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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1160

2018/08/18

賢者の道〜Vol.1160「光はガリラヤ湖畔より」2018-8-18
聖書:マタイ福音書4章12〜25節

◎イエスは、「異邦人のガリラヤ」と呼ばれ、ユダヤ人にさげすまれ
ていた地に退かれました。イエスはそのような地から務めを始めたの
です。

イエスの務めは、暗闇にいる人々に光を与え、逆境を喜びの時とする
生き方を知らせる事でした。イエスの務めは、湖畔で始まり、あまり
宗教的でなかった湖畔で生活していた漁師たちを捕らえて天の国の
ために人を捕らえる漁師にすることから始まりました。

ペトロとアンデレは、イエスに召された時、湖に網を打っていました。
これ以前に、ペトロの弟アンデレは洗礼者ヨハネの2人の弟子の1人で
した。そしてアンデレはキリストに会ったと兄ペトロに告げ、イエス
のところに兄を連れて行きました(ヨハ1:35、40-42)。

このことから、人をキリストの集会に連れて行く個人伝道を「アンデレ
伝道」と言います。ヨルダン川の近くで、2人がイエスと共に泊まった
のです。

ところが、彼らは間もなくしてガリラヤに戻って、漁をして生活する
ことを続けました。ですからガリラヤ湖畔で、アンデレとペトロが
イエスと出会ったのは2度目でした。彼らは夜通しで労苦しましたが、
1匹の魚も捕れませんでした。

イエスは、彼らを見て、ペトロの舟に乗り込み、陸から少し漕ぎ出す
ように頼み、座って、舟から群衆に教えられました。
語り終えると、イエスはペトロに「深みに漕ぎ出し、網を下ろして
漁をしなさい」と言いました。

ペトロがイエスの言葉に従って網を下ろすと、おびただしい魚が
かかり、網は破れそうになりました。仲間の舟の助けを得て、魚を
両方の舟に一杯にし、舟は沈みそうになりました。

ペトロはイエスの足下にひれ伏し「主よ、わたしを離れてください、
わたしは罪深いものです」と言いました。そこにヤコブとヨハネも
いました。

この時、イエスは「わたしについて来なさい。人を捕る漁師にして
あげよう」と告げると、陸につくと、ペトロとアンデレはもちろん
の事、ヤコブと舟の中で網を繕っていたヨハネも、すべてを捨てて
イエスに従い、人を捕る漁師になりました。

後にヨハネは真の繕う者となり、教会の破れを繕いました(3ヨハ、
黙2章、3章)。

ガリラヤ湖畔で仕事をしていた時、彼らは自分たちが暗闇と死の陰
の中に座っていることに気づいていませんでした。

彼らが、湖で網を打っていた時、イエスは大いなる光として輝き、
彼らを照らし、主権ある権威をもって魚を捕る奇蹟を行うことに
よって、かつては救いを得たのでしたが今は生活のことで頭が
一杯であった人々を引き寄せました。

イエスの伝道の務めは、神を中心とした生活を訴えたものでした。

悔い改めるとは、神から離れて生活していたものが、人生のすべて
の出来事が神の支配のもとにあることを認める、同意する事です。

神を離れていると人を殺します、不倫をします、泥棒をします、嘘を
平気でつきます。なぜかというと神を離れていると、背後で神がなし
ていることに気づかないので人を憎むから殺すのです。

誰もが金儲けをしなくてもすむ、安心して暮らせる社会を作らなけ
ればならないのです。嘘をつかざるを得ない社会が問題です。
信用できる社会を作らなければなりません。

◎逆境からの克服 
誰でも逆境を経験しない人はいません。魚が一匹も捕れず失望して
いた漁師たちのように、洗礼は受け、救われたとしても、神の支配
を認めず、自分の努力、知識に頼って挫折し、失望しつつも、自分が
暗闇と死の陰の中に座っていることに気づいていない人々がいます。

第1が病気です。病気になると、神を疑いやすいものです。
私たちは不服を言いやすいのですが、辛抱して感謝していれば不平は
消えてしまいます。体が悪いのは、何かの目的のための足場であって、
本建築までの過程にいるのだと考えるわけです。

何か不都合なことが起こっても、それも神の足場なのであって、
やがて神の目的が成就すれば取り去られる、こう考えるわけです。
そんなのんきな事言っていられるか、死んでしまう、と言われる
方もいます。

病気ばかりでなく、いま困った事に直面した場合、どう考えるか、
という事ですが、そこに何か神の計画があると考え、それを発見
しようとするわけです。

たまたまそうなった、とか言って偶然を主張する人がいますが、
それが罪であると言いたいのです。

神の計画、神の配剤、神の主権性を否定すること、神のなされた
ことに異議を申し立て、否定する事が罪です。そんなわけですから、
人生の目的もない、堂々巡りの螺旋階段の人生、行き先は出口なし
です。逆境に立たされている人がいます。

その時、このような情況の背後になにか神の計画がある、もっと
深く探っていかなければ解らない、このような真理を求める謙遜な
考えを持つ人は幸いです。

聖書の中に鉄を鍛えるためには火中に入れて熱しては叩き、更に
水に入れ冷やしてはまた火中に入れ焼く、立派な鋼鉄を作るには、
そうしなければならないと言っています。

農夫も、麦の葉が出れば、一度踏んでその芽を折り、再び立ち
上がらせて、力をつけるそうです。

大きな実を結ぶためにはうんと踏んでおけば、いざというとき
役立ちます。野菜は寒さにあたると甘みを増す、おいしくなるの
だそうです。

人生一度や二度行き詰るのは誰もが経験することです。その時、どう
耐えるか、どう乗り越えていくのか、これを学んでいませんと、
すぐに人や世間を呪ったり、ねたんだり、不満を持ちます。

自分だけなんでこんな逆境を味わわなければならないんだ、と騒ぎ
立てるわけです。これが罪というのです。神の計画を考慮せず、
無視するからです。

いつも逆境に対する考え方を求めておかなければなりません。
パスカルは肺病でしたし、ウェスレーも血を吐いていました。
賀川豊彦は病気のデパートで、死線を超えた経験をしました。
アウグスチヌスも病身でした。

しかしこのために人生をあきらめなかった。その病気を通して一層
神に近づいたのでした。病気を初め、生活難で悩む時には外部の頼り
にならないものに頼るのでなく、もっと頼りになるものに頼るのです。

自分の力に頼るのでなく、神の知恵を得て工夫するのです。逆境を
変じて恵みとする練習を、普段からしていないとイザという時困り
ます。

◎宗教とは、「力」です。眼に見えない力が、私たちの内側に浸透
してくると、病気も貧乏も失業もさほど悲しくなります。

周囲の人を見ていると心配しすぎの人が多い。そして物事を否定的
に考え、悪く考えるので、ますます悪くなる、暗いのです。
人生歩き出したのだから、つまづいたり、転げたりする事ばかり
考えず、周りの景色を眺めながら、楽しむ事を覚えなければなら
ないのです。

私たちに耐え得ない試練を神は遭わせず、試練と共にそれに耐えら
れるよう、逃れの道をも備えていてくださる(1コリント10:13)、
と聖書に書いてありますが、困難に対する工夫、これを知らなければ
神の奥義を握ったとはいえません。

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