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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1050

2017/07/22

賢者の道〜Vol.1050「豊かなる条件」2017-7-22
聖書:ルカ福音書6章38節

◎イエスの話を聞いていた人々の大半は、貧しい人々でした。
その彼らに向かってイエスは豊かになる原則を説きました。

ルカ福音書6章38節で教えるように、主は一つの条件を満たすよう
に告げました。それは、「与えなさい。そうすれば、あなたがた
にも与えられる」という条件です。

聖書の原則は、富を蓄えれば貧しくなり、与えることを知る人は
豊かになるというのです。もし私たちが十分の一を与えるならば、
人も十分の一を与えるでしょう。

つまり私たちが量るその量りで、私たちも量られるというのです。
最高のものを人に与えるならば、最高のものを与えられ、もし役
に立たないものを人に与えるなら、役に立たないものを人はあな
たに与えるというのです。

つまり収入の問題は支出に問題があるからです。

神の原則ははっきりしています。金銭を求めるとき信仰を働かせ
るだけでなく、金銭を与えることで信仰を働かせることが必要な
のです。

ですから受ける前に、与えることを学ばなければなりません。
欠乏する時はいつでも与えることで、問題があると言ってもいい
のです。

余分なものがないか省みる必要があります。物が多すぎるので
主が与えない場合もあるからです。そこでまず神の言葉を神の
言葉として信じることです。

もしあなたが他の人に与えるならば、あなたの欠乏を他の人が
必ず満たしてくださるのです。人に対して与える恵みがなければ、
神の恵みはやって来ないのです。

自分のお金を与えて神が奇跡を行って下さるように願うのです。
お金を与え、他の人の祈りが答えられるためです。

入ってくるより少し多く与えるようにする事です。お金は眠らせ
たままにしていてはならないのです。使わないお金があるなら与え
るのです。

それは必要な時戻ってくるでしょうが、そのときは与えたときより
も多くなって戻ってきます。

◎「与えなさい。そうすれば、あなた方も与えられる」のです。
他の人に与えれば、神が私の必要を与えてくださるのです。これを
学ばなければなりません。

与える人だけが、与えられる人になるのです。いつも何倍にも増し
加わって戻ってきます。お金を握りしめている人は、神に信頼して
託すことができないケースが多いようです。そして握りしめれば
しめるほど貧しくなります。

コリント9章6節の「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り
入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなの
です」というのは、金銭の取り扱い方の原則です。

与えるというのは、種を蒔くことです。蒔けば成長します。蒔か
なければ刈り取れませんように、与えなければいくら祈っても与
えられないのです。

◎コリントの人々は、エルサレム教会の人々にお金を支援し、
彼らの必要を顧みられました。これをお金を捨てることではなく、
蒔く事だとパウロは言いました。

献金は捨てることでなく、蒔く事です。収穫がきたら刈り取れるの
です。それを困っている人や団体のために捧げるなら、神はそのお金
を育て、幾十倍にも増やしてくださるのです。お金を種として蒔く事
を学んでください。

そうすればあなた自身に必要が生じたとき、回りまわってその蒔いた
ものを刈り取ることが出来るのです。蒔いていなければ決して刈り取
ることは出来ません。

貧しくなる人は、もっているものを使い果たしているからです。
米一俵あってもすべて食べず半分残して種として蒔けば、来年には
刈り取れます。

来年もまた半分残して蒔けば、再来年にまた収穫があります。
食べるだけでなく蒔くことを学ばなければなりません。

◎また、マラキ書3章10節の什一の原則も大切です。貧しい時、
10キロの米でも足りないのに、9キロで足らせよといわれても無理
ではないか、と人は考えます。

しかし神はこう言います。「十分の一の献げ物をすべて倉に運び、
わたしの家に食物があるようにせよ。これによって、わたしを試し
てみよ」。

つまり10キロは貧しさの原因であり、9九キロが豊かさの原因なの
です。人の手の中で握っているものが貧しさの原因で、神への
ささげ物が祝福の原因なのです。

1キロが私たちの手の中にあるなら、それは呪いとなるのです。
しかし神の倉に入れるならは祝福となるのです。これが原則です。
神に献げるべきものを家にしまっておくなら自然と貧しくなります。

箴言11章24節に「散らしてなお、加えられる人もあり、締めすぎ
て欠乏する者もある」とあります。エリヤは旱魃の時カルメリ山上
で雨を求めました(列王記上18章)。

彼は祭壇を建て直し、貴重な水を注ぎかけたのです。しかも川の
ようになるまで注いだのです。そして、祈りました。

神はその祈りと行為を見て、大雨を降り注いだのでした。自分の
水をまず注がなければ、天の水は降ってこないのです。
与える道を歩む時、豊かになります。神は奇跡を行います。

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