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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1200

2019/01/10

賢者の道〜Vol.1200「神の民の交際術」2019-1-10
聖書:マタイ福音書7章1〜12節

◎神の民の交際の原則について学びます。ここでの主の意図は、私達が
自分を忘れて人を顧みるように励ます事です。

私たちの天然の命においては人を顧みないのですが、復活の命において
そうではありません。天然の命の私たちの思いと考えは、自分自身で
凝り固まっており自己中心的で、決して人のこと考えません。

しかし、神の民として私たちは何をするにしても必ず人のことを思わ
なければなりません。

1.人を裁くな  
人を批判したり裁いたりする時、人のことを考え、顧みるなら、
その人のことを同情してあらさがしをしたり、批評したり、裁い
たりできなくなります。

1節で「人を裁くな」とありますが、これはファリサイ人の最悪の
欠点でした。この原語クリノーには「判断する」の意味があり、
「論断・判断するな」とも訳せます。

神の民は、へりくだった霊の中で生き、自分を論断しても、人を
論断しない、なぜなら主イエスはもし私たちがそうすれば必ず
その人も論断されるからだと言います。

自分が正しいと考える基準で人を裁くなら、主もまた主が正しいと
考える基準であなたを裁くというのです。

ヤコブの手紙では「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない
裁きが下されます。憐れみは裁きに打ち勝つのです」(2:13)
と告げています。

同じように、「あなた方は自分の量る秤で量り与えられる」(2節)
のです。つまり、人との交際において、量らず、裁かず、批判せず、
むしろ、人に同情し、憐れみ、顧みるようにすることを意味します。

量る事は憐れみではなく、憐れみは量ることをしません。
私たちが憐れみなく人を量るなら、人もまた憐れみなく私たちを
量ることとなるのです。むしろ人と交際する時、相手の事を考慮し、
同情し、憐れみ、顧みて、批評し、裁き、論断しなければなりま
せん。

こうすれば必ず神の憐れみを豊かに得ることでしょう。

また神の民は兄弟にあるおが屑(原語ではカルフォス「微小な木片、
ちり」の意味もある)が見るなら、自分の目のなかにある丸太
(原語ではドコース「木の横材、ログ、梁、桁」の意味もある)
に気づかなければならないのだ、と教えます。

イエスはちょっと誇張的な表現を使っていますが、忘れさせまいと
する意欲を感じるもので健全な教育原理を用いています。
愛の欠如は、つねに視覚を弱めぼやけて物事が見え、はっきり見え
ないのですから、的外れの事を言い出すのです。

イエスが言わんとしたことは、この批判的な態度を改めない限り、
人を助けることなどできないし、神の民にもなれないぞ、と教え
たのです。

私たちは自分の事はそのままにしておいて、人のことをとやかく
言いがちです。自分には何もよいものがないのですから、ひたすら
主を求めて御霊をいただき真理のみことばを頂かねばなりません。

ユダヤ社会では犬や豚は穢れた動物と見られていました(レビ11:27、
7)が、ここでは宗教的ではあるが清さに欠けるファリサイ派の人々を
指し、「聖なるもの」であるみことばや「あなたの真珠」(マルガ
リーテス ヒュモーン)である主観的経験的知識をもって彼らを諌め
ようなどとするな、もしそんなことをすれば向き直って、あなたを
かみつくことになるからと教えるのです。

2.神を見つめつつ人と交際せよ 
人と接触する際は、主を見つめつつ「主よ、どのようにこれらの
人と接触すべきか教えてください」と祈り(求め)、嘆願し(捜し)、
さらに熱心に要求(門を叩く)しなければなりません。

これは人との交際は厳粛な事柄であることを示しています。
軽く、曖昧な方法で、あるいは自分の感覚に従って行うべきではなく、
道を求め、捜し、門を叩かねばならないからです。

そうすれば正しい道を持つでしょう。人と交際するには天の国の
原則に従うことです。

イエスはパンと魚(ルカ11章では魚と卵)を求める子どもの例を
用いた後、弟子たちに天の父は、「良い物」(平行句のルカ11:13
では「聖霊」に変っている)を与えてくれるであろう、と言う。

ここで神の民が人と交際し、接触する最上の道は、復活の主の命で
ある聖霊に従う事であることが分かります。
私たちは常に神を見つめつつ歩む時、聖霊の導きを受けます。

主によって命をもたらす霊の法則にしたがって肉の支配を離れて人
と交際するのです(ロマ8:2〜8)。そのとき、求め、捜し、門を
叩くなら、必要な導きを受け、私たちの前に道が敷かれ、どのよう
な人と交際すべきか、接触してはいけない人は誰かも知らされます。

最後に、イエスはこう言われます。「だから、人にしてもらいたい
と思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と
預言者である」(マタイ7:12)。

新しい律法に従って人を取り扱う時、律法と預言者を満たし、
補足さえします。

◎「人にされたくない事を、人にはするな」と否定的に言う人もいま
すが、「人にしてもらいたいことを、人にせよ」とイエスは積極的
な交際術を推奨しています。

これは神に接するように人と接せよというのではないでしょうか。
神の喜ばれる事をなすことが人に接する道です。

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