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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.995

2017/01/11

賢者の道〜Vol.995「キリスト教の奉仕精神-1」2017-1-11

◎キリスト教の宗教は祭祀宗教ではなく、意識宗教であるため、神と
一つとなった時、初めて発意的奉仕ができる。キリストの愛には救貧、
防貧、福利の三つが入っており、奉仕の歓喜があり、キリスト自らが
隣保館であると賀川豊彦は説いています。

1400年前、中国では唐の高宗の時代、洛陽における中心的思想は、
ネストリアン、すなわち景教(東方キリスト教)でした。景教の
「景」とは「かげ」と読みますが、景教とは光の宗教と言う意味を
持っています。

この時代に日本から弘法大師も遣唐使として遣わされて影響を受けた
のです。その後、高宗の時代に幾十万といた信者が忽然と姿を消した
のです。それは景教が実践力をなくし仏教の哲学に吸収されてしまった
からでした。

だから今日のキリスト教も礼拝と祭りばかりしているならば、景教の
二の舞を踏まなければならないであろう、と賀川は警告しています。

キリストの仕事の種類は3つありました。即ち、祭司と預言者と王です。
祭司は祈りをし、預言者は教訓を与え、王は組織を保って人に奉仕する
ものです。

祈りと教えだけを取り上げて、それで全てであるという人がいますが
決して忘れてはいけないのは第三の「奉仕」です。イエス様は一番
偉いのは、奉仕者であると言われたからです。

最後の審判で「主よ主よと言っていた者は天国に入れず、旅人を助け
渇いている者に一杯の水を飲ます者が天国に入ることが許される」
(マタイ福音書25:35)というような美しい話にその思想が出ている
ことを見ても奉仕の重要性がわかります。

神と個人の関係も大事ですが、隣人と兄弟関係を保って社会に対する
愛の実践ができないようなキリスト教であったら情けないです。
景教が仏教に吸い込まれたように、キリスト教も共産主義に吸い込ま
れてしまうでしょう。共産主義は唯物主義ではあるが、労働精神を
高調する点は敬服に値するものがあるからです。

イエス様は富を排して精神主義を力説されましたが、7世紀からの
キリスト教会は、本質を忘れ、偶像化しました。それをマルティン・
ルターが宗教改革を起こして建て直したのですが、16世紀以後に
なると兄弟愛を離れて資本主義的傾向が起こってきました。

キリスト教は、共産主義に対する闘争理論を立ててはいないのですが
キリストの奉仕に深い教訓を発見することができます。

1.奉仕原理
第一にキリストは、人に仕える事を求められました。しかも人に
強いるのでなく、自発的な奉仕です。それは、神とつながった時、
意識的に自覚的に発意的奉仕ができるということです。

ルカ福音書12章35〜40節までは、人の生活を主人と下僕の関係として
譬えられています。「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
主人が婚宴から帰って来て戸を叩く時、すぐに開けようと待っている
人のようにしなさい。主人が返ってきた時、目を覚ましているのを
見られる僕は幸いだ」と下僕の注意を説いています。

またそれは逆に、主人が自分の召使たちを食卓に座らせ、主人、
自ら給仕をして主人の道を示しているのです。そして「人の子は
思いがけない時に来るからである」と告げ、マタイ福音書の最後の
審判と関係があることを暗示しています。

自ら進んで腰に帯をして発意的に奉仕をしない社会では、手が付け
られないような荒れたものとなるのです。

第二に、イエスは忙しい身ながら「家の子が病気をしている」と
言ってくればすぐに出かけて行き「家の家来が病気で困っている」
と聞けば、すぐに見舞いに行きました。

この態度は敬服すべきで、食事をとる暇もないイエス様が「よし、
行こう」と言われたようにできることをするのが、奉仕です。

もちろん、奉仕には危険が伴うこともあります。ユダヤ教には戒律
があり、これをしてはいけないとか、あれをしてはいけないとかが
ありました。しかし、イエス様はこれらの戒律を無視して愛をもって
出かけて行かれました。それにはまず、祈りが伴っていました。

賀川豊彦は関東大震災のとき、バラックで寝て奉仕を続け、肝臓病を
患い、丹後の地震では中耳炎を患い、救済事業のたびに大病を患った
と言います。奉仕には、どうしても危険がつきまとうから冒険の覚悟
がなければなりません。

感染症の救護事業はまさに冒険と言って良いでしょう。社会奉仕と
言って呑気にできるものではありません。人の苦しみに対する救済は
冒険で、自らも同じ苦しみを味わうことが多いからです。

第一の苦難は、経済的困難です。第二は生理的苦痛で、病気、老い
死です。第三は精神的・心理的苦難で、認知症、精神的発達障害、
躁うつ病などです。第四は社会的苦難で、地震、洪水、飢餓などが
あり、第五は、政治的苦難です。

こういった人間的苦難に対して、救貧、防貧対策をもってあたる
ことが、必要なのではないでしょうか。

【キリスト教の奉仕精神-2に続く】

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