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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1133

2018/05/09

賢者の道〜Vol.1133「主イエスと礼拝」2018-5-9
聖書:ネヘミヤ書8章1〜12節

◎礼拝というのは、形態的には、対象に向かって低頭、平伏するもので
あり、その意味するところは、恭敬、恭順を持って仕える、(サービス
する)働くことの意であり、「お勤め」ともいう場合もあります。

では主イエスはこの礼拝をどう考えていたのでしょうか。彼の行動を
見ますと、安息日には会堂に入り、聖書の説き明かしをし、安息日の
食事に加わり、賛美し、過越し食事を祝っており、礼拝する人であった
ことが分ります。

しかし決してユダヤ教の礼拝に関する習慣に従っていた訳ではなく、
批判者としてありました。彼は聖なる場所や時間にまつわる慣習に
束縛されませんでした。

そして「礼拝する者は霊と真理をもって礼拝しなければならない」
(ヨハネ4・24)と命じたのです。

原始教会の人はこの主も命令を守って、伝道と自己形成に努めました。
「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」、家ごとに集まって一緒に
食事をし、神を賛美していたのです(使徒2・46)。

そしてユダヤ教の伝統の良いものを受け継ぎながらも独自の礼拝形式を
作っていきました。

初期の礼拝から、主の復活を記念して日曜の早朝(ユダヤ社会では土曜
は休暇であったが、日曜の昼間は労働に就かねばならなかったため)
信者の家でもたれました。

その内容は主イエスの受苦と復活を中心とした説教、具体的な会食で
あり、主イエスの福音の解明とそれへの応答によって構成されていま
した。

かくしてユダヤ的祭儀要素は大幅に整理され、供え物や犠牲は礼拝者
の良心を完全にはしない(ヘブ9・10)、エルサレムという聖地だけ
でない聖地の普遍化(ヨハ4・21)、自分の体をいけにえとして捧げる
礼拝の奨め(ロマ12・1)へと移っていった。

一見、礼拝の解体のようですが、正確には礼拝の純化といえます。

◎では、礼拝の本質は何なのでしょうか?その原型はネヘミヤ記8章前半
に求められます。紀元前587年、エルサレムはバビロン帝国によって
滅ぼされ、大勢の人が捕虜として連行されました。

約50年後、新興のペルシャ帝国によりバビロンは滅び、ユダヤ人たち
は帰国しました。帰還した民は神殿再建をし国全体の復興事業に力を
注ぎました。

その時の指導者がネヘミヤとエズラでした。ネヘミヤ8・9では、神の
言葉としての律法の書も朗読を聞いた民は、皆泣いたのです。み言葉
を聞くとは、神がまだ受け容れているしるしであり、自分たちがまだ
神の民であることの証拠でもあったのです。

彼らは「泣くな」といっても泣くほかなかったのです。そこでネヘミヤ
とエズラは「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備え
のない者には、それを分けて与えてやりなさい」と言います。

この歓びの飲み食いが礼拝とセットになっていることは重要です。
主の晩餐のルーツでしょう。

◎礼拝の本質は、神の恵みへの歓びと感謝の祝宴というわけです。
主に捧げ、主に向かって全身を投げ出す聖なる時が礼拝です。

礼拝は、私たち自身のことを忘れ、ただ神に結びつき、一体となること
です。愛されていることの実感をもって、愛する関係性があります。

この神との関係は同時に、礼拝において人間同士の愛の関係を呼び出し
ます。この祝宴に招かれる者は互いに相手を敬わなければなりません。
虫の好かない人がいたとしても、神の招いた人を大切にしなければ、
招いた神を侮ることになります。

礼拝空間は、神聖な社会であります。つまり真に神が崇められ、礼拝さ
れるのは、愛の実現があるところなのです。教会の中で人の非難、陰口
をし合っているならば、いかに礼拝が整然となされていようと、神を崇め
ている行為とはいえないのです。

◎礼拝は、制度や組織ではありません。愛の運動体そのものです。
神の愛とそれに応答する人間の愛の響きが人の魂をとらえ、傷つい
た心を慰め、癒し、活力を与えるのです。

もし憎しみの心や引き裂かれた人間関係が、同じ礼拝空間を支配する
ようでしたら、その礼拝の前に十分祈りの備えをもって解決しなけれ
ばならないのです。

共同体としての祈りがどうしても必要となります。個人主義的礼拝が主流
となった日本のキリスト教会が、共同体的礼拝の形成に向かうことが求め
られています。

いかに良い説教が語られても、会衆の一言の冷たい言葉が、説教を台無し
にしてしまいます。従って、福音を共同体で維持していくことが大切なの
です。

祈りがあれば、愛の扉は開くのです。罪と悪を「吸い取り紙」となって
取り除き、愛の社会を作っていきましょう。

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発行:ファイアサイド   
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