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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1136

2018/05/19

賢者の道〜Vol.1136「聖霊による輝きを-2」2018-5-19

5.神の子孫と神の子供たちとは違う
◎ここで「神の子孫」と「神の子供たち」の違いについて解説して
おきましょう。聖書に「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻
に命の息を吹きいれられた。人はこうして生きる者となった」(創世
記2:7)とあります。

この命の息(ネシャマー)は、動物たちに吹きいれられたとは、
告げておらず、人を造られた時だけに限定されています。この「息」
が人の霊になったのです。これは人が、神から生まれたのでなく、
神によって産みだされたことを示しています。この意味で人は、
「神の子孫」なのです。

しかし使徒は、再生を通して神から生まれたと言う意味で「神の子」
でもあります(ヨハネ1:13)。すべての人は、神から産みだされた
「神の子孫」ですが、キリスト者は再生された「神の子たち」なの
です。

こういうわけで、私達は「神の子孫」と「神の子」とを区別しなけ
ればなりません。ヨハネ福音書1章12〜13節は、これをはっきりと
強調しています。「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を
信じる人々には神の子となる資格を与えた。この人々は、血によって
ではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、
神によって生まれたのである」。

また使徒17章28〜29節には、「皆さんのうちのある詩人たちも、
『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』
と、言っているとおりです。私たちは神の子孫なのですから、神で
ある方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと
考えてはなりません」。とあります。

6.聖霊が満ちるのは
マタイ福音書5章3節には「心の貧しい人は幸いである」とあります。
原語では「霊(プニューマティ)の貧しい人(プトーコイ)は」と
なっています。

霊の中で貧しい人と言うのはへりくだっているだけでなく、私達の
霊の中で、私達の存在の深みの所で、空っぽにされていることです。
霊の中がぎっちり詰まっていては、聖霊が満ちることができません。
「人の霊」の中に主の復活の命の霊が満ちるようにしなければ、
聖霊の流れが満ちることはありません。

聖霊は満ちる時、神の動きについて何か新しいものを受けることが
できるのです。その「人の霊は、私達の深い部分で、私達が神に
接触し、霊的な事柄を認識する器官のことです。ヨブ32:8、ローマ
8:16、ゼカリヤ12:1、マラキ2:15〜16などに「人の霊」の実例
を見ます。

人間を霊・魂・体と三領域より成ると聖書は見ています(1テサロ
5:23)。魂は、思い(理性)、感情、意志の内なる器官です。体は
私達の外側の部分、外なる器官であり、この世の知覚があって、私達
を物質の世界に触れさせます。

体は魂を入れており、魂は霊を入れる器官です。霊の中に神の霊が
住み、魂の中に私達の自己が住み、体の中に物質の感覚が住みます。
神はまず、再生を通して私達の霊を所有し、私達を聖別します。
次に、命を与える霊として御自身を私達の霊から魂へと広げて、
魂を浸透し、造り変えて、聖別されます。
最後に、魂を通して体を生かし、変貌させ、聖別させるのです。

7.聖霊の注ぎを受けるには
復興(リバイバル)を求めて、私達は天からの力が降り注ぐように
祈る傾向があります。もちろん、イエスが「上よりの力」と言われた
のは聖霊の力です。それは、イエスの死と復活及び昇天の結果に
はかなりません。

しかし、厳密にいうと復興は天から来るのでなく、内側から来るの
です。聖霊は荒廃した信徒の中でさえ住んでいます。このゆえに
復興の力は天から下って来るのではありません。この力は、既に
私達の中に住んでいます。問題は、この力が出てくるかどうかに
あります。

私達の中の力は爆発的であり、聖霊を流れだす力です。罪をすっかり
告白することは、全存在を開き、聖霊の注ぎを受ける方法なのです。
もし私達が弱く、腐敗し、不十分で、新鮮でなく、死んでいると
感じるなら、その状況を開くのです。そのとき、主は出て来られます。
これが復興を待つ秘訣です。

8.三一の神が産み出す教会
神には、永遠の計画があり、神の命で再生された一群の群れ達を
「神の子」とし、キリストの肢体とならせ、キリストにあって三一
の神が一つの体を持たれ、その体を通して、御自身を表現されること
です。

それは、キリストの受肉、人の生活、旧創造の一切を終わらせす
全てを含む死を通して達成されました。そして復活の中で、彼の
選びの民を発芽させます。そして、キリストは命を与える霊となら
れました(1コリント15:45)。

それは手順を経た三一の神として御自身を増殖させ、体を産みだす
ためでした。復活の後、天に昇り、そこで主またはキリストとされ
ました。復活の中で主は既に、御自身をその霊として、その選びの
民の中に息を吹き込まれ、昇天の中で御自身を完成された霊として
注ぎ出され、こうして教会が産みだされたのです。

これが、新約における全体的な啓示の簡単な要約です。

9.聖霊の業の2つの側面
◎第1は、命のための内的側面であり、水を飲むことや(ヨハネ福
音書7:37〜39)、息を吸うこと(同20:22)に例えられます。
キリストは命の息である、命の水です。そして主が肉体のままで
あって、その霊でなく、その霊の中にいないならば、主は私達に
命をもたらすことはありません。

死と復活を通して、主は肉体から復活に変貌(へんぼう)された
のです。それゆえ復活の後、主は弟子達の下を訪れ「聖霊を受けよ」
(ヨハネ福音書20:22)と告げ息を吹きかけました。

第2は、力のための外的側面であり、ルカ福音書24:29に見られます。
「私は、父から約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの
力の覆われるまでは、都にとどまっていなさい」。ここで聖霊は
衣服を覆うことに例えられています。

飲むこととは、全く異なります。飲むこと、呼吸することは命の
ためであり、着ること、覆うことは権威のためにあります。使徒
2:2で、聖霊は力強い風に例えられています。それは、力のため
で、外的側面です。福音を宣べ伝えるには、権威と力が必要です。

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発行:ファイアサイド  協力:おとずれ社 
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創刊日:2002-11-10  
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