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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1169

2018/09/19

賢者の道〜Vol.1169「聖別の油と新しい霊」2018-9-19
聖書:ヨハネ福音書7章38節

◎神は、キリストの命の霊である聖霊を教会にゆだねられました。
それは教会が聖霊の生ける川が流れ出る最も内なる所となること
です。

主イエスが言うには「私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、
その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」
(ヨハネ福音書7:38)と言うのです。

教会の内にある聖霊を信じる私たちは、まさにその聖霊を宿す者と
して教会を構成しています。私たちの内なる人の霊は、聖霊の器と
して聖霊の管理の下に置かれます。

旧約聖書の予表は明確で、ノアが放った鳩は、旧創造の上には舞い
降りず、新創造の上にしか舞い降りませんでした(創世記8:6〜12)。

私たちの全存在のうち、霊だけが新創造に属します。魂(思い・
感情・意志)や体は旧創造に属します。ですから、聖霊は私たちの
内なる霊の上にしかとどまることができないのです。

肉なるもののどの部分も聖霊を内容とすることはできません。
人の霊だけが、聖霊を内容とすることができます。

エゼキエル36:26では、もっと明確です。「私はお前たちに新しい
心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く」。その「新しい心」は、
私たちの内なる霊ですが、「新しい霊」は、聖霊を指します。

もし私たちが、自分の内に新しい心を持っていないなら、私たちは
決して神の霊を持つことはできません。私たちが神の霊を持つため
には、私たちが新しい心を持たなければなりません。

それは、内なる人の霊が、新しくされるために特別な神の油注ぎを
受けねばならないのです。旧創造の肉や魂に聖別の油を注ぐことは
許されていないのです。

内なる霊が聖別され、祝福され、押し出され、聖霊と共に解き放た
れることが必要です。聖別の油には何の問題もありません。問題は
器にあります。

◎今日、聖霊の働き、流れに対する責務は、教会にあります。
そして教会の権威はマタイ18:18によると私たちに委ねられて
います。

「あなた方が地上で繋ぐことは、天上でも繋がれ、あなた方が
地上で解くことは、天上でも解かれる」のです。
またヨハネ20:23では、罪を赦す権威すら私たちに与えられて
います。これは私たちが聖霊を受けているからです。

これは聖霊が奉仕者に縛られていることを意味します。もし奉仕者
が失敗するなら聖霊は前進しないのです。奉仕者の霊が解き放たれ
なければ、聖霊が解き放たれません。

奉仕者の霊が解き放たれると、聖霊、力、命、光が解放され、周囲に
いる人に及びます。ですから奉仕者はドアから人を押し出すように、
自分の霊を押し出さなければなりません。

圧倒されるように光を押し出すのです。打ち倒すように命を注ぐの
です。

◎人がどれだけ霊を解き放つかは、2つのことにかかっています。
それは喜んでする気持と、霊の圧迫の量です。

圧迫が強くなれば霊の爆発的に出てくるのを感じます。ある人と
話をしていると無知で暗闇におり、受け入れがたいある種の圧迫を
感じる場合があります。

神の圧迫が内側で強まるに従い、私たちはいらつき怒り出すでしょう。
我慢できなくなるのです。そして口を開きだすのです。言葉は爆発す
るように出てきます。これは霊が強くでてきているのです。

このように圧迫されると霊が強く出てきます。もちろん私たちは
喜んでする気持がなければ何も起こりません。

霊の圧迫はいらいらしたり、悩まされたり、我慢できない時、
叱責の場合だけではありませんが、霊が勢いよく出てくると人が
倒されることもあります。

◎最後に、どういう種類の霊を持っているかによって、聖霊の表現が
変わります。聖霊の現れは人によって異なります。パウロもペテロも
同じ聖霊を担いましたが、彼らの持ち味と特徴を聖霊は運びました。

聖霊は単独で働くのでなく、必ず私たちの性質を伴って出て行きます。
聖霊は人と共に流れ出るのです。ですから私たちの肉の働きについて
敏感でなければならないのです。

霊の働きが活発化するには、肉の働きが押さえられる必要があり
ます。

確かに私たちは主の御前で汚れた器であり、完璧ではありません。
ですからお取り扱いが必要となってきます。純化された霊が望まれ
ます。私たちの言葉は10年前と同じでも内なる霊は違います。

◎どのような霊によって語っているのか、その霊的レベルを知って
いなければならないわけです。

語るときは、どんな種類の霊を運ぶのかが問われるのです。雄弁で
あるかどうかより、純粋で混ざりけなく、人を生かす霊であるかが
問われるのです。

この時代、神は教会を通して人を祝福します。ですから教会は重い
責任があります。肉の混合を離れ、聖別された器となるよう教会を
高めていかなければなりません。それは私たちの潔めによります。

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発行:ファイアサイド  
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