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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.1023

2017/04/19

賢者の道〜Vol.1023「ガリラヤ湖畔のイエス」2017-4-19
聖書:ヨハネ福音書21章9節、13章1節

◎イエス様が十字架に贖罪の死を遂げられたと聞くや、今までつき
従っていた多くの弟子達は、散り散りに逃げ去って行きました。
その多くは漁師だったので、再び、その仕事に戻って働くことになり
ました。

ヨハネ福音書21章には、初めの方に漁師たちの名前があげられてい
ます。その中に、トマスやナタナエルの名があげられています。
彼らは、漁師ではなかったのですが、仕事がなかったので同志を
頼って行きそこで漁業に従事したものと思われます。

ところが「その夜は何も獲れなかった」とあるように、少しも魚は
獲れませんでした。このとき、主イエスが彼らを見守っていたので
すが、そのイエス様について、お話をします。

1.復活のキリスト
ガリラヤ湖畔に、ティベリアスという町がありました。ヘロデ・
アンテパスが造った町で、別荘などがあり非常に盛んな町であった
ため、後にはガリラヤ湖をこの町の名で呼ぶようになり「ティベリ
アス湖」と言いました。

イエス様は復活の後、弟子達にティベリアスに帰れと言われたので
弟子達は、そのとおりにしましたが、漁獲が少しもなかったので、
たちまち失意の底に沈んでしまいました。

ガリラヤ湖畔の春の夜明けのひと時で、アネモネの花が朝霧に輝い
ていました。湖は深く、コバルト色をしていました。形は琵琶湖
に似ていました。

いつもならば、この湖は魚が豊富で漁師達は、引き上げられた魚を
ティベリアスの町やカペナウムの遠くはエルサレムまで売りに行く
のでした。

ところが、その日に限って少しも漁獲がなく漁師たちは失意の顔で
岸辺に戻った時、日頃、師として慕っていたキリストの姿があった
のです。

「あ、誰かがいる!」とヨハネがその姿を見つけてまず叫びました。
その人は船の右側に網を打ちなさいと言うので、そうすると、網一杯
の魚が獲れました。

ヨハネが「先生だ!」と叫ぶと、気の早いペトロは慌ててキリスト
の側へ跳んでいき、湖に上着のまま飛び込んだのでした。

さて、陸に上がってみると復活のキリストは炭火を熾してパンと魚
とを用意して弟子達を迎えました。「さあ、朝の食事をしなさい」
と言われました。

魚が焼いてあり弟子達が獲った魚を使わないでも済むように気配り
をしていました。

イエス様は本当によく人の心を見抜く人でした。そして気が付くだけ
でなく、先手をとって親切に実行してゆかれました。晩餐会の時は、
足を洗う水を用意し、そればかりでなく、人の足を自ら洗っておやり
になりました。イエス様はそんな優しい方でした。

2 下座奉仕するイエス
イエス様が弟子達の足を洗った話は、ヨハネ福音書13章の始めに出て
います。その中で「世にいる弟子達を愛して、この上なく愛し抜か
れた」(1節)とあります。

イエス様は下座奉仕をなされ、それを実行されました。私達の隣人
への親切は、途切れがちとなり長続きしない欠点があります。ところが
イエス様のすることは、極みまで届いており、本当に徹底していました。

イエス様の行くところ、人々は大勢の子供を連れて来ることを弟子達は
遠慮していると、イエス様は、その遠慮は無用ですと言い、どんなに
やかましくても叱らず子供たちを愛されました。

これは感心することで、私の前にも繰り返し繰り返し同じことを尋ね
て来る人や、電話をかけて来る人がおるのですが、見習わねばならぬと
叱らず受け止めるようにしています。これが、愛だと考えています。

いや注意して叱る必要がある、とある人は言いますが、注意して変わる
人はそう多くはいません。まして、知恵の発達障害を持っている人は
いくら教えても、そう簡単に治るものではありません。

ですから耐えることが愛だと考えています。そう言うと愛するとは
簡単な事ではありません。自分との闘いです。

イエス様は女性から油を塗られたり、足を洗われたりして普通ならば
うるさくて耐えられないところを平気に、なすがままにさせて、
「これは葬式の準備だ」と言って多くの人を驚かせました。

それは、漁師達に魚とトーストを備える心持と同じもので、徹底した
親切心から出たもの以外の何ものでもありませんでした。キリスト
運動、祈りの運動の極致は、ここにあると考えています。伝道の極意は
ここに発見できます。

耐えることです。ちょっと伝道して実を結ばないと諦めてしまう人が
いますが、面倒な事でも耐える必要があります。下座奉仕する心が
ないとうまくいきません。

イエス様の弟子達が、キリストを記念するために愛餐式(アガペー)
を創って、聖餐式と共に紀元5世紀頃、すなわち、ローマ帝国が滅亡
する頃までこの儀式を守っていた弟子達の心持ちが分かります。

これは、愛の勃興です。ジョン・ウェスレーの現れた18世紀の英国の
時がそうでした。いつの時代でも宗教運動が盛んになると愛の行為が
勃興します。

イエス様は失意の弟子達に誰よりも先にパンと魚を備えました。しかも
漁師たちに魚を焼いて備え、満腹するまで与えられたのです。そして、
「今とった魚を少し持ってきなさい」と言われました。

何から何まで施して、人に頼ろうとする心を起こさせまいとする用意
であって、人に施す者が常に心がけていなければならないことです。
専門家である漁師たちに魚の獲り方を教えた後は、彼らの努力に
任せました。

この指導は、スペシャリスト(専門家)が、ジェネラリスト(総合家)
になるための備えです。ジェネラルとは、将軍を指します。全体を
見られる分析の専門家であるには、神の指導を必要とするのです。
それには、聖霊の導きを受ける訓練をしなければならないのです。

◎イエス様は、人が他人に頼ることのないように注意を払われ親切を
行いました。愛の行為は人に依頼心を起こされるものであっては
ならないのです。

ですから、まず神に祈り、神にのみ依存するように導く行為は、
愛の業であることを示されたのです。

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発行:ファイアサイド  協力:おとずれ社 
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創刊日:2002-11-10  
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