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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1123

2018/04/04

賢者の道〜Vol.1123「主の秘密の昇天」2018-4-4
聖書:ヨハネ福音書20章11〜18節

■マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて
墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た
2人の天使が見えた。1人は頭の方に、もう1人は足の方に座っていた。

天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは
言った。「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、
私には分かりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエス
の立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分から
なかった。

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜して
いるのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を
運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が、
あの方を引き取ります。」

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ
語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは
言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上って
いないのだから。私の兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。
『私の父であり、あなたがたの父である方、また、私の神であり、
あなたがたの神である方のところへ私は上る』と。」

マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「私は主を見ました」
と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

◎多くのキリスト者と出会いましたが、キリストのよみがえりについて
満足のいく説明を聞いたことがありませんでした。確かに「キリスト
はよみがえられた、ハレルヤ!」と言う讃美歌や「主が死んで3日間
埋葬された後、よみがえったことは知ってます」とは言うのですが、
それはどういう意味なのか分かっている人は少ないようです。

それが自分とどういうかかわりにあるのかが問題なのです。
よみがえりは内面的な経験であり、キリストとの合一の経験で
あるからです。

これはキリストの霊の命(復活された主)の内住と関係しています。
このことを更に良く理解するのに、ヨハネ福音書第20章が参考に
なります。

ルカ福音書やマルコ福音書では主の復活の何日か後に、主イエスが
天に昇られたと明らかに告げていますが、ヨハネ福音書ではその
ようには告げていません。

そこでは天に昇られたとは言っていないように見えます。しかし
注意して見ますと、朝早く、イエスは天に昇られたのでした。
これは「秘密の昇天」です。復活の弟子たちの目の前で起こった
主イエスの「公の昇天」(使徒19:9〜11)より、40日前のこと
です。

しかしこの同じ日、再び降ってこられました。これは、復活の享受
が父のためであったことを意味しまう。ちょうど収穫の初穂がまず
神にもたらされたようにと同じです。

朝マグダラのマリアが主イエスに触れようとしましたが、主は「私に
すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから」
と言い、ヨハネ16:7、10で・・・告げたように「神である方のところ
へ私は上る」と言われたのでした(20:17)。

それから全く同じ日の夕方、イエスは弟子たちがいる家に来られ、
手とわき腹とを見せられました。更に、一週間後、同じように弟子
の家に来てトマスに「手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい」
と言われました(20:19、27)。

彼にはタッチすることを許し、マリアには許さなかったのですが、
それはまだ父のみもとに昇っていなかったからです。

しかし「秘密の昇天」を通して神の独り子は、多くの兄弟たちの
長子となられ(ローマ8:29)、命を分け与え、主の弟子たちをご自身
と一つにされました。ですから父なる神は弟子たちの父でもあり、
神でもあったのです。イエスが持っているのと同じ神の命と性質を
弟子たちもまた持っているのです。

ですからイエスと弟子たちは兄弟となったのです(ヘブライ2:11)。
そして御子の地位を弟子たちに与えられたのでした。ですからこの
弟子たちの集会はペンテコステ前の教会の最初の集会であったと
言えます。それは詩編22:22の成就です。

◎さてイエスは死なれる前、肉体を持っていましたが、復活の後、
弟子たちの中に入ることが出来ました。

それは肉体から霊に変えられたからです。戸が閉ざされていたにも
かかわらず家の中に入ってきたのです。そして「聖霊を受けよ」と
言います。以来、主は私たちと共にいるだけでなく、内にいるよう
になったのです。これが「聖霊の内住」と呼ぶものです。

ここではっきりさせておくことがあります。それは、復活は一つの命
の問題であり、昇天は一つの地位、立場の問題であると言うことです。
それは私たちもまたキリストと共に「天の王座」に着いたという
地位のことです(エフェソ2:6)。天的立場を勝ち取ることを意味
します。

もちろん私たちは依然場所的には地上におりますが、身分、雰囲気、
性質によれば復活のキリストの中で天的性質、天的雰囲気に到達
しているのです。これが私たちの地位です。

同時に、昇天の地位は、昇天の権威を生じさせるのです。ですから
クリスチャンにとって主の復活の問題は、霊的命の問題です。
命は力をもたらします。また昇天の問題は地位の問題で、権威を
もたらすのです。そして祈りの地位は昇天の地位です。天の領域を
離れた祈りは地位を失います。

◎今、私たちは日本、アメリカ、北朝鮮、韓国のいずれの立場で
祈ったらよいでしょうか?神はどの立場に立つ者に耳を傾けるで
しょうか?

それぞれの国には願いがあります。しかし祈りにはただ一つの立場、
地位しかありません。それは天的立場です。

これはいつも喧嘩をしているクリスチャン夫婦の場合も同じです。
それぞれ神に対処を祈るのです。ですが神はどちらの祈りを聴き
入れますか。もし彼らが天から地に落ちているなら、その地位を
失っているのですからどちらの祈りも聴かれません。

ですから祈りにおいてまず地位を安定させる必要があります。
そうでないと祈りが成就しないのです。いらいらがあって自己弁解
や復讐、擁護などを神に求めてるなら、それは天の領域から離れた
ことを証明ます。

◎神の子ども達はただ祝福すべきであって、呪うべきではありません。
いかに辛い目に合おうと、迫害を受けようと、ステパノのごとく依然
として彼らを祝福できるなら天の領域におり、権威ある祈りができ、
環境にさえ命じることが出来るのです。

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