるべきでした
(申命記12:11、13〜14、21、14:23〜26)。士師記の時代の中心的聖所
は、シロにありました。そこに、神殿があり、神の契約の箱があり、
祭司たちがおりました。

ダンは勝利を得ましたが、この勝利が彼を独善的にしました。キリスト
を獲得することですら独善的になると、高ぶらせることができます。
霊的な高ぶりです。そして他の人に服従しません。

ダンは勝利の後に新しい聖所を設立しました。これをダンの背教と
言えます。

創世記3章の《蛇》が、再び士師記18章で現れ、こうして獅子の子
ダンは《蛇》になったのです。創世記49:17はこう言います。
「ダンは、道端の蛇、小道のほとりに潜む蝮。馬のかかとをかむと
乗り手はあおむけに落ちる」。

これは創世記3章の蛇より悪く、毒をもつ蝮だからです。

これは神の礼拝の事柄を用いて分裂を設ける口実としたのです。
申命記12章、14章、15章、16章で、主はモーセを通してイスラエル
の子たちに繰り返し焼く尽くす献げ物を《自分の好む場所でささげ
てなならない》ことを命じられました。

これをモーセを通して神が言わせたのは、神の民の間に分裂がなく、
一つであるためでした。

◎創世記49章は預言ですが、今日この預言の成就を多く見ます。
霊的偶像とかってな聖所の設置により、そのダンの高ぶりは獅子の子
から蝮になったのを見ます。

この蛇は馬のかかとをかんで、乗る者を後ろに落としたのです。
これはその蛇が大きな妨害となって、人々の前進を阻んだことを
意味します。

ここで、ヤコブは、「主よ、わたしはあなたの救いを待ち望む」と
言います(18節)。それは、主よ、ダンから、偶像から、別の聖所
から救って下さい、との訴えをこめ主の御名を呼び求めています。

歴史を通じて多くの人々が偶像を設けて挫折しました。多くの馬の
かかとがかまれ多くの乗り手が、あおむけに落とされました。
偶像の背後には、邪悪な霊がいます。ダンはサタンとなったのです。
しかしヤコブは自分の息子の部族の一つが立たれるのを忍びなく、
愛の心から予言的に祝福しました。

こういうわけでヤコブは、ダンはなおも部族であって「自分の民を
裁く」(19節)と言ったのです。それはダン部族出身であるサムソン
において部分的に成就されました(士師記13:2、24、15:20)

またこのダン部族は歴代誌上2章から9章で、神の民の記録から除かれ
ました。歴代誌上2:2ではダンの名は見られますが、続く記録から
は除かれました。

更にヨハネ黙示録7章の記録では除かれています。《勝利を得る者の
名は決して命の書から消されることがない》と告げられています
(黙示録3:5)。これは敗北した信者たちは、命の書から名が消さ
れることを暗示してます。

ダン部族は堕落し、神の敵となり、蛇になり神の民につまずきを
もたらしたので、滅びはしませんが、歴代誌上と黙示録の記録から
除かれたのです。

◎ダンの背教は、分裂の聖所を設けたことです。勝手に祭司を雇い、
自分たちのために《彫像》を立てました。背教の源は、彼らの兄弟
たちを顧みないことでした。

そこには競い合いが生じます。便利であると言う理由だけで聖所を
変わることは許されません。兄弟間の分裂を引き起こすことがあって
はならないからです。

今日、多くの教会でも競い合いが見られます。罪深いものです。
その後、シロからエルサレムにソロモンが建てた神殿が移されて
からも、北イスラエルのヤロブアム王は偶像をダンに置いて、
エルサレムと競い合いました(列王上12:26〜31)。

もし民がエルサレム神殿に礼拝に行くなら、彼らは自分を殺して、
ユダのレハブアム王のもとに戻ってしまうことを恐れたからです
(列王上12:27)。

そして金の子牛の偶像をダンに安置したのでした。このように教会の
競い合いが、教派の競い合いを激化します。

背教とは、三一神に従う正しい路線からの逸脱を意味します。
「金の子牛」を神だと主張する宗教はいつの時代でもあります。
しかしそれは神ではありませんでした。ダンは他の部族を顧みません
でした。

勝利し、拡大し、自分のためだけ何かを行いました。自分のためだけ
何かを行いときいつでも、蛇が間近にいます。

背教に落ち込まない最上の道は、他の人を顧みることです。
また、救われていない人が雇われて《祭司》となるのも背教です。
しかし、すべての真の信者は《祭司》とされているのです(ペトロ
2:9、黙示録1:6、5:10)。

ユダの勝利は、ダンの背教によって失われましたが、ガドがそれを取り
返し、拡大し、回復しました(49:19)。ガドは子獅子を生み出す雌獅子
で(申命記33:20)、実にヤコブの祈りの答えでした。

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