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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.1005

2017/02/15

賢者の道〜Vol.1005「ソロモン王の初夢」2017-2-15
聖書:列王記上3章1〜5節

■ソロモンは、エジプトの王ファラオの婿となった。彼はファラオの
娘を王妃としてダビデの町に迎え入れ、宮殿、神殿、エルサレムを
囲む城壁の造営が終わるのを待った。当時はまだ主の御名のために
神殿が建てられていなかったので、民は聖なる高台でいけにえをささ
げていた。

ソロモンは主を愛し、父ダビデの授けた掟に従って歩んだが、彼も
聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた。王はいけにえを
ささげるためにギブオンへ行った。そこに重要な聖なる高台があった
からである。ソロモンはその祭壇に1000頭もの焼き尽くす献げ物を
ささげた。

その夜、主はギブオンでソロモンの夢枕に立ち、「何事でも願うが
よい。あなたに与えよう」と言われた。

◎息子ソロモンが王に即位した後、ダビデは自分の人生が終りに
なることを覚悟し、ソロモンに王権確立のために「勇ましく雄々
しくあれ」と語りました。

それは、猛々しく振舞うことでなく、「あなたの神、主の務めを
守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟
と戒めと法と定めを守れ」と言うことでした。

私達の最大の敵は自分自身です。勇ましく雄々しい歩みは、自分に
打ち勝ち、みことばに従って主の道を歩み抜くことです。みことばは、
霊であり、命であり(ヨハネ6章63節)、「みことばにはあなたがたの
魂(思い・感情・意志)を救う力がある」(ヤコブ1章21節)のです。
また、みことばに従いきることが祝福の道なのです。

◎しかし、モーセの最期の言葉(申命記31〜33章)や、ヨシュアの
最期の言葉(ヨシュア記24章)と比べると、ダビデのそれには大き
な欠けがあるのに気づきます。

モーセもヨシュアも力をこめて神を証ししていますが、ダビデには
それがありません。彼が言っていることは、王朝の繁栄のための秘策
であり、そのためには律法を守れということ、更に王座を手にしよう
としたアドニヤを助けた軍司令官ヨアブ(列上2:5)とダビデを
呪ったシムイ(列上2:8、サム下16:5)の命を絶ち、ダビデに
協力したバルジライの息子達には報酬を与えるように命じる(列上
2:7)政治的処置でしかありません。

これはダビデの統治に対する恐れ、心配から発したものでしょうが、
信仰者としてのあるべき輝きがありません。
 
ソロモン王はダビデとバト・シェバの間に誕生した子どもでした。
彼の名はソロモン(「平和に満ちた」の意)で、それはダビデは
平和を望んだことを示します。しかし彼には平和はありませんでした。

もう一つの名は、預言者ナタンを通して神によって示された名が
ありました。それはエディドヤ(「主に愛された者」の意)です
(サム下12:25)。

◎この名は、ソロモンが神に愛されたことを示しています。
私達もクリスチャンとして召されているのですから、神の愛を
信じて、信仰者として神の栄光をあがめながら過ごしたいものです。

みことばによって救われ、護られ、人間的な秘策で勝利を得る者で
ないことを願います。
 
ソロモン王は、父ダビデの命じたように反逆者を粛清し、「その支配
は確立した」(列上2:12)のですが、ソロモンの王国のもろさが隠れ
ていました。そのため預言者ナタンによってなされた「あなたの身
から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」
(サム下7:12)という神の約束は、イエス・キリストの王国まで
延期されたのです。
  
その後、ソロモン王は、エジプトの王と縁を結び王の娘を妻に迎え
ました。これは、ソロモンの力の強さを国際的に認知させ、イスラ
エル王国を世界の桧舞台にあげる一大事件でした。このように、
ソロモンは外交力にもたけていましたが、この婚姻が原因となり
その心は異教の神々に転じて言ったのです(列上11:3)。

このことは、ソロモンが父の命令には従ったものの、神が異邦人と
結婚しないよう命じた神の掟(出エ34:16、申7:3)を無視したこと
を意味します。また、この婚姻は、ソロモンが将来、腐敗と破滅の
中に堕落することの土台を据えた事でもあったのです。

主に頼るより、外交の知恵に頼ったからでしょうが、すぐれた能力を
持つ人こそ、より一層神第一、神中心の姿勢を保ち続けることが大事
です。そのような弱さを持ったソロモン王でしたが、非常に積極的
な良い一面もありました。それは、神を求めたことです(列上3:2)。

しかし消極的な一面もあります。彼が異邦の民が偶像を礼拝した場所、
「聖なる高台」(列上3:2、4、申12:2)で1千頭のいけにえや香を
たいたことは、霊性が曇り、淀んでいたことを意味します。

にもかかわらず神はソロモンを愛しておられ、その夜、夢のうちに
現れその行事に栄誉を与え、ソロモンが求めるものは全て与える
と約束されたのです(列上3:5)。

彼は、長寿や繁栄や富を求めず、神の民の間でどう振舞うかを知る
ための心と知恵とを求めました(列上3:9、11)。

◎ソロモンが求めたことは神を喜ばせたので、神は知恵と賢明な
心とさらに富も栄誉も長寿も与えると約束されたのです(列上3章
12〜14節)。
 
しかし、ソロモンが求めたのは余りにも人間的な知恵、「下からの
知恵」(ヤコブ3:15)とまでは断定できませんが、功利的であり、
主ご自身との交わりによる主の知恵、主との同形化でなく、神の
ために生きる処世を求めていたと言えます。
 
しかし、真の、主のために生きる人生、主のために働く一年、主の
栄光のために奉仕する生涯は、主イエス・キリストとの交わり、
一体から来ると言えます。

主イエス・キリストは、ユダヤ人達に向かってこう言われました。
「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から、『私は
ある。』」と(ヨハネ8:58、出エ3:14)。ソロモン王も、この
イエス・キリストを求めるべきでした。

私達は霊の中に知恵を持っています。思いや意志の中に知恵を求め
るのでなく、内なる霊の流れ出ることを求める時、そこに神の知恵
なるイエス・キリストとの出会いを発見します。

別の言い方をするなら、私達にとってキリストは、豊かさ、繁栄
長寿、富、思慮分別であり、キリストを私達の内なる霊の中に迎え
るならば、それらが全てそえて与えられる、と言うことができるの
です。

◎主イエスは知恵を求めよとは言いませんでした。

主は何と言ったかと言いますと、「何よりもまず。神の国と神の義
とを求めなさい。そうすれば、これらのもの(食物、着る物等)は
みな加えて与えられる」(マタイ6:33)と言われました。これらの
物は「異邦人が切に求めているもの」(同32節)であるからです。

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む」
(同34節)と断言されました。信仰を持って、上からの夢、幻を
求めましょう。それは復活のキリストの霊に満たされることです。

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発行:ファイアサイド  協力:おとずれ社 
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