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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1058

2017/08/19

賢者の道〜Vol.1058「不正な管理人の譬と法を越える愛の原理」2017-8-19
聖書:ルカ福音書16章1〜9節
   
◎「神は無秩序の神ではなく、平和の神」(コリント14:33)である
のですから、教会には秩序が必要です。

パウロは当時のコリントの教会内で語られていた異言や預言の問題
において細かな配慮を致します。しかし福音とまったく関係無く、
ただ秩序正しくあればいいというわけではありませんでした。

「婦人たちは、教会では黙っていなさい」(34)との発言は当時の
社会観を反映させたもので、福音とは無縁ものであります。
従って日本基督教団では、婦人教職を認め、教会での説教を許し、
このことが教会の無秩序とは考えてはおりません。

では教会の秩序を守るための教会法がどのような理念なのでしょうか。

教会法に方向性を与える聖書的箇所を見ましょう。まず毒麦の譬
(マタイ福音書13・24〜30)です。この毒麦は小麦に似た雑草で、
それは有毒で眠気、吐き気、けいれんを起こし,死に至らせること
さえあります。

その芽や葉は、小麦そっくりです。実が実るまで小麦と毒麦も区別
がつかないのです。小麦の実は、黄金色で、毒麦の実は黒いのです。

この譬は、神の国のしるしである教会共同体で、小さい時は小麦と
毒麦の区別がつかないので、人の浅はかな知識で誰かを教会から排除
してはならないというわけです。
 
しかし、排除を肯定しているように読める箇所もあります。
「兄弟の忠告」(マタ福音書18・15〜17)です。教会のいうことを
聞かない者は異邦人や徴税人のように、教会の交わりの外に置く
というものです。

しかし「迷い出た羊」の譬と「仲間を赦さない家来」の譬に挟まれて
おるので、追放・排除の方向性より、救霊の対象として主イエス様が
「異邦人や徴税人」に接した様に、愛をもって接しなさい、と理解
できます。

またコリント5:1〜13にも「不道徳な人々」と「交際するな」、更に
「除き去りなさい」と除籍、除名のように響く言葉が見られます。

しかし「一切つきあってはならない、ということではありません。
もし、そうだとしたら、あなたがたは世の中から出て行かねばなら
ないでしょう」(10)とあり、決して除名、の意味ではなく、外に
ある者を審く神にまかせ、放置しなさい、の意味です。

確かに教会組織の拡大に伴い仮現論などの異端からの防衛のために
神経をとがらせていた感が無くも無いのですが(ヨハネ10)、起点は
「互いに愛し合うということ」(同、5)、「仕えること」(マルコ10・
45)でした。

このことは、正・不正などを問う法を越える愛の原理こそ、教会が
常に知らねばならないものだというのです。

◎ルカ福音書16・1〜13の「不正な管理人」の譬は実にそれを示す
ものです。

ある管理人は主人から託された財産を使い込み、困ったので主人に
借財のある人達を呼び寄せ、証文の額面を少なく書き換えさせた。
背任横領と文書偽造を犯したのです。

ところが主人は不正の管理人の抜け目の無いやり方をほめたというの
です。そして「不正にまみえた富で友達を作りなさい」(9)というの
です。不正がいいわけではありません。しかし、正・不正を越える
愛の原理がある、それが「友達を作る」事だとというのです。

この話の前のルカ15章には「見失った羊」の譬、「無くした銀貨」
の譬、「放蕩息子」の譬がでてきます。

失われたものの発見した際、「友達や近所の人々」(6、9、29)と
喜んで宴会を開き、神の国とは、そのようなところだ、というのが
主イエス様の理解です。

金は不正な手段で得ることも多い。ある方が言うのには「商売とは
ある面、詐欺のようなものだ」そうだ。安く仕入れて高く売る。
しかしそのことと金を善用することとはまったく別なのです。富を
施しに使い、その善行により友達を作ることは次元の違うことなの
です。

教会法について更に考えてみましょう。教会法はまず神への奉仕で
あり、戒めであり、礼拝の秩序であります。教会は2、3人が「主
イエスのみ名によって」集まる(マタイ18:20)ところです。しかも
主の死と復活の再確認の場としての聖餐が執り行われるのです。

そしてそこに集う人々に仕えるものが教会法であるわけです。です
から、教会法は「招く」法であって、「排除する」法ではないの
です。

除名や陪餐停止などの戒規が不要というわけではありませんが、
それに強制力を持たせるべきではありません。教会法は、世俗の
法ではなく、恵みの法であり、福音を指し示すのであります。

わたしたちに対する唯一の法、戒めは「互いに愛し合う」ことであり
「仕える」ことであり、奪うのではなく与えることなのです。そして
教会法はその展開でなければならないのです。

義・不義を論ずることは多いのですが、それを越えた掟を忘れること
の無いように注意したいものです。

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