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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1137

2018/05/23

賢者の道〜Vol.1137「聖霊による輝きを-3」2018-5-23

10.聖霊の洗礼(バプテスマ)
◎聖霊のバプテスマは、既に成就したことです。「つまり、一つの霊
によって、私達は、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと奴隷で
あろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を
受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです」(コリントの使徒への
第一の手紙12章13節)。

主は、御霊において教会の上に降下されました。主の降下の真の意義は
御霊の洗礼です。昇天から10日して、主は御自身の体を覆うために聖霊
において降ったのです。この時まで教会に権威も力もありませんでした。
いまや教会は聖霊によって洗礼を受けたのです。

命の霊を受けることは、命の霊の再生です。それは、私達を神の子供とし
ます。しかし、それは聖霊の洗礼ではありません。聖霊の洗礼はかしらと
しての主より、全ての信者を一つの体とするために、この一つの霊の中に
入れることです。

かくしてコリント第一の手紙12章13節はこう言います「つまり、一つの霊
によって私達は、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろ
うと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、
皆一つの霊を飲ませてもらったのです」。

ここでパウロは、この聖霊の洗礼がすでに起こったと告げています。
2つの場合だけが、聖霊の洗礼として語及されています。使徒言語録2章
のペンテコステの日と、使徒10章の異邦人コルネリウスの家での出来事
です。

主イエスは「あながたがは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」(使
徒言語録1章5節)と言われました。これは、ペンテコステの日に起こり
ました。この後、ペトロは、福音を宣べ伝えるために、コルネリウスの
家に招かれました(使徒10:1〜48)。ペトロが語っているうちに聖霊
がこの異邦人の家族の上に下りました(使徒11:15)。

これは、ペンテコステの日に起こったのと同じことでした。とペトロは
報告してします。これら2つの出来事のみが、聖霊の洗礼でした。
最初の部分は、全てのユダヤ人信者を洗礼することで、次の部分は
すべての異邦人信者を洗礼することでした。この2つの出来事により
聖霊の洗礼全体は、完成されました(コリント第一の手紙12:13)。
これは、達成された事実です。

主イエスは約2千年前、一度限り全ての罪人のために死なれました。
同じように全ての信者が一つの体となるために一度限り聖霊の洗礼を
なされました。これは、復活されたキリスト、昇天されたかしらに
よって、成し遂げられました。

ユダヤ人の信者は、ペンテコステの日に聖霊の洗礼を受けました。
異邦人信者は、コルネリウスと一緒に聖霊の洗礼を受けました。

私達は6千年前に堕落し、2千年前に贖われました。それからしばらく
して、聖霊の洗礼を受けました。私達の生まれる前に、みなこの事は
起こりました。そして全ての事が達成されました。

私達は、キリストがもう一度私達のために死なれることを必要としま
せん。同様に、もう一度かしらによって洗礼をされる必要はありません。
イエスは私達のために死なれ、またキリストは私達を洗礼しました。
聖書は、イエスは私達のために死なれたと告げています。しかし聖書は
さらに、キリストは私達を一つの体へと洗礼したと告げています。

11.聖霊の現れの意義
コリント第一の手紙12章7〜10節は、聖霊の働きの現れについて記して
います。私達は本質的に霊の命を受けました。経綸的に力の霊を受けま
した。

それは聖霊の洗礼を達成するもので、これは他の人の益のため、教会の
形成上の益のために機能するのでして、私達自身のためではありません
でした。

では、パウロはなぜ霊の現れを取り扱ったのでしょうか?そこには
9項目の霊の現れが見られます。

1.知恵の言葉
2.知識の言葉
3.信仰
4.癒す力
5.奇跡を行う力
6.預言をする力
7.霊を見分ける力
8.異言を語る力
9.異言を解釈する力です。
このうち奇跡的な賜物は、命の成長を必要としません。

コリントの教会の人達は多く異言を語りました、しかし依然として
幼子にとどまっていました。彼らは相変わらず肉の人であって、
お互いの間にねたみや争いが絶えなく、ただの人として歩んでいた
からです。

そこでパウロは幼子が命において成長することを、造り変えられる
ことを目的でこの1コリントの手紙を書いたのでした。決して霊の現れ
を発展させることではなかったのです。

むしろ彼は、コリントの教会の信者たちが過度に異言で語ることを
制限したかったのです。それは彼らが一層大きな賜物を追及して
教会形成において充満するためです(12節)。

12聖霊の洗礼を経験する適切な方法
私達は生きた信仰によって、聖霊の洗礼をとらなければなりません。
もし私達がキリストのからだと正しくあるなら、聖霊の中の洗礼を
取る地位にあります。それは、既に達成されており、今キリストの
体の上に存在することを認識すべきです。

体との正しい関係を維持するキリストの体の肢体として、私達は
生ける信仰を働かすことを通して、それを要求する資格があります。
私達は主の贖いの死の価値を受け取ったのと同じように、それを
取らなければなりません。

私達は単純に信じることによって主の贖いを受け取りました。そして
主はそれを喜ばれました。私達の罪のため、主の死の成し遂げた事実
を信じる時、聖霊は私達の信仰を静かに尊ばれます。罪の赦しと聖なる
命は、私達に分け与えられます。そして内側に平安と喜びを持つのです。

聖霊の洗礼は、キリストの体の上に達成されており取るのを待つばかり
です。聖霊こそ、三一の神の成就した力と命に満ちたお方で、私達に
人間の思いをはるかに超えたご計画をもたらすのです。

私達を愛して下さっておられる神の愛の具体的実践として、この聖霊が
私達に注がれ、輝きの人生に造り変えて下さるのです。聖霊を求め続け
ようではありませんか!

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創刊日:2002-11-10  
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