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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1124

2018/04/07

賢者の道〜Vol.1124「復活の初穂たる主の兄弟たち-1」2018-4-7
聖書:ヨハネ福音書20章11〜18節

◎キリストは「週の初めの日」に復活の「初穂」として復活されま
した(ヨハネ福音書20:1、コリント15:20)。

「週の初めの日」と呼ばれるのは、それが新しい始まりであったから
です。神は6日間で天地を創造し、7日目に休まれました。これら7日間
は旧創造の時代でした。今や、その7日間が過ぎ、別の新しい日が始ま
りとしてあります。主の復活により、旧創造は過ぎ去り、新創造の
時代が始まったのです。

レビ記23章11節では、安息日が7日目なので、週の始めの日を「安息日
の翌日」と呼び、春のこの日に収穫物の大麦の初穂の束を祭司に差し
出し、前後に揺り動かしつつ燃やし、献げ物として神に献げました
〔口語訳聖書ではこの日を「揺り動かす日」とし、「揺祭」と明記
してありますが、新共同訳では不明確となっています〕。

この収穫物の初穂は、復活したキリストを予表します。ここでもう1つ
のことを考えるのですが、それはイスラエルの子たちの割礼です。

神が定められた割礼の日は、男子なら生まれてから「8日目」
つまり、7日間の後、もう1つの7日間の初めの日すなわち8日目で
した。その意義は、古い性質を取り除き、復活の命を生きることで
した。

新約聖書でパウロは「あなたがたはキリストにおいて手によらない
割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け、洗礼に
よって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から
復活された神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです」
と言います(コロサイ2:11、12)。

キリストにあって私達はみな、キリストの十字架によって割礼された
と宣言しているのです。神の民が、古い性質を脱ぎ捨て新しい性質を
着て、復活の命を生きることが神の意図です。

これは8日目、週の初めの日のもので、復活を表示します。復活は新しい
時代の始まりです。

この復活の日は、神によって定められていました。詩編118編24節は
言います。「これは主が設けられた日であって、われらはこの日に喜び
楽しむであろう」(口語訳)とあるように、この節は文脈の中で読む
なら、それが「キリストの復活の日」であることが分かります。

主の復活の日は、詩編2編7節の「今日」として預言され、「あなたは
私の子、私は今日、あなたを産んだ」と、それは使徒13:33、
ヘブライ15章で引用されています。

主イエスはまだ地上を歩いていた時に、十字架につけられ、3日目に
死人の中から復活することを預言されました(ヨハネ2:19、22)。

この「三日目」は主の初めの日で、後に、この日は初代クリスチャン
によって「主日」と呼ばれるようになったのです(黙示録1:10)。
しかも主の復活は、週の初めの日だけでなく、その日の最初の部分、
夕方でなく朝であったのです。

イエス・キリストは初めの日の早朝に復活されたのです。復活した時
墓の入り口の大きな石は取り除かれてありました。そこでマグダラの
マリアはペトロとヨハネのところに走っていって異常を知らせたのです。
彼らはすぐに墓にやってきて内部を確認しました。

すると旧創造時代の物は、墓の中に残されました。着ていた「亜麻布」
頭にかぶっていた「覆い」が置かれていて、しかもそれらは同じ
ところでなく離れた所に整然とたたまれ、丸められていたのです
(ヨハネ20:6、7)。

それらは復活した体から脱ぎ捨てられた旧創造時代の物でした。
主は旧創造と共に十字架につけられ、旧創造と共に葬られました。
しかし、その中から復活され、旧創造を墓に残し、新創造の初穂
となられました。

それらの布地が置かれていなかったならペトロとヨハネは誰かが
取り去ったのでなく、自ら復活したと信じるのは難しかったでしょう
(20:8)。その布地は、ヨセフとニコデモによって捧げられ、主の体
を包んだものでした(19:38〜40)。この布地は、主の復活の証しと
して役立ったのです。

主イエスが墓の中に入った時、私達の古い人も共にそこに行き、
主が復活された時、私達をそこに残されました。この主の墓こそ、
私達の古き人が葬られ、なおも残されている墓です。しかし私達の
復活させられた新しい人は教会の中です。いづれにしても2人は主の
復活を信じたのでした。

◎では、どのような人が主の復活の啓示を認識できるのでしょうか。
主の復活の事実が確認されましたが、それは発見され、見られなけ
ればなりません。復活の主イエスは墓の中にいましたが、そこにいた
マリアは2人の天使を見る以外、復活の主を見ませんでした。

彼女は、主を愛し、主を追い求めることによって、発見する以外
なかったのです。これは1つの原則です。主の復活の知識、教理、
物語を知っている人が多くいることを知っていますが、霊の中で
啓示を受けなければ発見できません。

それには、マリアのように追い求める心があれば、主は現れ、霊的
な啓示をするということです。主の十字架と復活の啓示に欠けてい
ては、証しするものがありません。

しかしマリアを見て下さい。この霊的発見の後、何をしたでしょうか。
彼女は弟子達の所に走って行き、「私は主を見ました」と告げ、主から
言われたことを告げたのです。

ペトロとヨハネは、客観的に復活を信じ、マリアは主観的に経験しま
した。マリアは誰が主を取り去ったのか、どこに持っていかれたのか、
と泣いていたので、2人はどうすることもできず、相手にできないと
思って、置き去りにし、家に帰っていったのでした。

マリアは残された布などに注意を払わず、ただ主イエスだけに関心を
もち、実際に生ける主に触れることだけに注意を払っていたのです。
しかしその愚かで、泣く彼女が主の復活の最初に見た人であったの
です。

「復活の初穂たる主の兄弟たち-2」の続く
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発行:ファイアサイド  協力:おとずれ社 
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