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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1091

2017/12/13

賢者の道Vol.1091「携挙されぬ者の降誕祭」2017-12-13
聖書:マタイ福音書24:32〜44、ルカ福音書21:34〜36

■「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が
伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなた
がたはこれらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいている
と悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるま
では、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、私の言葉は
決して滅びない。」

◆目を覚ましていなさい
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。
ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じ
だからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、
人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、
洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。
人の子が来る場合も、このようである。

そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は
残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、
もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、
自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからで
ある。

このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒が夜のいつごろ
やって来るかを知っていたら、目を覚ましていて、みすみす自分の
家に押し入らせはしないだろう。だから、あなたがたも用意して
いなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

◎初代教会ではクリスマスの降誕祭で主の再臨について学ぶことが
習慣となっていました。これによって神の国に入る備えをして、
キリストの降誕を祝ったのです。

私たちは、いつでも天に挙げられ、主の再臨の時、共に降ってくる
栄光を持ちたいものです。

主イエスはいちじくの木の譬をもって語ります。「いちじくの木」は
ユダヤ人を表します(エレミヤ書24章)。

葉があっても実を結ばない、いちじくの木を主は呪ったことがありま
した、それは、外側の形式を守っていても真実のないユダヤ人を呪わ
れたことです(マタイ21:19)。

彼らは長い冬を過ごしましたがついに1948年にイスラエル国家が復興
しました。枝が柔らかくなり、葉が伸び、命が現れ出ました。
夏(神の国)が近いというのです。

ルカ福音書では「ほかのすべての木(諸国民)を見なさい」(21:29)
とも述べています。すべての民族主義が優勢となり、独立の気運が
満ちてきます。

これは教会に向って語られた艱難の始まりであり、イスラエルや
諸民族の復興は主の来臨のしるしでもあります。その日は誰も知り
ません。ちょうどノアの時と同じです。

◎創世記に見られるノアの時代の洪水と箱舟の出来事は、艱難と携え
挙げの予表として理解できます。ノアによって箱舟に入れられた
生き物は突然の洪水である艱難から免れ、守られたのでした。

主の来臨の時も同じですが、マタイ福音書24章を見ますと、畑にいた
2人のうちひとり取られ、ひとりは残されます。2人の女が臼をひいて
いるとひとりは取られ、ひとりは残されます。

ルカ福音書では、2人の男が寝室で寝ているとひとりは取られ、
ひとりは残される、とも記しています(17:34)。

ノアに属するものがすべて箱舟に入ったのに対し、ここでは残された
者がいます。彼らもまた目を覚ましているよう警告され、「いつの日、
自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないから」と
言われるように、すでに救われているクリスチャンであると結論づけ
られています。

つまり大艱難の苦難を経るクリスチャンや教会もあるということです。

「取られる」とは、大艱難の前に携挙されることです。ある者は取
られ、ある者は残される、これは命の事柄において違いがあるという
ことです。それは聖霊の充満の度合いによって違いがあるということ
です。

主の来臨までにクリスチャンの大多数は召されていますが、まだ生き
ている聖徒たちでも挙げられる者と挙げられない者があるというのです。
死ぬ前に造り変えられ聖霊充満で装備されている人たちは携え挙げ
られるのですが、残される者もいます。

◎ヨブは正しい人でしたが、地上において苦難を得ました。なぜその
ような苦難に遭う前に携挙されなかったのか、と思います。

一方、ノアもまた正しい人でした。彼は箱舟のなかに隠され守られま
した。この違いは命の違い、聖霊の充満の度合いの違いと考えますが、
ノアの場合、彼が「神の目の中に恵みを見た」とヘブル語原典訳に
あります。

新共同訳では「ノアは主の好意を得た」(創6:8)です。これは聖書で
最初の「恵み」の記述です。

パウロは「大胆に恵みの座に近づこう」(ヘブル4:16)と言います。
では「恵み」とは何でしょうか。クリスマスはキリストが地上に
来られ私たちに救いをもたらした神からの贈り物ですから、神から
与えられるものが恵みです。

この理解は正しいのですが、聖書における恵みは遥かにそれ以上です。
恵みは私たちのために事を行われる神なるイエス様です。つまり
ノアの強さと力は、神の臨在にありました。

そして神の恵みは「肉なるものを終わらせる」(創6:13)のです。
恵みは、肉の状態(サタンの臨在)に立ち向かわせる神御自身(神の
臨在)で、「ことばは肉となって、私たちの間に宿られた。・・・
それは恵み・・に満ちていた」(ヨハネ1:14)のです。

ヨブもまたこの恵み(贖う方)と出会います。 聖霊の火は、肉なる
ものを焼き尽くす十字架の業です。この世の艱難、苦難は、私たち
から肉なるものを取り除き、焼き尽くす試練です。

恵みなる主イエス・キリストを内側に誕生させる聖霊充満にある人は、
「残された者」であっても神の都における宝石となるよう備えられて
いる復活者なのです。

◎ルカ福音書21:36で、艱難から逃れて携挙される秘訣として目を
覚まして祈れとあります。これは苦難を潜る方法です。

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発行:ファイアサイド   
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連絡先:03(3359)9539
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創刊日:2002-11-10  
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