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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.1000

2017/01/28

賢者の道〜Vol.1000「祈りの生涯」2017-1-28
聖書:マタイ福音書6章9〜13節

◎神に会う唯一の道は、祈りと瞑想と言えよう。子供に乳を与えた
いなら、母は子に与えたい一心で祈るし、子供は本能的に乳を吸い
たい気持ちを持つ、これが祈りである。

つまり、祈りとは、天の神の乳を吸うことであって、これを旧約聖書
の最初に、アブラハムは天地の神をエルシャダイと言った。エルシャ
ダイとは、乳房を持つ神ということであり、「全能の神」と訳されて
いるが、享受する神のことである。どこへ行ってもエルシャダイが
ある。

1.祈りと聖書
祈りがよく現れているのが聖書である。アブラハムの妾ハガイは、
エジプト人であったが、アブラハムに子がなかったので正妻のサラに
勧められて子を宿した。その時、正妻のサラを馬鹿にしたので、
サラの逆鱗に触れ、耐えかねて故郷に帰ろうと荒野に逃げたが、
神の使いに諭されて、サラのもとに戻った。

その時、祈りが聴かれたことを知って「見守りたもう神」を経験した。
かくして、イシュマエルを産んだが、嫉妬した正妻のサラが彼女を
追い出したので、再び、パンと水のみを持って、ベエルシェバの荒野
をさまよった。

そこで、水も食べる物も尽きたので、死ぬに死にきれず、我が子の
餓死するのを見るのも忍びず泣いていた。その時、天より「ハガルよ
恐れるな失望しなくてよい、神は子供の泣き声を聴いた。立って
その子を抱け、その子は大いなる国民となるであろう」と言って慰め
られ、励ました。

さらに、目を上げて見ると目の前に井戸があるのに気づいた。かく
して彼女は、祈りを聴きたもう神が見守って下さることを確信し、
アタ・エルロイ(見守りたもう神)が、共におられることに、その子
を育てる決意をしたのである(創世記16章、21章)。

このように、ベエルシェバの砂漠に2回逃げたが、2回とも天の助けを
得て、どんなに苦しくても世間から見棄てられようとも嫌われようとも
天の父は棄てないという確信をえることができた。

今の日本も、ハガイと似た境遇にある。アジアの小国の日本が世界を
相手にして、戦争をし、嫌われ、都市は焼かれ、原爆を落とされ
砂漠のごとき中に住み、子供に食べさせるものもなかった。

だが偶像を拝んでいた日本もまた、ハガイを助け、イシュマエルを
助け、守られた神が守り救い出してくれることを確信する。ヤコブの
祈りを聞かれた神は、その子ヨセフの祈りも聞かれた。彼はエジプト
にいた時、どんなことをしても故郷に帰ると決意し、祈るや神は
それを聞いたくれた。その祈りは、400年後に応えられた。

モーセの祈りも40年後に応えられ、エリヤの祈りも絶望して祈った時
「ああせよ、こうせよ」と教えた。バビロンに捕えられたイスラエル
民族も故郷に帰りたいと祈ったら70年目に聞かれた。

そして、イエスが生まれ、イエスの祈りも聞かれた。イエスの一生は
祈りの生涯であった。ある時は山の中で、ある時は朝早く、また
ある時は、徹夜して祈った。

イエスは賛美しては、食事をし、食事をしては祈っておられた。
祈りの人であった。イエスの祈りは、病人のため、弱者のため、
弟子のため、神に感謝する祈りであった。こういう祈りは、必ず
聞かれる。

2.主の祈り
イエスの語った「主の祈り」は、最も美しい。これ以上の祈りは
できない。(マタイ福音書6章)。

第1は、神の本質についての祈りである。拝むとは、お任せします
という意味である。神の方から見れば、人間に神は使命を負わせて
いるのだから、神の望むように我儘(わがまま)を言わずに使命を
果たしてもらいたいと望んでいる。

人によって皆、使命、働きは異なるが与えられている境遇で神の
栄光をあがめ、神の飾りとなるように祈ることである。

第2は、神の国についての祈りである。全世界が神の国になるので
なければならない。永遠なる神の国を作るように祈る。これは、
神の支配が続くように祈るのである。元寇の時にだけの神風でなく
いつも永遠に聖霊の風が吹くように祈らねばならない。

人間は善を悪と言い、悪を善と言うので、聖霊が離れてしまう。
よって善悪を言い、裁き合わないことである。神に全てを委(ゆだ)
ね、神の導きに委ね、祈ることである。

第3は、食事のための祈りである。日ごとの糧を与えたまえと祈れと
言う。だから日常生活の必要のために祈ることは間違っていない。
家を下さい、職を下さい、と祈れば良い。これは、イエスによって
必ず与えて下さると確信すべきである。こういう経験は、今まで
何度もあった。

大勢の人が毎日のようにやって来て「くれ、くれ」と言う。私には
金がないので困ったことは、何度もある。そこで祈った、すると
その日のうちにどこからかお金が満たされる。そんな経験をこれまで
幾度もした。

一人二人を助けるならなんとかできるかもしれないが、大勢が困って
いる時には、祈らざるを得ない。預言者エリヤがイスラエルの暴虐に
反対して雨が降らぬようにと祈ったら、雨が降らなくなった(列王記
上17章)。

また、エリヤが、ケリト川のほとりに身を隠して3年間いたとき、一羽の
カラスが毎日毎日、彼のために食物を運んできた。不思議に私達が
真直ぐな道を歩んでいるとカラスが神の使いになってくるように、
全然知らない人が助けてくれる。必ず神は、カラスを通して助けて
くれる。

これは、事実である。何千羽、何万羽のカラスが助けてくれなければ
駄目な事業だってある。それには、人に助けを乞うのでなく、神の祈る
以外にない。カラスは、人から来るのでなく、天から来るのである。
賀川豊彦先生は、人に寄付金を乞わなかったが、祈ってばかりいて
大勢の人から寄付金が来た。

第4は、罪の赦しのための祈りである。人に知られない罪があっても
許される。そのためにイエスは、十字架にかかられたのである。
神の前に謝るなら必ず許される。

第5は、試練についての祈りである。台風の時も中心が外れますように
という祈りをしたら良い。苦難に対しても祈る以外に救いはない。
イエスがこの『主の祈り』を教えられてから多くの人がこの祈りを
祈った。そして聞かれると信じた。それは、理屈ではない。

ヤコブも『ヤコブの手紙』第5章で祈りの重要さを記しているが、
これは『山上の垂訓』のこの『主の祈り』に並行する内容であろう。
かくして、賛美も感謝もみな神にささげる祈りと言える。

従って、「天の神よ、国を動かしたまえ」と祈ると実際に動くほど
祈りは、実際的なものなのである。

◎祈りは聞かれる。病気を祈ると不思議と治る。正しい人の祈りは
聞かれるのである。嘘のような奇跡が次から次に起こって来る。

紅海を渡るように、道が開かれるのである。敬虔な祈りを持ち続け
なければならない。

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