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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.992

2016/12/31

賢者の道〜Vol.992「罪人の友なる主」2016-12-31
聖書:マタイ福音書11章18〜19節

■ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取り
つかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、
大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、
知恵の正しさは、その働きによって証明される。」

◎福音の真理を理解すれば、救いを遅らせることはありません。
すぐにでも受洗に導かれます。

聖書を理解するにしても、そこには人間の歴史があります。歴史的
整合性を極める中で御言葉が何を告げようとしているかを知り、それを
現代の自分に適用させることも福音の真理に近づく一つの方法です。

しかし、最初から聖書が神の歴史を開示するものとして受け止める
方法もあります。御言葉が神の啓示であり、イエスの生涯と十字架
から復活、昇天への一連の出来事が神の啓示としての福音として受け
止めることです。

その神の啓示の出来事の現れが、旧約聖書、新約聖書において証しされ
ていると考える味方です。ですから、神の歴史に触れるために聖書に
近づく者には、全ての御言葉が救いの真理となるのです。

こうして、キリストに出会い、救いの確信を得る方法は、初心者には
効率的な学び方であると思えます。

◎罪人の関係
イエスは罪人の仲間、友であると言っています(マタイ11:19)。
友とか仲間と言うのは、特別な関係の中で愛する人で例外的に
地位にこだわらない関係です。

上司と部下、結婚の関係、親族の関係、親と子の関係、教師と生徒の
関係は、すべて通常の関係です。友とは、これらの関係を超えた親密
さです。通常の関係に加えて、互いに尊敬し、互いに惹かれている
人々です。

主イエスは、救い主、神であり、私達は人、しかも罪人の関係なの
ですが、主は同時にそのような関係のほかに、私達と友の関係を
確立しようとしておられます。

ですから、アブラハムは「神の友」と呼ばれました(ヤコブ2:23)。
神とアブラハムは、友になりました。

主イエスは救い主で、私達は罪人ですから、私達が救われるためには
手続きが必要で洗礼を受けなければなりません。しかしながら聖書は
この正式な手続きを迂回して、主イエスに友として相談できる道が
あると言うのです。

悔い改め、告白、信仰受容、洗礼という一連の救いの手続きを経ないで
主にやって来ていただく道があると言うのです。それは主は、罪人の友
だからでもあります。

例えば、聖書の中には、主を信じたくても信じることのできない人がいま
した。彼は主に叫んで「信仰のない私をお助け下さい」と言いました
(マルコ9:24)。不信仰な者でも主に助けを求めることができました。
これが友の関係です。

ルカ福音書18章18〜23節の金持ちの議員は、永遠の命を受け継ぐことを
願っていました。主イエスは彼に、持っている物を全て売り払い、
貧しい人々に分けてあげ、主に従ってくるように勧めました。

その議員はこれを行うことができず、悲しんで去りました。これは
正式な関係の手続きです。しかし、彼は主に戻って来て、友の関係
に基づいて相談し「それはできません。どうしたらいいでしょうか、
助けて下さい」と言うべきでした。

残念なことに、この友の関係を用いて主と相談することができなかった
のです。そうでなく、彼は悲しんで去ったのです。

◎無条件の関係
主イエスは、すべての罪人の友であるゆえに、彼らはあるがままで
主に来ることができます。「朋(とも)有り遠方より来る、また
楽しからずや」(論語)です。

このときの接近は、無条件です。罪人であってもあるがままの姿で
大胆に主に近づくことができます。

父親は息子に従順であることを要求するとします。正式な関係では
息子が従わなければ、罪を犯すことになります。しかし、この関係
以外に、息子は友として父に近づくことができ「あなたに従えません
が、何をすべきでしょうか?助けてください」と言うことができます。

その時、父親は息子に友としての関係に基づいて、何をすべきかを
告げるでしょう。

このように友としての関係は、正式な関係を償うことができます。
罪人がどんな条件の下にいたとしても、彼らが救いに至ることが
できるように、福音宣教者は、すべきです。

すべての条件をも忘れることができ、何の特別な条件もなしに罪人を
主にもたらすことができるのです。福音の第一歩は、罪人が主を友と
することです。その終着駅は、罪人が主を救い主とすることです。

◎ある人は「神を信じない人が、どうやって神に来ることができま
すか?」と尋ねるかもしれませんが、たとえ神を信じなくても、
その人は、神に来ることができます。

神を求めさえすれば、救われるのです。立派な知識、信仰がなくても
救われます。主は、罪人の友です。

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