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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1037

2017/06/07

賢者の道〜Vol.1037「兄弟愛に満ちた沈黙と讃美」2017-6-7
聖書:使徒言語録11章17〜18節                

■こうして、主イエス・キリストを信じるようになった私たちに
与えてくださったのと同じ賜物を、神が彼らにもお与えになった
のなら、私のような者が、神がそうなさるのをどうして妨げること
ができたでしょうか。」

この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い
改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。

◎ペトロは、異邦人のコルネリウスを受け入れたことに対して、エル
サレムの母教会の兄弟たちから厳しく非難され弁明せざるを得なく
なったのでした。

ユダヤの習慣では、異邦人とユダヤ人が交わらないし、決して食事も
共にしなかったのです。それを犯したのですから吊るし上げにあった
わけです。これは、私達が聖書の教えに従って人を差別せず、みことば
どおりにホームレス・ミニストリーを展開した時に起こった非難と同じ
であります。一般人は、彼らと交わったり、食事をしたりしません。

しかし、大事なのは新しい創造と愛によって働く信仰だけですが、
教会人であっても、一般人と何ら変わらない生き方をしている人も
いるのです。キリスト信仰があるのか疑問で、大いに反省しなけれ
ばならないことです。

「神は人を分け隔てなさらない」(11:34)のであって、キリスト
の御体である教会が神の御旨にそって行動しなければならないのは
当然なのですが、実際はそうはなっていない教会が多いようです。

ペトロは神の示しを受け、まずイタリアの百人隊長コルネリウスが
遣わした使者を「迎え入れ、泊まらせた」(11:23)のです。

これは、素晴らしい光景です。感覚的には偏見無く、ホームレスの
人々を快く迎え入れ、泊まらせたに等しき行為でした。高慢と偏見が
あっては教会は前進も発展もしません。みことばに従わねば祝福を
得ることはないのです。
 
確かに教会といえども非難や討論はあります。教会なら討論や非難
など無く愛と平和と祈りで、満ちていると考える人もいます。そう
思っている人は信徒間で議論が起きるとつまづいてしまう人です。
しかし、キリスト教会の歴史はいつも論争の歴史であったといっても
過言ではありません。
   
このペトロに対する非難に対して、彼は弁明するのですが、教会での
討論の仕方というものがあるのを今日のみことばの箇所から教えられ
ます。

「ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた」(11:4)。彼は
自分の手紙(1ペトロの手紙3:16)で「穏やかに、敬意をもって、
正しい良心で、弁明するようにしなさい」と教えています。

教会でのディスカッションの方法は、この福音の精神を離れると混乱
します。威圧的、軽蔑的、叱責的に討論すると、人をつまずかせる
ことは、火を見るより明らかです。
 
◎伝道の成果は「異邦人も神の言葉を受け入れた」のですが、結果が
よければ方法はどうでもよい、という訳ではなかったようです。

「神のみことば」が果たして正しい聖書的的内容だったのか、「受け
入れた」信仰が、果たして本物の聖書信仰であったのか、です。神の
みことばとは言いつつも、人間の考えまで滑り込ませ押し付けては
いないのか。

ですから伝道学が研究され、効果的な伝道法ばかりでなく、何が
正しい伝道法なのかを、教会は神の前に問うてきたのです。

既にペトロは「革なめし職人シモン」(10:6)の家に厄介になって
いました。獣の死体を触る職業の人ですから、穢れた社会階層の
被差別者でした。

この箇所では、単に人種差別のことが問題にされているのでなく、
異邦人が救われるにはどのような順序をとるべきなのかが問題と
なっているのです。

◎ペトロは、自分のしたことの正しさを弁明するにあたって幾つかの
根拠を挙げます。

第1は、神から3度も繰り返して幻とみことばを頂いた。
第2は、その幻がコルネリウスの使者に関わることであり、幻を見た
とたん使者が到着したという絶妙なるタイミングと御霊のお告げ。
第3は、ペテロのほか6人の兄弟たちも同伴し(12節)これらの幻の
証人となっている。
第4は、コルネリウスのところにも天使が現れ、み告げがあった。
第5は、ペトロの説教中に、御霊がしるしを伴って下られた。
 
ペテロの言わんとする事は明らかです。神は、地の四隅の中にいる
あらゆる種類の人間を、そのまま神の供え物としてささげることを、
求めているのです。信仰という条件を満たすならば、救われるという
確信です。

◎神の御心が分かった時、人々がとった態度は「沈黙」と「讃美」で
した。

神の御旨が分かった時、討論は終わります。そのとき自分の主義、
主張もすべて「沈黙」させ面子を捨て「静まり」(18節)、共に
「神を讃美」(18節)することが、教会的終わり方なのです。

いつまでも、口も利かない位に気まずい思いを持ち続けるのは、
救われた兄弟達のなすべき態度ではありません。神の思いの高さに
立って、まず互いに至らなかった点を詫び合い、祈りと讃美を共に
して兄弟愛と一致を固めるべきなのです。

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