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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1072

2017/10/07

賢者の道〜Vol.1072「永遠の命」2017-10-7
聖書:ヨハネ福音書17章3節

◎基督教と仏教との対話はニつのテロス(究極的目的)に要約されます。

基督教においては、神の国〔永遠の生命という象徴の置き替えうる〕
と仏教における涅槃〔ねはん・サンスクリット語のニルヴァーナの
音訳、吹き消された状態の意〕といえます。

仏教は、輪廻から解脱して涅槃に入る事を目指しています。
輪廻説によると生命は「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天人」を
転生し続けるというのです。

人間界にしても生老病死[ショウロウビョウシ]、愛別離苦[アイベツ
リク](愛する者との別れる苦しみ)、怨憎会苦(憎い者と会う苦しみ)
求不得苦[グフトクク](求めて得られない苦しみ)、五陰盛苦[ゴオン
ジョウク](煩悩の苦しみ)四苦八苦[シクハック]などのさまざまな
苦しみがあります。

また、天人(テンニン)界にも死という苦しみがあり、基督教の天国
(神の国)とは異なっています。

かくして輪廻説では、生命はこれら六つの世界を回り続けるという
のです。

生きることは、永遠に苦しむことなのです。そこでどの世界にも生ま
れなくてすむ者となることが願いとなります。輪廻転生の束縛からの
解放です。これは仏教が目指すものです。

「深く思い込み、物事に固執する原因は、自己の生存である」(法華経)。
苦しみからの解放は、すべての執着心を断つことだと釈迦は教えました。

つまり自己の存在を否定し、生そのものを問題にしないならば、輪廻
の世界に生まれることがなくなり苦しみから解放されるというわけです。
「悟り」を開き、執着心を捨てろというのです。

解脱とは二度と生命を受けないことなのです。執着心、欲望、煩悩を
断てば「涅槃に入る」と仏教は説きます。

涅槃には二つの解釈があります。1つは、絶対的静寂(喜びも悲しみも
ない絶対的無に状態)、もう1つは涅槃には喜びがあるいうものです。
基督教の天国のイメージです。

「浄土」「仏国土」などの言葉と結合し、歓喜、幸福、永遠の生命
がある、とされました。大乗仏教はこの解釈に立ちます。

しかし、この考え方は後世になって付加されたものです。初期の仏典
で、涅槃はすべての生命に関するものが絶やされた状態を意味します。

◎基督教では、対照的です。生命を否定しません。むしろ生命に
徹底的に固執します。

本当の生命、充実した生命、永遠の生命を求めます。これは輪廻説に
立つ仏教と創造論に立つ基督教に違いです。

基督教では、前世はありません。死後、動物に生まれ変わるなどとは
信じません。生は一回限りの特定されたもので神から預けられ、管理
しなければならないものなのです。

ですから、とことん大切に扱い、この世に生を受けたことを感謝する
ように教えられます。生存からの脱却ではなく、現在の生に使命を与え、
愛と清さと喜び、永遠性を与えることを目指します。

生命の外に行くのでなく、生命の躍動と輝きの中に入ることを目指
すのです。
 
涅槃が「強風に吹き飛ばされて消滅した火炎」にたとえるならば、
神の永遠の生命は「消えることなく燃えつづける永遠の生命体」に
たとえられるかもしれません。

預言者モーセは、シナイ山で「燃えていたのに燃え尽きない柴」(出
エジプト3:2)を見ました。それは神の永遠の生命、光と熱と愛に
よって象徴されます。

基督教の救いは、神の生命に中への参与にあります。参与の原理です。
これはアガペー(神的愛)を生じ、受け容れざる者を受け容れ、かつ
その者を改造する力を生みます。

これに対し、涅槃においては、存在するすべてのの同一・合一を目指
します。自然との感情移入による同一化、動物殺生の禁止などの慈悲
概念を根底にもつ同一性の原理があるからです。

しかし、ここには他者を改造する意志が欠けています。社会構造や
個人の思惟構造を変えようとする意志が欠けるのです。

◎さて永遠の生命について考えて見ましょう。基督教のそれは、いつ
までも尽きない生命ではありません。

所有物、恋人、名声などを得る嬉しさ、幸福感は「外部」のものに
依存していますから、そう長続きはしません。いつか飽きが来ます。
退屈します。

しかし、永遠の生命は「内部」に源泉をもつ幸福です。イエスは
「永遠のいのちとは、神とキリストとを知ることにある」と教えま
した。神とキリストとを真に知れば永遠の生命にあずかれるという
のです。

知るとは、深い関係に入る事です。愛と生命の交わりに入る事なの
です(ヨハネ福音書1章3節)。永遠の生命は、その交わりの中にあり
ます。

その交わりが、永遠の生命なのです。キリストの御体なる教会との
交流がいかに大事かがお分かり頂けるのではないでしょうか。

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発行:ファイアサイド  協力:おとずれ社 
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