その他ニュース

賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

全て表示する >

賢者の道〜 Vol.1080

2017/11/04

賢者の道〜Vol.1080「神の御心を知る人」2017-11-4
聖書:ヨハネ福音書7章14〜18節

◎回心した直後のパウロは第一に「主よ、どうしたらよいでしょうか」
と問うたのでした(使徒22章10節)。

これは、彼だけでなく多くのキリストの中に生きる人々が、自分の
進路を選択する時、いつでもこう問います。これは内側に得た命と
霊の法則が、そう促し要求するからです。

神の御心(みこころ)どおりに行うことには平安があります。しかし
そうせず、自分の意志で歩む道は、苦しみが伴い喜びも失せ、回り道
をしてしまうことがあります。

そればかりか、いつも貧しく、苦しむ結果となります。しかも最終的
には、神の御心に従わねばならないのです。では、どのようにしたら
神の御心を知ることが出来るのでしょうか。

◎それには、次の三つのことがうまく合わさったとき把握できます。
「環境の整え」・「聖霊の導き」・「聖書の教え」です。

この三つの事柄の証しが同じであり、一つの路線で一致するとき、
神の御心と判断できます。もしそのうちの一つが他の二つに一致
して無いなら、早急な決定を差し控えるべきなのです。

環境の整え いかに安い雀であっても神の許可なくして地に落ちる
ことが無いように、すべての状況は神の許可を経なければなりません。

神は人の髪の毛ですらいい加減にはせず数えておられるとあります
(マタイ10:30)。従って私たちが出会う事柄はすべて神の管理に
あり、何一つ偶然はないのです。すべて主の計らいの中にあります。

ですから環境の中で主の御手の働きを見ることを学ばなければなり
ません。もし、私たちが神の御心で無い方向に行こうとするなら、
神は、環境を通してそれを正そうとなされます。

この神の干渉に従わないと、深みにはまり難儀し、時には恥ずべき
状態へと落ち込んでしまいます。

聖霊の導き 環境の整えは、私たちの外側での反応ですが、神は
私たちの内側にあって直接導きを与えてくださいます。いまやキリ
ストの十字架の贖罪の業によって「新しい霊」(エゼキエル11:19
,36:26)を与えられ、神の霊は人の内に住むことが出来るのです。

ですから、神の霊は御心を告げ、聖霊に満たされている人はその神
の思いを知る感覚が与えられるのです。神から出ていることと出て
いないことを知る感覚が与えられるのです。

◎具体的には二つあります。聖霊による行けと止まれです(使徒8章、
10章、16章)。

これは内側の感覚の問題です。声のようでもあり声のようでもない
感覚です。主要な導きではありませんが、夢、幻の中で感じる場合
もあります。

但し、これが日常茶飯事となっている人は霊的病気の場合もあり、
神経の衰弱かサタンの攻撃を受け、悪霊の惑わしにいることがあり
ます。不正常な現象ですから注意しましょう。

聖書の教え、神の啓示は聖書を通して知らされます。過去の多くの
人々は様々な出来事に遭遇し神の御心を求めました。そのとき
神は御旨を明らかにしました。そのときの範例、原則が聖書には
記されてあります。

神の御心が聖書の教えと反することは決してあり得ません。祈り
御言葉が与えられるよう求めるのです。神はある箇所を、力強く、
新鮮に、生き生きと心に置いてくださいます。

しかし占い方式で聖書の章節を求めるのは危険です。ですから平常
から聖書をよく学び、御言葉に接しているべきです。

環境の整え、聖霊の導き、聖書の教えの順番はまちまちで決まって
はいません。ただ神の働きかどうか、神がわたしになさしめたい
ものなのかどうか、この時は神の時かどうかです。

そして「環境と聖書と聖霊の導きを一直線で整えてください」と祈る
のです。

◎更に神の御心は教会にも現れます。

聖霊の支配に生きる人々の同意を得ることです。彼らは肉的にも
対処し、御言葉(みことば)への認識も深くありますから、アーメン
と言うかを感じる必要があります。同意がなければ待つ必要があり
ます。

何でも真実のことは多少ゆっくりする余裕があります。しかし偽りの
ものは性急に動きます。二、三日待って主が何の言われるか待つのが
いいのです。即答して失敗した例は山ほどあります。

教会の感覚は比較的頼りになりますので、他の同志があなたの得た
「導き」に同意しないなら、自分の意見を固執せず、へりくだって
学ぶことです。

また、教会の兄弟姉妹たちは霊的な事柄に対して相当な認識を持って
いるべきです。しかし日常の些細なことについて決定しなければなら
ない事柄は、人としての常識に従って決定して結構です。

◎最後に今まで述べたのは方法論です。しかし、いかに方法が正しく
ても神の御心を知ることが出来ない場合もあります。それは人が正し
くない場合です。

「主よ、御心通りにおこないます」と祈らず反逆的であれば無駄な
ことです。御心を知るだけでなく、行ないたいと願う決意がなけれ
ば、何の意味も無いのです(ヨハネ7:17)。

神の思いをなしたいという熱い願いがあるならば、方法を知らなく
ても神が御心を知らせてくださるのです。

------------------------------------------------------------
発行:ファイアサイド  協力:おとずれ社 
まぐまぐ(ID:99821) http://www.mag2.com/
melma!(ID:151618) http://www.melma.com/
------------------------------------------------------------

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2002-11-10  
最終発行日:  
発行周期:週1〜2回発行  
Score!: 100 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。