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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1164

2018/09/01

賢者の道〜Vol.1164「神の民の施し・祈り・断食」2018-9-1
聖書:マタイ福音書6章1〜18節

◎この世の人は栄光を求め人の前で良い行いをして、人の賞賛を
得ようとします。しかし、神の民はそうあってはならない、むしろ
神を喜ばすために霊の中ですべての事を行うように勧められています。

イエスは3つの事例の中で「隠れた事」という言葉を繰り返し使って
います。私たちは自分の義なる行いを隠れてなしなさい、それは神が
隠れて見ておられるからだと言います。

どんなに人に知られていないようでも、神は見ており、知っておら
れると言うのです。ではどのように義なるを行いについて述べてい
るのか、見る事にしましょう。

◎「人にほめられようと、人前で善行をみせびらかさないようにしな
さい。・・・人に親切をしたり、施しをするときは右の手のするこ
とを左の手に知らせないように気遣って、こっそりとしなさい。
そうすれば、隠れたことはどんな小さなことでもご存知の天の父
から必ず褒美がいただけます」とイエスは言います。

人になしている事を見せびらかし誇るのでなくできる限り自分を隠し、
自分を覆い、隠れて善行をなしなさいと教えています。
これは、中国の教えの「陰徳陽報」(陰徳あれば必ず陽報あり)
と同じです。人知れず善行を積んだ人には、よい報いが目に見え
て現れる、という意味です。

それは、天の父なる神から褒美を得るためです。人に認めてもらったら、
この地上で既に褒美を得てしまうので、主から与えられる必要がなく
なります。

◎施しや親切と同じように、祈りも見せびらかしてはならないと
イエスは教えています。「祈る時は、人の見ている大通りや会堂で、
さも信心深そうに祈って見せる偽善者のように祈ってはいけません」。

「偽善者」とは、原文の語根では、演技をする者です。演技者は
人前で賞賛を得るために巧みに演技します。自分の欠点、短所を
隠して人の賞賛を得ることを目的に演じます。

ところが恵みで満たされた者は、美点や長所を隠し、人からの
賞賛でなく、神からの褒美を期待します。

クリスチャンも信仰の初めの事は自分の欠点・短所を隠したがり
ます。ところが次第に肉の人から霊の人に変えられていくにつれ
自分の欠点・短所を人前に見せだします。
それは、ますます造り変えられ、欠点や・短所が取り除かれる
からです。

また、「祈る時は一人で部屋に閉じこもり祈りなさい」と教えてい
ます。

イエスは安息する場所がなかったため、山や荒野の静まった場所を
祈りの部屋としました。祈る時は「本当の神を知らない人たち、
つまり、イエス(「神は救い」も意)が神である事を認められ
ない人たち(異邦人)のように、無意味な言葉をくどくどと
唱えてはいけない」と言われます。

同じ文句を繰り返し祈ってはいけないというのではありません。
イエスも3度同じ言葉で祈っています(マル14:36、39、41)。
言葉数が多ければ良いのではありません。

反対に、「神は、あなたがたに何が必要かを、あなた方が祈る前
から既にご存知なのです」(8節)というので祈る必要はない、
と言う人もいます。

しかしこの箇所は、祈ってはいけないと言っているのではなく、
神の前で報告するのではない、と言っているのです。

神は既に祈る前から知っているので報告をしてもらいたいのでなく、
祈ってもらいたい、願うのを待っておられるのだと言うのです。

例えば、「主よわたしはおぼれそうです」(マタイ8:25)は、
報告ですが、「主よ、救ってください」は祈りです。
神に通知する必要はありません、報告する性質の祈りは好ましく
ない、というのがイエスのこの箇所の教えです。

そこでこう祈れと教えます、これが「主の祈り」と呼ばれる
10行の祈りです。その最初が、「御名」があがめられる事でした。
御名とは、イエス・キリスト御自身の事です。

次に御国の到来とその御旨の実行、つまり、神の主権的統治を
認める祈りで、これにまず同意するとき、初めて命のための
衣食住が与えられる。

神の愛を知れば、神を信頼しなかった生活は終わり、他者を赦し、
愛し、試練から免れる道が備えられるのです。
ところがこの順序で祈れないのが多くの人の実態ではないで
しょうか。

イエスを神と認め、出会いを経験している人は神の主権的統治が
認められますから、主イエスをほめたたえる「主のいのり」の
最初の祈りに直結するのです。

◎断食は、施しとは対照的です。断食は、食事を単に控える事でなく、
ある事のために切迫して祈る負担があって食べられなくなる事で、
神の憐れみを請い求め、自己を低くする事です。

これに対して施しは、所有しているものを与える事です。断食は
享受する権利あるものを放棄する事です。

イエスは断食もまた隠れてすべきであると教えました。見苦しい顔、
陰気な顔をせず、むしろ元気そうにして空腹だと気づかれないよう
にしなさい、と教えています。

◎施し、断食も祈りから発します。その祈りの条件は、人と和解し、
過ちを赦す事にあります(14、15節)。

神の赦しがあるなら私たちの祈りは聴かれ、安らぎと力が得られ、
神の民の権威がもたらされます。

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