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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1192

2018/12/08

賢者の道〜Vol.1192「キリスト降誕」2018-12-8
聖書:使徒10章36〜44節

■神がイエス・キリストによって この方こそ、すべての人の主です
平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、
あなたがたはご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後に、ガリ
ラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。

つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊と力によってこの方
を油注がれた者となさいました。イエスは、方々を巡り歩いて人々を
助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、
それは、神が御一緒だったからです。

私たちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでな
さったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してし
まいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現し
てくださいました。

しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、
つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をした私たち
に対してです。

そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者として
神から定められた者であることを、民に宣べ伝え、力強く証しする
ようにと、私たちにお命じになりました。また預言者も皆、イエス
について、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが
受けられる、と証ししています。」

ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いて
いる一同の上に聖霊が降った。
 
◎ペトロは神の幻の中でイタリア隊の百人隊長コルネリウスの所を
訪問するように命じられ、即座にそれに応じました。

異邦人への救いは、アブラハムに福音として宣べ伝えられた神の約束
「あなた(アブラハム)のゆえに異邦人は皆祝福される」(ガラテヤ
3・8)つまり「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」
(創13・3)という約束が、彼の子孫であるイエスの誕生によって
成就することによってもたらされたのでした(ガラテヤ3・14)。

そればかりか救い主イエスの誕生は、私達に約束された聖霊を信仰に
よって受けるためでもあったのです。コルネリウスを訪ねたペトロに、
彼は「主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の
前にいるのです」と告げます。

「神の前にまかり出る」とは尋常でない信仰態度が伺えます。神に
聞くような思いでペトロの言葉を聴きたいと言うのですから、ただ
ならぬ信仰です。聞く人は地位の高い人で、話す人は地位も無く、
教養も無い人なのですから、神の霊が働かなければこのような態度は
生まれなかったでありましょう。

集会は聖書研究会でも、礼拝でも、讃美集会でも神に触れる思いで
参加するならば驚くべきことが起こるのはいうまでもありません。

ペトロの方はどうかといえば、神の霊が幻の中で「ためらわないで
行け」と言われただけで、何を語るべきかは示されていませんで
した。そのペトロが語った内容は、幻で示されたことでした。

それは、「どんな人をも清くないとか、穢れている者とか言っては
ならない」ということでした。

◎ペトロは説教で、まず次の3つを前提にして語ります。
第1は、自分の語る言葉はイスラエルに委ねられた「みことば」。
第2は、イエス様によって「起こった(成就した)出来事」、
第3は、「すべての人の主」である「ナザレのイエス」です。
これら3つの知識は、1つの知識です。

ここから主イエスを知ることが、「みことば」の知識を持つことで
あり、主イエスを信じることが、彼によって起こされ、成し遂げら
れた「事柄」を信じることと同じであることを知るのです。

ですから、イエス様についての「みことば」の説明・教理なしに、
主イエスを信頼することは出来ないのです。信頼できなければ、
イエス様のなした出来事(癒しや十字架の業)を信じることができ
ないでしょう。

そればかりか主イエスは、預言者と祭司と王としての職務を果た
されたのでした。

預言者の職務は、「みことば」の取次ぎ、神のことを教えたという
ことです。祭司の職務として、人々を助け、悩める者をあわれみ、
悪霊にとりつかれ破壊された人格を回復し、病を癒し、罪の赦し
を与えたのでした。

そして主イエスは王の職務も果たしました。力を持って敵を撃退し
統御してくださる王です。そして生者と死者との裁き主です。
預言者、祭司、王は油を注がれて任命されましたが、まさにキリスト
とは「油注がれた者」という意味なのです。

「油」は使命を果たすための聖霊の力の象徴ですが、神は主イエスに
「聖霊と力」を注ぎ「油注がれた者」となったのです。しかし、
「人々はイエスを木にかけて殺してしまいました」(38節)。

彼は罪無き方で善い業をなした方でしたが、他人ののろい、罪を引き
受け身代わりとなったのです。普通の刑法では身代わりは認められま
せんが、これを神は満足して、神から私たちへの償いを求めることは
ない確証が与えられたのです。

それがイエスの復活です。これにより彼は預言者として死後の生命
を示し、王として死を克服し、祭司として罪の償いとゆるしを勝ち
取って下さったのです。

◎では私たちは、救われる為に何をしたらよいのでしょうか。
それは、イエスを信ずることである、とペトロは、43節で教えます。
クリスマスは、このすばらしい救いの訪れです。キリストの降誕は
同時に聖霊と力の降臨です。

この恵みを受け、肉体的癒し、経済的癒しを実現する為に、ペトロは
「イエスの名によって洗礼を受けよ」と命じます。信仰を持って洗礼
を受け、聖餐に与りましょう。

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