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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1170

2018/09/22

賢者の道〜Vol.1170「正常からの逸脱」2018-9-22
聖書:マタイ福音書 8章1〜17節

◎イエスは「山上の垂訓」と呼ばれる話を終え山を下ると大勢の群衆
が従った、とマタイ福音書にはあります。

「1人のらい病人」がやって来た記事があります。他の福音書では、
山上の垂訓の前で見ます。これはマタイ福音書が年代的順序よりも
教理的順序だからです。

「らい病人の穢れ(不正常な穢れ)からのいやし」(ユダヤ人)、
「百人隊長の僕の中風(不正常な無力さ)からのいやし」(異邦人)、
「ペトロのしゅうとめの熱病(不正常な力)からのいやし」(将来
のユダヤ人)、「多くの病人の悪霊(不正常な霊性)からのいやし」
(すべての人)が、天の国を中心として主のいやしの務めが描かれ
ています。

年代的順序では、ペトロのしゅうとめのいやし、らい病人のいやし、
百人隊長の僕のいやし、多くの病人のいやしです。

主が権威をもってこの務めをなした目的は、彼らが霊的ないやしを
得て、正常に回復され、天の国の民となり、神の豊かさと祝福を
享受することにありました。

◎病は罪の結果であり、人が罪を犯したゆえに、神の御前での不正常
の状態のしるしと聖書では見ています。

王なる救い主に救われ天の国の民となった人々の第1の部類は、
「らい病人」で代表されています。

ミリアムは神の代表権威に逆らい、その為らい病になり(民12:1〜10)、
ナアマン将軍は、従順のゆえに清められました(列下5:1、9〜14)。

堕落した人はその反逆のために神の目に「らい病」となっているの
です。イエスを見つけたらい病人は、近づき、「ひれ伏し」イエスを
「主よ」と呼びました。イエスを主なる神であると認識したのです。

人々から隔離され、触れる事が許されていなかった、その人にイエス
は手をさしのべ、触れられました。するといやされたのです。

ユダヤ人はすべてらい病人のように穢れた者となりました。
みな罪を犯し、恵みを受けたのはわずかのレムナント(残りの者)
だけでした。

更にイエスの権威の使い方は最後まで面倒を見る、至れり尽くせり
のもので、いやされた後、祭司にからだを見せ、健康となった証明
をもらい、社会復帰するまでいざこざに巻きこまれないように指示
を与えています。

◎罪は、人を穢すだけでなく、無力にします。
百人隊長の僕は異邦人でした。異邦人はその罪深さのために中風
の状態、すなわち機能が麻痺した状態にありました。

救い主はまずユダヤ人に来られ、それから異邦人に来られました。
百人隊長の僕がいやされたのは、遠く離れた所から言葉を語られた
からです。僕は主イエスを見ていませんでした。

これは、異邦人が主の言葉への信仰を通して救われることを表して
います。私たちのために立てられた定めです。

みことばにいやす権威があることを認識するなら、いやされると
いうことです。「ただお言葉をください」と願う強い信仰が求め
られるのです。

11節は、異邦人でも天の国の一員になれることを示しています。
こうしてしもべはいやされました。

しかし、良い種で救われたユダヤ人であっても狭い門を入り、細い道
を歩く強い信仰がない者たちは、天の国が出現しても輝く栄光の場に
立つ事ができず、外の暗闇に放り出されるというのです(12節)。

◎ペトロは、主イエスと親密な関係を持っていました。
これは異邦人が救いを受けた後、アブラハムとダビデのゆえに、
主が再びイスラエルに対して恵み深くなることを見せています。

しゅうとめは、この時代の終わりに、救い主を受け入れて救われる
ユダヤ人を代表しています。しゅうとめの「熱病」は、災難の中に
ある状態で、自分の力を使って神の権威を覆そうとする神に従わ
ない肉の力を示しています。

サタンがサタンであるのは、神の権威を覆したいからです。神の
権威に服従しないだけでなく、人々をかき立てて神に反逆させ
ようとします。

「民主的」とか「平等」を叫び人道的精神を尊ぶよう訴えます。
しかしキリストは権威をもって反対します。救い主は異邦人の救いが
満ちた後、ユダヤ人のレムナントが救われるように戻ってきます。

こうしてペトロの家で救われたように、イスラエルの家(「親密さ」
の表徴)ですべてのレムナントは主イエスの直接の接触によって救わ
れます。

クリスチャンは今日、自分の都合を第1にする姿勢でなく、すなおに
喜んで神の権威の下に服従する事を学びましょう。そうでないと
いつになってもいやされないばかりか、悪霊に取り憑かれる事に
なります。

◎「夕方になると、人々は悪霊に取り憑かれた者を大勢連れて来た」
(マタイ福音書8;16)のです。「夕方」とは、旧天旧地の最後の時代
と考えられます。この時代、すべての悪霊に憑かれた人々をいやす力
がみなぎり、希望が与えられます。

もちろんこのようないやしの力は、主イエスの十字架の贖いに基づく
ものだと記者マタイは説明しています(マタイ福音書8:17)。
このいやしの実例は、イザヤの預言どおり「彼は(イエス)は私達の
患いを負い、私たちの病を担った」ことにより成就したのだと言い
ました。

以上のいやしは、来るべき新天新地の味見、縮図なのです。

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発行:ファイアサイド  
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