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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1095

2017/12/27

賢者の道〜Vol.1095「神の愛」2017-12-27

1.救いは神のものである
なぜ、神は人を救いたいのでしょうか?なぜ、人に関心を持つので
しょうか?その理由は、神が愛であるからです。

神の愛について聖書は、ひたすら語っています。神の愛について
聖書が語っている要点は三つあります。

第一の点「神は愛である」(1ヨハネ4:16)これは、神の本質が愛で
あると言う意味です。神の性質といってもいい。神は怒りっぽい、
短気である、ではなく、愛であると言うのです。

皆さんは、神はどんなお方だと思いますか?荒々しい神、厳しい神で
しょうか?近づきがたい神でしょうか?聖書は、神は愛であると告げ
ています。

したがって、神が憎むことは不可能です。憎んだり、罵倒したり、
怒鳴る前に、その方法まで愛の表現をもって対処して下さいます。
人が憎むのは、たやすいことですが、神にとって憎むのは、難しい
ことです。

第二の点「神は人を愛しておられる」(ヨハネ福音書3:16)
神は、この世の人を愛されたと聖書にあります。神の本質・性質
は、愛ですが、その行動は愛されたことです。神は愛さずにはおら
れないのです。

第三の点「神の愛の表現」(ローマ書5:8)
もし愛があるなら表現されなければなりません。そうでなければ、
愛とはみなされません。愛は行動として表現されます。よって神が
私達を愛するなら、全ての問題を取り除かれるでしょう。

神の愛は、キリストの死において現されました。罪人の私達は、
自分で自分を救うことができないので、キリストが来て下さり、
死なれ、私達に代わって罪の問題を解決して下さいました。

2千年を経て今でもこの効力は有効で、もし皆さんがイエスを救い主
として信じるならこの十字架での愛の効力は及んでいきます。そして、
罪から解放され、新しい人生を生きることができます。

以上、神の愛という時、この三つのことに注意を払う必要があります。
本質・行動・表現です。

2.神の恵み
神の愛はこれで終わりません。愛が表現される時、それは恵みとなり
ます。恵みは、表現された愛です。神の中にある愛が、私達の所に来る
とき、それは、恵みとなります。愛は抽象的ですが、恵みは具体的な
ものに転じます。

例えば、ある貧しい人が来たなら、憐れみを持つかもしれません。
ところが、食物や衣服を与えないなら、せいぜいその人を愛すると
言えるだけです。彼に対してそれは、恵みではありません。

ところが、一杯のご飯、一着の衣服、いくらかのお金を与えるなら、
あなたの愛は、恵みに変わります。愛は内側にあり、恵みは外側に
あると言うことです。愛があっても恵みを届けることのできない人は
多くいます。

「あなたにお金を与える計画がある」という言葉は、ありがたい愛の
言葉です。お金をもらった時、その愛に言葉は恵みとなります。
恵みは外側の行いです。愛するだけでは、恵みの要素ではありません。

人の問題を持ち、困難に陥っている時にのみ、神の愛は恵みとして
実現します。愛は、流れ下る時だけ恵みとなります。愛は流れ上る
こともできますが、その時は、恵みは現れません。神の上にいたい
あるいは、神と等しくあろうと願う人には、恵みは現れないのです。

下の方にいないと恵みが現われません。神の愛は、主イエスの御業
(みわざ)を通して恵みとなったのです。

3.神の憐れみ
「恵み」は、新約聖書の言葉ですが、「憐れみ」は、旧約聖書の言葉
です。

これは、「新約」に憐みがないと言う意味ではなりません。「憐れみ」
という表現は、旧約聖書にはるかに多く出てくるのです。

愛の出口は、恵みであり、憐れみです。憐れみは消極的であり、
恵みは、積極的です。憐れみは、現在の状態と哀れさと関係があり、
恵みは、将来の状態の輝かしい前途と関係があります。

貧しい人、困難に遭遇している人の状況を気の毒に思う、これが憐れ
みです。愛するから、そう憐れむのです。愛さなければ、そういう感情
は起こりません。ところが、その感情は、消極的です。同情しているの
です。

しかし、その憐みが、いつ恵みに変わるのでしょうか?それは、哀れ
な環境から救い出され、新しい環境が与えられるときです。旧約時代
は、神は憐れみ深くありましたが、新約時代になって、主イエスを
通して恵みが来たので、新しい環境が与えられることになったのです。

今日、私達は憐みの日でなく、恵みの日にいるのです。

ある盲人が、視力を得た物語があります(マルコ福音書10:46〜52)。
盲人がイエスに出会った時、「主よ、私を愛して下さい」とも「主よ、
私を恵んで下さい」とも言いませんでした。彼は、「ダビデの子よ、
私を憐れんで下さい」(48節)と言いました。

同情と憐みを求めました。しかし、恵みが伴い救われました。神の憐
れみを待ち望むなら、恵みを受けます。

◎神の本質は、愛です。神は人を愛せずにはおられません。
愛の表現として、十字架愛を私達に示されました。

これは、自分が損失を被りつつ生きることです。こうして神の恵みが
露わにされます。恵みは謙遜な人、憐れみを求める人に注ぎます。
新しい環境が、その人に与えられるからです。

救い主イエスを信じ、神の愛に委ねて生きてみてはどうでしょうか?
聖書の御言葉に従った生活をする時、新しい環境と恵みが現われて
くるでしょう。

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