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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1104

2018/01/27

賢者の道〜Vol.1104「園を耕し、守るように」2018-1-27
聖書:創世記2章15〜17節

◎聖書では、おもに命が啓示されています。しかし「命」とは何で
しょうか?

答えは、主イエスの言葉の中にあります。イエスは「私は命である」
「私が来たのはあなた方に命を得させるためである」と言われます。
聖書は、命としてのキリストの啓示の書です。

さて最初の人間は創造された後、エデンの園の中で二本の木の前に
置かれました。一本は命の木であり、もう一本は知識の木でした。
命の木の実を食べるならば命を受け、知識の木の実を食べるなら、
その結果は死でした。この原則は、聖書に触れるときも同じです。

霊を持って触れ、祈ることにより聖書を命の書として受け取れ
ますが、ただ思いで触れることによって聖書を知識の書とし、
文字の中の知識を追い求め、結局、命でなく死をもたらします。

コリント3:6では、「文字は殺しますが、霊は生かします」と警告
しています。ですから聖書を人を殺す文字の書とするべきではあり
ません。

主なる霊に触れることによって聖書を受け取り、聖書が私たちの霊
また命となるようにしなければなりません。

ヨブ記32章8節では「人の中には霊があり」と言っています。これは
神の聖霊や思い、意志ではなく、人の霊のことです。そして良心は
人の霊の主要な器官なのです。

◎さて神は人を園に置かれました。そして、人に命の木から取って
食べてもらいたかったのですが、そうするよう強制されませんでした。
自由意志を与えられたのです。

偉大な尊敬すべき人も他者に強制しません。神はただ人を二本の木
の前に置き、人に選択させられたのです。

主イエスもまた人についてくるよう強制されませんでした。
主はこう言われているようです。「私を信じてもいいし、信じなく
てもいい、わたしを忘れても構わない」と。

二本の木は、二つの路線と言ってもいいのです。死の路線と命の
路線です。命の木の原則は依存です。学校を卒業できても、空気を
吸うことから卒業はできません。死ぬからです。命は依存を意味し
ます。

生ける主により頼むこと、これが命の木の原則です。エペソ五章の
結婚の教えはこの原則の適用です。妻は夫に仕え、夫は妻を愛さな
ければなりません。

命の木として互いに依存しあい、仕えねばならないのですが、多く
の人は互いを知識の木として取っています。

◎知識の木は単に悪の知識でなく、善悪の知識の木と呼ばれている
ことに注意してください。

同じ木から善の知識と悪の知識がでます。知識が善か悪かは問題
ではなく知識である限り、命の木に属していないと言うことです。

善いか悪いか、正しいか間違っているかでなく、原則は命ですから
平安がなければなりません。内側に平安がないなら、それは命の霊が
あなたがしようとしていることに同意していないことを意味します。

善、正しいと思ってしたことであっても殺され、死を経験する思いを
したことがあるでしょう。それらはサタンに利用されるのです。

サタンは善と思われるものの背後に巧妙に隠れることを好みます。
そして人を惑わし死に至らせるのです。エバは蛇と会話した時、
その中にサタンが入ることを認めませんでした。巧妙に惑わされた
のです。

◎サタンはペトロにもユダにも現れてます。
彼らはあからさまには行動せず、他のものをおおいとして使います。
夫も妻もサタンに使われることがあるのです。

知識の木の内容のすべては、神から離れたすべてのものです。
命の木の祈りであったものが、知識の木の祈りになることだって
あるのです。

ではこの善悪の木の原則は何であるかですが、それは主からの独立
であると言えます。霊的独立は死です。

また神の臨在なしに神のために行う善である宗教ですら知識の木に
すぎません。いまや堕落の結果、私たちの内側には二本の木が置か
れています。

罪は肉体の中にあり、霊の中には神の命があります。肉につけた
思いは死であり、霊につけた思いは命と平安であるとローマ8:6は
言っています。ここには二つの法則、命の法則と死の法則があり
ます。

二本の木の原則です。私たちは知識の木に向かうのでなく、命の木に
向かう必要があります。その結果、自然に主の御言葉を愛するように
なります。

◎神は人に園を耕すよう責任を負わせられました。
地を耕すことは命の木の成長です。マタイ福音書13章で主イエスは、
地は人の心であると言っております。更に命の木は主イエスが
私達の心に蒔かれた種としてのご自身です。

地を耕すとは、私たちの堅い心をほぐし、砕き、心を天に開いて、
雨を受け、内側の命が成長することです。神が地を耕すことを
命じた時、それは人が開かれ、砕かれ、命の木が人の中に入って
くる用意がなされなければならないことを意味します。

この命令に並んで神は人に、園を守ることを命じました。命の木は
地を耕すことを要求し、知識の木は地を敵であるサタンから守ること
を要求します。

知識の木に向かわないよう自分自身を閉ざす事が地を守ることです。

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