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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1132

2018/05/05

賢者の道〜Vol.1132「主の復活を知るために」2018-5-5

◎理想と現実では開きがあります。多くの信徒は救われた後、毎日
聖書を読もうと決心し、計画を立てますが、それは理想であって
その計画を実現する信者は、そう多くありません。

また成就したとしても、あまり益があるとは思えません。祈りや他の
霊的活動でも同じです。砕かれなければ、何の光も受けません。信仰
の歴史は砕かれる事柄と言えます。そのために神は試みを備えました。

1.砕き
個々の使徒や教会は、混合物で満ちています。これは、私達の思い、
感情、好みのようなものを含み、これが信徒間の不一致や論争という
形をとって現れてきます。

それゆえ神は私達に恵みを与え、清め、砕きます。デモニッシュな
要素が混在するので、神に対して敬虔であることすらできなくなり
高ぶるようになります。

混合しているものを暴露し、神の喜びにならないものを取り除かねば
なりません。

アブラハムは、エジプトに下った時、嘘をつきました(創世記12章)。
その後、ネゲブ地方で祭壇を築き、主の御名を呼び求めましたが(同
13章)、ゲラルに滞在した時も、また嘘をつきました(同20章)。
同じような状況に置かれると、繰り返してしまいます。

そのため、繰り返し砕かれ、試みを受ける必要があります。損失を
被り苦悩の過程をたどるのです。

パウロも例外ではありません。彼の働きが拡大していた頃は、主の
復活を知ることが必要とは感じていませんでした。ところが試みに
遭い、牢獄に捕らわれ、拘束されて初めて、主の復活の必要を強く
感じたのです。

『フィリピの信徒への手紙』は、エフェソの獄中で(55年の秋頃)
書いた手紙ですが「キリストとその復活の力とを知りその苦しみに
あずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中から
復活に達したいのです」(フィリピ3章10節)と書きました。

彼は復活の啓示を必要としたのです。この時点で、パウロは死の環境
である墓の如き牢獄の中に入れられていました。これに耐えられず
彼は、イエスとその復活の力を知り、イエスの死と苦しみに等しく
される必要を感じたのです。

これが存在の深みでキリストを認識する方法なのです。

2.雅歌における啓示
『雅歌』の中で主を追い求める者を現す娘は、愛においても知識に
おいても強く、熱情的でした。

彼女の愛する人への感覚は「山々を跳び越え、丘の上を飛び跳ねる
かもしかや若い雄鹿のようでした」(雅歌2:8)。それは啓示や
ビジョンでなく、彼女の感覚的な印象です。

ところが、やがて彼女は、ビジョンが与えられます。それは主が
復活の力で満ちているので、山や丘を飛び跳ねていると言うこと
です。この時点で彼女は、感覚から啓示へと進展しました。

教会生活においても多くの信者は、主イエスに関して十分な光と
啓示を持っておらず、感覚的に理解しているだけです。

今や、私達は主イエス・キリストについて感覚的に理解するだけ
でなく、ビジョンと啓示を持つべきなのです。主は、十字架で私達の
罪を担い、神によって見捨てられ、復活の中へと入って「暁の雌鹿」
となられました(詩編22編の表題)。

『雅歌』の中で恋する人は娘に言います「さあ、立って出ておいで。
ご覧、冬は去り、雨の季節は終わった。花は地に咲きいで、小鳥の
歌う時が来た。この里にも山鳩の声が聞こえる」(雅歌2章10〜12節)。

これは示しているのは、復活のビジョンを見ることです。恋する人
からの語りかけは、啓示です。こうした復活の中で主と共に前進する
のです。これが、私達に対する主の召しです。

3.死の経験
主の復活を知るために死を経験する必要があります。パウロは獄に
降り、多くの苦難を経験しました。

束縛と自由の制限を受け、以前のように「翼」をもって何処にでも
自由に飛んで行くことができなくなりました。私達も広い意味で、
落ち込んだり、沈んだりしている時、獄の中にいるのです。

この経験は必要です。それによって主の死と主の復活の力を経験する
からです。獄の中の苦難は、単なる外側の迫害や困難ではなく、自己
から救い出され、主の死と等しくなるために、私達の中の天然の要素を
死に渡すものです。主の死は鋳型(いがた)であり、そこに私達に
属する全てのものを死に渡すなら、主の属する全てのものを復活させる
のです。

獄では、壁の中に閉じ込められるのですが、それらの山や丘に妨害
されることなく、山々を跳び越え、丘の上を飛び跳ねるのです。
主は「さあ、立って出ておいで」と召すのです。既に冬も過ぎ去り
雨も上がったからです。

これは、死が過ぎ去ったことを意味します。私達の感覚では依然と
して死の中にありますが、主は言われます「死のものは全て終わり、
過ぎ去ってしまったのだから、あなたは起き上がり、私と共に出て
来なければならない」。

これが復活です。いつまでも古い囲いの中にいるべきではないのです。
「囲い」は養育係の律法のようなものです。それも神が造られたもの
ですが、もはやその一時避難所の中で、獣から守られている必要は
なくなったのです。立ち上がって出て行くのです。

パウロは復活が分かったので、繰り返し「喜ぶ」と言っています
(フィリピ第2章)。彼は投獄の苦難に復活の力を適用する方法を
知っていたのです。また投獄の苦難は、彼の天然の要素を死に渡し
他方で神の全ての要素をパウロの内側から生かし出したのです。

◎獄の中にいながらパウロは束縛されておらず山々を跳び越え、丘の
上を飛び跳ねていました。それゆえ「あなたがたも喜びなさい。私と
一緒に喜びなさい」(2:18)と言うことができたのです。

「主の死の姿にあやかる」とは、人の要素を死に渡し、神の要素を
産みだすことができるということです。この原則は、個人にも教会
にも適用できます。

このゆえ、彼は「生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが
公然とあがめられるようにと切に願い・・・生きるとはキリストで
あり、死ぬことは利益なのです」(フィリピ1:20〜21)と言うこと
ができたのです。

復活のビジョン、啓示を持つことによって苦難を耐えることができた
のです。主の復活を知るとき、復活の力と実際の解決の道を経験する
のです。

落胆し、悲しむとき、それが造り変えられるチャンスなのです。
いかなる、つらい経験でも平安を持ち、喜びを持つように苦しみを
味わい尽くしましょう。主の死に同形化するまで!

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