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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1166

2018/09/08

賢者の道〜Vol.1166「最大の関心事は何か」2018-9-8
聖書:マタイ福音書6章19〜34節

◎神の御心にかなうような信仰生活をしなければなりませんが、
それを煎じ詰めて言うと、財物の取り扱い方についての心得です。
それはマタイ福音書6:20の言葉のように、天に宝を積むことになります。
ちょうど銀行に預金をするように、神の前に宝を積んでいく事です。

ところが神に対する理解のない人は、できるだけ神にささげ、
天に宝を積む事は少ないほうがよいという思いが働いています。
これが自分にとって一番大切な事だとは考えていないからです。

では皆さんの最大の関心事はいったい何でしょうか?
天の国の民となること、神の子とせられること、神のよって義と
されることが一番大事でしょうか、

それとも地上の宝のほうが大事だと思っているのでしょうか、
このことをイエスははっきり示せと弟子たちに語ったのです。

◎イエスは、セーサウロス(「宝」「富」財物)の意)を地上にでは
なく、天に蓄えなさい、と命じています。
天にまで携えていけないものの為にあまり熱心になるべきではあり
ません。死んだらもう終わりというものの為に熱心になっても意味
がないからです。

宝とは、金銭だけでなく、衣服、食物、私たちにとって貴重なもの
を含みます。天に宝を積むとは、この宝を貧しい人の為に与える
こと(マタ19:21)、困窮している聖徒たちや、主のしもべたちを
顧みる事です(使徒2:45、4:34、フィリピ4:16)。

地上にいくら蓄えても、虫が衣服や食料を食い尽くすように、
しみやさびが食い尽くし、盗人が金銭を盗んでいきます。

ですから、天に宝を積むなら、必要な時に神に行って、請うので
なく、引き出す事ができます。地上の銀行から天上の銀行に変え
るのです。

宝が手に置かれている時、心もそこにあります。自分の宝を人に
分配する事によって、心を天に向ける必要があります。
宝がまず先に行かなければ心がついては行きません。
「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」
(マタ6:21)とイエスは教えます。

「目が澄んでいれば、あなたの全身は明るい」(マタ6:22)
と言います。

「澄んでいる」と訳された「アポリュース」とは、「単一な
(心が1つである、1つのものに集中している)、純一な、一途な、
健全な」の意味です。

目がただ1つのものに焦点を合わせるなら、私たちの視力はぼやけず、
単一で体全体は明るくなります。

地上と天の両側に少しずつ蓄えようとする信者は、内側に平安は
ありません。それは、焦点がぼけているため霊的視力が失われて
いるからです。

私たちは単一な目を持とうとするなら、天に宝を積まなければなら
ないのです。

目が単一でなく、心が二つの場所に分かれていれば、光がなくなる
のです。はっきりと見たいと願っている人はおりますか。その人は、
光を持つことです。光に満ちるとは、霊的なビジョン、霊的な視力、
正確に見る事のできる展望です。

こうして人は何が十字架の道であるのかを見る事ができるのです。
「誰も、2人の主人に仕えることはできません・・・神と富
(マモーナス・アラム語のマモンで「富、財宝」の意だがここでは
擬人化している)に仕えることはできない」(マタ6:24)と主は
言われましたが、多くの信者たちはそれが可能であるかのように
考えています。

愛の力には制限があります。余り重要でない事に関わりすぎると、
重要な事がやってきた時、力が出せなくなります。

愛をマモンに費やすなら、愛は使い尽くされ、金銭的に困った人を
助けたり、親切にするために愛が消耗してしまい、なしえなくなり
ます。

ここで神に対立する宝(マモン)は、神の敵であり、神の民の奉仕
を奪う者である事を示しています。

2.最終の目的 
私たちはいつか神の前に立たねばなりません。そのとき価値あるもの
を携えて立つ事ができるでしょうか。

神の子という稲穂をどのくらい携えて立つことができるでしょうか。
そのことを最終の目的としなければなりません。では私たちの人生
の旅をする中で、最終の目的は何でしょうか。

それが、「神の国と神の義とを求める」(マタ6:33)ことが私たちの
最大の関心事であることをしっかりとわきまえて信仰生活を律して
いかなければなりません。

「人間にはただ一度死ぬ事と、その後裁きを受けることが定まって
いる」(ヘブ9:27)ことを信じるからです。

今日、多くの人はギリシャ哲学の世界観になれて、世界の終わりを
信じず、いつまでも時が続くと思っています。ところが、いつか
世界が終わりになると聖書にははっきりと書いてあります。
これを信じるところにキリスト教信仰があります。

終わりの時に、それぞれの行ってきたわざに従って報いを受ける
のです。

3.私たちの最終の目標は、神の国と神の義を求めることです。
神の国とは、神の支配であり、私たちを赦すために、御自身が身代
わりとなって愛を示された贖罪愛、十字架愛を信じる者たちの立つ
ところで、衣食住のことで「思い煩い」をやめて、神を信じ、ゆだねる
もの達の住む所なのです。

「明日のことを思い煩ってはならない」(マタ6:34)のです。

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