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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1090

2017/12/09

賢者の道〜Vol.1090「来りて見よ」2017-12-9
聖書:マタイ福音書1章45〜46節」

■フィリポはナタナエルに出会って言った。「私達は、モーセが
律法に記し、預言者達も書いている方に出会った。それはナザレ
の人で、ヨセフの子イエスだ。」

するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」
と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。

◎クリスマスシーズンを迎えました。まだ、イエス・キリストに
出会っておられない方もおられるのではないかと存じますので、
どうすればキリストを見出すことができるのか、このことについて
少し考えてみたいと思います。

キリストとの出会いは、生ける事柄であり、決して聖書の知識に
よるものではありません。イエスはユダヤのベツレヘムに生まれた
と聖書に記されてあります。

しかしながら奇妙なことに、聖地から遠く離れた異邦の地で星が
キリストの何かを示し、まずそのクリスマスの星は異教徒に現れた
ということです。彼らは聖書の知識を何も持っておらず、聖書さえ
持っていませんでした。

にもかかわらず神は彼らにまずキリストの誕生を啓示したのでした。
これは奇妙なことです。

◎私達もこの星を見なければなりません。では星とは何でしょうか?
それは生ける啓示、生けるビジョンであり、天のビジョンなのです。

人の知識や経験では理解できるものではありません。聖書をいくら
研究しても分かるものではありません。即自的なビジョンだからです。

当時もファリサイ人達はとても聖書的な人々で、良く聖書を学んで
いました。ところがイエスは彼らとの関係を拒否し、徴税人や罪人達
と関係を持ちました。

民数記24章17節では、「ひとつの星がヤコブから進み出る」と言い
ますが、ヤコブの人々の誰にも現れず、異教徒達に現れたのは、
不思議なことです。

さて、異教徒の占星術の学者達が天の星を見てついて行きましたが、
大きな過ちを犯しました。彼らはビジョンを受けたのですが、星の
運行などの知識を用い、この星が「ユダヤの王」であることを表徴
していることに気づきました。

そこで彼らはエルサレムへ行って専門家の意見を聞こうとしました。
これが間違えでした。そのためヘロデ王によって多くの幼い命が
取り去られたのです。

これを聞いて、ヘロデ王やエルサレムの人々の多くは不安を抱きま
した。なぜでしょうか?彼らはメシア(キリスト)を待ち望んでいた
のではなかったのでしょうか?なのになぜ不安を抱いたのでしょうか?

これが宗教の実態です。多くのキリスト教の牧師もおそらく主の再臨
に不安を抱くのではないかと思います。宗教的人間と啓示的人間の
違いがここにあります。

ヘロデ王は祭司長や律法学者達を集めてメシアがどこに誕生するのか
を尋ねました。彼らは即座に答えました。「ユダヤのベツレヘムです」。
彼らは旧約聖書のミカ書5:2を示し、そこに預言されていると告げた
のです。

しかし彼らのうち、誰かベツレヘムに行ったでしょうか?いいえ、
誰一人行きませんでした。理屈では分かっていても、実践がありま
せん。それは間違った信仰心を持っていたからです。

それは、クリスマスのお祝いをするなら、キリストに出会えるはずと
考える愚かさに似ています。

◎エルサレムを去った占星術の学者たちは、宗教的観念を離れた時、
再び星を見出し、その星に導かれて進み、ついに幼子のいる場所に
着きました。星を見て彼らは失っていた「喜びにあふれた」とあり
ます。彼らは初めからエルサレムに行く必要などなかったのでした。

星を失うと喜びがなくなり、星が現れると喜びに包まれました。
宗教の世界に浸っていても、生ける導きを受ける事はありません。

そこでは天のビジョンを受けることはできないのです。ミカ書を
読んだだけではメシアを見出せません。聖書の知識があるだけでは
メシアを見出せません。主イエス(神)との親密な関係に生きな
ければならないからです。

聖書の知識はもちろん必要ですが、生ける即自的な導き、聖霊の導き
なくして正確にメシアのおられる所に導かれることはありません。

メシアであるイエスの所に連れて来て、礼拝させ、黄金・乳香・
没薬の贈り物を献げるようにさせたのは、生ける神の導きがあった
のです。

その後、彼らは夢のお告げを受け「別の道を通って」(マタイ2:12)
自分達の国に帰って行きました。私達もキリストに出会ったならば、
常に別の道を通って行く、間違った道を通らないで正しい道を歩む
べきです。エルサレムに戻らないことです。別の道を行くのです。

キリストに出会ったことのない人は、宗教に戻ることに関心を持ち
エルサレムに戻りますが、キリストに出会った人は、別の道を行く
のです。それは啓示の道です。

◎ヨハネ福音書1章にあるナタナエルの事例も同じ原則に基づいて
います。

フィリポはイエスを見出したので、ナタナエルの所にやって来て
「キリストを見出しました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスに
会いました」と告げました。

敬虔なナタナエルは聖書を良く学んでいましたので「ナザレから
何か良いものがでるだろうか」と反論しますが、フィリポは議論
せず、ただ「来りて見よ」と答えました。彼はナザレではく、
ベツレヘムからキリストは生まれると学んでいたのです。

しかし、神は「こっそりとした」方法で来られました。主が胎児に
宿ったのはベツレヘムではなく、ナザレにおいてでした。そして
神はローマ皇帝アウグストゥスを用いてエジプトへ旅し、その後
ナザレに落ち着いたのでした。

このようにイエスは、ベツレヘムから来ると預言されていましたが
ナザレの寒村から出てこられたのでした。

ただ、聖書の知識を持っているだけでは、主の臨在を失うということ
があり得るのです。イザヤ45:15は「まことにあなたは、御自身を
隠される神、イスラエルの神よ、あなたは救いを与えられる」とあり
ます。主は御自身を隠す神です。主を賛美し見出すことを学ぶこと
です。

◎主を見出す新約聖書的方法は、星の導きを持って主の隠れた臨在
を肉によってでなく霊によって見出す信仰的探求によるのです。

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発行:ファイアサイド   
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場  所:東京信愛教会 東京都新宿区若松町8-3
連絡先:03(3359)9539
地下鉄大江戸線「若松河田駅」下車(徒歩2分)

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創刊日:2002-11-10  
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