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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1036

2017/06/03

賢者の道〜Vol.1036「聖霊の満たしと注ぎ」2017-6-3
聖書:使徒言語録2章30〜33節

■ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座
に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。
そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てて
おかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました。

神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの
証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を
御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このこと
を見聞きしているのです。

◎新約聖書の中心的啓示は、キリストの受肉、十字架、復活、昇天
の4項目で、それらは聖霊を通して成就され、主のみからだの形成
のためでした。

神が人となったとき人の要素と性質が加えられました。十字架の死
を通過したとき、死の性質と力が加えられました。復活を経過した
とき、復活の要素が加えられました。また昇天したとき、昇天の要素
が加えられました。

このように神は今や受肉以前の神とは同じではありません。神は多く
の要素を持っています。

受肉の要素、死の要素、復活の要素、昇天の要素はすべて神の中
にあります。肉体となり、死んで復活し、昇天した後、神はペンテ
コステ(五旬祭)の日に下って来られました。このお方が聖霊でした。

しかし、この聖霊は、受肉以前の神ではなく、ご自身が元々所有
していたものに加えられた要素を持っておられた神でした。

神の要素を所有することに加えて、人の要素もまた所有しておられ
ました。しかもそれだけでなく、死んで復活し昇天した結果、死と
復活と昇天の要素を持ちました。

ですから、ペンテコステの日に下ってきた聖霊は実に豊かでした。
その中には、神もおられましたし、人もいましたし、死と復活と
昇天がありました。聖霊がどんなに豊かであるかということです。

神の霊が聖霊の中にあるだけでなく、受肉された神の人性も聖霊の
中にあります。さらに、十字架の死、復活、昇天、天の豊富と権威
もまた聖霊の中にあります。

聖霊が私達の中に来る時、私達はすべての豊富を経験するのです。
私達は小さく、虚しい者ですが聖霊が内在するとき、豊かとなり
ます。

十字架と復活の意義は、人が神のすべてを受け取るための前提として
贖罪、和解、赦しがなされたということです。

十字架により、神と人のすべての問題を解決し、復活において人を
神の豊かさの中にもたらしたのです。そればかりか主は昇天され、
天の性質と祝福を経過して聖霊となって下られたのです。

これらのすべての過程を経過して、神は私達が霊性を実際に
経験するようにと道を開いたのでした。

人が聖霊に触れるとき、神に触れる実際へともたらされます。たとえ
人に主イエスは、私達の為に身代わりとなって十字架につけられた、
と話したとしても、それは教理にすぎません。

十字架は、実際ではありません。しかし、聖霊において、十字架は
実際となります。聖霊において、人は十字架に触れ、十字架を経験
することができるからです。私達が信じるすべての実際は、聖霊の
中にあります。

どんな教えや肉の熱心さや模倣によって生じるものではありません。
真のクリスチャン生活とは、私達の霊が神の霊に触れることによって
生じるもので、自分自身に信頼した結果ではありません。

ある人たちは、聖書をよく読み、勤勉に兄弟姉妹たちを訪問し、交わ
りを持ち、長い祈りをします。弱い人や、躓いた人や、困難な人に
同情し、慰めを与えます。

しかしながら、これは霊的な実際ではないし、真の霊的な生活の表現
でもありません。むしろ肉の熱心さです。このような熱心さと勤勉さ
は肉によるものです。

へりくだりと柔和さにしても神の霊に触れられて生み出されたもの
でなく、修養し、模倣して得たものですらあります。かといって、
何もしなければだらしなさと冷淡と不親切を露呈することになります。

それではどのように生活すべきでしょうか?神の霊が私達の霊に触れ
霊的な命となり生み出されるものであるべきなのです。

主イエスは復活されてから、霊のからだを持って戻ってこられました。
そして復活の日の夕方、『聖霊を受けよ」と言いつつ弟子たちに息を
吹きかけました(ヨハネ20:22)。

このように復活によりご自身を命の息として弟子たちの内に入られ
ました。これはペンテコステの50日前の出来事です。

弟子たちは復活の日に、「命の霊」である聖霊の満たしを受けまし
たが、主がまさに天に昇ろうとされたとき、弟子たちに「高い所
からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)
と言われました。

ペンテコステの日に聖霊は激しい風のように力を持って臨んできま
した。私達は命に満たされる為に内側に「命の霊」を飲まなければ
なりませんが、一方、奉仕と務めのために力を備えるために、外側に
「力の聖霊」をまとわなければなりません。

命で強められ、力で備えられるのです。ところが多くの教会の問題
は、内面的にも外面的にもこれらが欠けているクリスチャンが多い
ことです。

ではいかにして聖霊の内なる満たしを受け、聖霊の注ぎを受けるか
と言うことです。

それにはキリストの命の霊である聖霊が私達のどの部分に加えられるか
を見なければなりません。人として私達には三部分があります。
すなわち霊、魂、体です(テサロニケ5:23)です。魂は、思い、感情
意志から構成されています。最も内なる部分は霊です。

物質世界は体を用いて触れ、精神世界は魂を用いて触れ、霊の世界
は霊を用いて触れることができます。

神は霊です(ヨハネ4:24)から、神に触れるには霊を用いなければ
なりません。魂、ことに思考を用いて神を感じ取ることはできません。
「魂の人は、神の霊の事柄を受け入れません。・・・しかし霊の人
は、すべての事柄を識別します」(コリント2:14〜16)。

クリスチャンは霊では造り変えられていますが、魂において造り
変えられていなければ、キリストがいないということです。
感情的な人は、短気を起こしそうになったらストップするように
祈り、幸せで笑おうとするなら、笑いすぎないようにストップする
ように祈ることです。

感情を死に渡すなら、復活が続き、聖霊に満たされ、注がれます。

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