その他ニュース

賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

全て表示する >

賢者の道〜 Vol.1135

2018/05/16

賢者の道〜Vol.1135「聖霊による輝きを-1」2018-5-16

◎三一(三位一体)の神の成就した形態として聖霊があります。
この聖霊なる神の働きを知らずして、輝きある人生を持つことは
できません。そこで今回は、聖霊についてお話をします。

1.三一神としての聖霊
三一の神は、手順を経て調理された神でそれを聖霊と呼びます。
イエスは肉体にある最後のアダムとして、死と復活の手順を経て
命を与える霊となられました(1コリント15:45)。

その霊として弟子達の中に吹き込まれ、彼らの中に住まわれました。
これが内住の聖霊です。弟子達は、主の復活の日に、この内住の霊を
受けています(ヨハネ福音書20:22)。この内住の霊の導きと案内を
受ける者が神の子なのです(ローマ8:14)。

聖霊とは、主の復活の命を与える霊、もはや「生の」神でなく、手順
の後の神です。

また、この神には、受肉、人の生活、十字架、復活、昇天、降臨の
成分を含まれています。永遠において、神は神性の成分を持っていま
したが、人性と人の生活の成分を持っておりませんでした。

受肉を通して人性の成分が加わり、これに続いてキリストの人の生活
と十字架上での全ての死を含む成分が加わりました。

次に復活の成分が来ました。復活を通してキリストは神の長子として
生まれ(ローマ8:29)、復活を通して命を与える霊と成られました
(1コリント15:45)。

さらにキリストの復活の中で、神の選ばれた全ての者は、再生されて
神の子となりました(1ペテロ1:3)。また昇天において超越しておら
れます。最後に教会、キリストの体を生み出す全てを含み霊としての
キリストの降臨の成分があります。

2.内住の聖霊
キリストを信じる者は、皆聖霊によって、キリストが心の内に宿って
います。「もしキリストの霊を持たない人がいるなら、その人はキリ
ストのものではない」(ローマ8:9)。とある通りです。

あらゆる点において、クリスチャン同士が異なっていても、この事柄
だけは、同じはずです。主の者でなければこの一点を持っていません。

教会の内側の者は、聖霊を持ち、教会の外側の者は、聖霊を持って
いません。「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を
吟味しなさい。あなたがたは自分自身のことが分からないのですか。
イエス・キリストがあなたがたの内におられることが。あなたがたが
失格者なら別ですが・・・」(2コリント13:5)。

では、誰がキリスト者でしょうか?キリスト者とは聖霊によって
キリストと一つとなった者を言います。

誰が神の子供なのでしょうか?御子の霊を受けて「アバ、父よ」と
呼ぶことのできる人です。誰が私達の兄弟でしょうか?私達と共に
命の霊を受けた人です。では誰が教会でしょうか?霊の中にある
神の住まいとなった人です。

このような人が教会の内側いる人であり、そうでない人は外側の人
です。内側の者は救われた者であり、外側の者は、滅ぶべき者です。
これが、この世の人々と教会の間の境界線であり、それは内住の聖霊
なのです。

3.聖霊に臨在の知識の欠如
当時のコリントのキリスト者は、内住の御霊に欠けていたのではなく
御霊の臨在の知識に欠けていました。パウロが「あなたがたは、自分
が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らな
いのですか」(1コリント3:16)。と書き送っています。

聖霊が単なる影響力ではなく、生きておられる神ご自身であること
が分かっていない人が多いようです。聖霊は人格を持つおかたです。

旧約時代にイスラエルの陣営には、多くの天幕がありました。
普通の天幕では好きなことができ、食事をしたり断食をしたり
仕事も休息することも、喜ぶことも楽しむことも、騒ぐことも
静かにしていることも思いのままでした。

しかし、その中の一つの天幕では敬虔と畏れが漂い、そこに近づく
ときは、自然と静かになり厳粛な思いになりました。それは生ける
神の宮であったからです。天幕自体は、他のものと異なっていたの
ではありません。

現在では、神は生けるキリスト者によって構成される宮に住まわれ
ます。つまりもし私達が自分が生ける神の宮であり、聖霊が宿って
いることを知るならば、くだらない言動や、軽率な行い、自己を楽し
ませる態度など消えてしまうでありましょう。

キリスト者は聖書とか神の良い教えとかを持ち運ぶのでなく、神ご
自身を持ち運んでいることを認識しているべきです。

あるキリスト者が絶えず敗北生活を送っているのは、なぜでしょうか?
それは、聖霊の内住があっても、それを認識していないことにあるから
です。もし私達の生涯における絶対権を主に捧げなければ、聖霊が
内住しても、力あるわざをなすことはできません。聖霊の力がとどめ
られるからです。

4.聖霊とイエスの霊
使徒16章6〜7節には「聖霊とイエスの霊」が登場します。この2つ
の称号はどう違うのでしょうか?

「聖霊」という称号は、主イエスの受胎の時に最初に現れており、
イエスの受肉と誕生を含むだけですが「イエスの霊」彼の人性、
人の生活、死、復活、昇天を含んでいます。

それは決して旧経綸の道の中にある「神の霊」ではなく、新しい
経綸における一つの新しい動きを表現しています。そして復活の後
イエスは、プニューマ的(その霊である)キリストとなられたのです。
パウロは、聖霊とイエスの霊で構成されていました。

「聖霊」という称号は、神が人の中に入って来られ、受肉によって
人と一つとなることを示しています。これに対して「イエスの霊」
という称号は、人性の中で人の生活を送られ、十字架に行き、死を
遂げられ、命の増殖のために甦られ、天の昇られたキリストを指し
ます。

---------------------------------------------
発行:ファイアサイド  協力:おとずれ社 
まぐまぐ(ID:99821) http://www.mag2.com/
melma!(ID:151618) http://www.melma.com/
---------------------------------------------


規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2002-11-10  
最終発行日:  
発行周期:週1〜2回発行  
Score!: 100 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。