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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道〜 Vol.1030

2017/05/13

賢者の道〜Vol.1030「天の王座に着く」2017-5-13
聖書:エフェソ2章4〜6節

■しかし、憐れみ豊かな神は、私達をこの上なく愛してくださり、
その愛によって、罪のために死んでいた私達をキリストと共に生かし、
―あなたがたの救われたのは恵みによるのです―
キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせて
くださいました。

◎教会暦では、春分の日の次に来る日曜日を「復活日」と定め、そこ
から40日たってキリストが天に昇ったことを記念し、「昇天日」とし
ました。

ペンテコステの10日前になります。使徒信条では、「天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり」と告白しています。この古代的
表象である「天にのぼり」という表現がいまひとつ分り難いのですが、
エフェソの信徒への手紙の構造から話したいと思います。

◎紀元64年頃、パウロはローマで投獄されていたのですが、エフェソ
の信徒達にこの手紙を回状のような形で送りました。

ここで取り上げられている緊急課題は、異邦人信徒とユダヤ人信徒
との関係で、異邦人信徒が差別をされ、問題が起っていたようです。
なんとか障害を取り除き「敵意の中垣を取り壊し」、「和解」へと
向かおうと言われています(2:14〜18)。

エフェソのすべての信者は、神から招かれ集められたのですから、
その招きにふさわしく謙虚かつ寛容の心をもって霊による一致を
目指して歩まねばなりません。

そのために必要なことは、それぞれの違った働きを、それぞれに
賜った恵みと考え、教会の建造のために奉仕することです。しかし
残念なことにエフェソの教会には、現場で熱心に伝道と奉仕に勤しむ
信徒に対して、役目ということで足を引っ張ったり、威張り、教会の
成熟を妨げる人がいたようです。

そこで実践要綱として「神に招かれたのですから、その招きにふさ
わしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を
保つように努めなさい」(4:1〜3)と言います。

「一切高ぶることなく」と訳された原語は、低い心を持つ、低い身分
にとどまる、低い所につく、という意味です。「謙虚」と訳している
場合もあります。

でも「謙虚」をこころの問題と考えては難しいのです。謙遜にして
いるようでも、相手を威圧している場合もあります。低い所を歩み、
陰府にまで下りたもうた主を仰ぐことしかできません。

従って、心の思いはニの次として体を低い所に置き、人の一番嫌がる
苦しい道を嫌な顔をせずなすことです。

主イエスの歩まれた十字架から陰府への道を眺めるのです。低き所
にいる者だけが、高き所を仰ぐことが出来るのです。「柔和」である
とは、自分のために争わないことです。

「寛容の心」との原語は、「辛抱強さ」です。虐待を耐え忍ぶこと
です。私達は他の人との交渉でこれらの美徳を活用すべきです。

リビングバイブル訳では「謙遜で柔和な人になってください。愛を
もって互いの欠点を思いやり、互いに忍耐してください。・・・
互いに仲良く暮しなさい」とあります。

問題のある人達を捨てるのではなく愛の中で忍ぶのです。これは
キリストの復活の命によって造りかえられた人性があることを暗示
します。

◎4:8で「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、人々に賜物を
分け与えられた」とありますが、「高い所」とは何でしょうか。

この箇所は詩編68:19からの引用です。出エジプトの民はシナイ山を
経て荒野をさまよい、ヨルダン渓谷の一番低い所(海抜下400m)を
通り、エリコの町を通って、パレスチナの高地のエルサレム(海抜
800m)に至りました。

その際捕虜を低地から高地まで引っ張っていき、そこに住まわせたの
です。パウロは、このエピソードを利用し、イエスの復活、昇天を述べ
たのです。つまり、主イエスは人々を捕虜として天に連れて行ったと
いうのです。パウロの熱い思いがあります。

「天に昇り」というのを「昇天」と言おうと「高挙」と言おうと
パウロはいずれにしても、地獄にいる、死人である私達を主イエス
は、共に連れ立って「天に昇った」のだと断じたのです(2:4〜6)。
これは罪からの完全な回復ということです。

この世の時代、現代の世相、この時代の潮流に従って歩んでいる
私達が、キリストに捕らわれ連行されて、シオンの山、すなわち
天に挙げられ、天の王座に着かせられたというのです。

これがクリスチャンなのです。地上に、はいつくばって生きていた者、
低空飛行していた者が、いまや天の王座に着き、聖霊の中でその実際
を認識し、経験するのです。低い所を歩み、自分の暗さやみじめさが
分る人はキリストの行かれた天の王座のすばらしさがわかります。

低き所を歩むことを通じて、奉仕の喜びを見出し、信仰の実りと
魂の救いとを享受するのです。そればかりか「すべてのものを満た」
され(4:10)、誤った教えの風に影響をうけ、体にとって異物で
ある要素をもち込まないように、守られるのです。幸いな歩みです。
                                     
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