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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.415

2010/11/27


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  <賢者の道〜Vol.415 - Come to Jesus - 2010-11-27>
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■【今週のテーマ】「婚宴の譬」
■【聖書】 マタイ福音書22章 1〜14節

 
ユダヤの祭司や民の長老たちはイエスに彼の権威の根拠を問いましたが、
主はそれには応えられず、三つの譬を語りました。


長子の特権の移行として「二人の息子の譬」と神の国がイスラエル
から取り上げられて教会に与えられることを暗示した
「ぶどう園と農夫の譬」は、並行しています。


これらの長子の特権と神の国とは、消極的で、いずれもイスラエル
から取り上げられたものです。そこで主イエスは、答えの完成として
「婚宴の譬」を付け加えることで、消極面から積極面に転換されたの
です。


▼ 恵みの享受を拒む者たち 

この譬は新約のことを告げており、その中に神の国があると言います。
前の「ぶどう園と農夫」の譬(21:33〜46)で神の国(ぶどう園)の
中にいた旧約の民であるユダヤ人が追い出され、神の国が取り上げ
られ、新しい民に与えられると言いました。


つまり、律法のもとでの労苦の描写が重点となっており、この
「婚宴の譬」では恵みのもとでの享受を描写しています。


「ある王(神)が王子(キリスト)の為に婚宴を催した。王は家来たち
(新約の使徒の最初の者たち)を送り、婚宴に招いておいた人々を呼ば
せたが、来ようとしなかった」(3節)。4節は続きます。


「また次のように言って、別の家来たち(後に遣わされた使徒たち)
を使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。食事の
用意が整いました。牛や肥えた家畜(屠られたキリスト)を屠って、
すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください』」。


つまり神の選ばれた民がキリストを宴席として享受するのです。
キリストは私たちのために屠られ、調理され、享受するよう整えら
れたのですが、人々は来る事を拒み、家来たちを捕まえ、乱暴し
殺しさえしました(5〜6節)。


7節は言います、「そこで王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを
滅ぼし、その町を焼き払った」。これはローマ軍が紀元70年にエル
サレムを滅ぼして成就しました。


神はローマの軍隊をご自身の目的のために用いました。しかも2つの
譬は重なり合っていますが、前の譬のようにユダヤ人たちは、
キリストを殺した者を滅ぼしただけでなく、後の譬では、ユダヤ人
たちは使徒たちに迫害を加え、殺しさえしたので、神は町まで滅ぼ
しました。


▼ 婚礼の礼服  

神はユダヤ人から異邦人に向きを変えられました(使徒13:46)。


8〜9節は言います、「そして(王は)家来たちに言った。『婚宴の
用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。
だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来な
さい』」。


ここで異邦人世界は「大通り」で表徴されています。やがて異邦人
伝道が始められるようになったごとくです。婚宴は、客で一杯に
なりました。


11節は言います、「王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を
着ていない者が一人いた」。すべて召された者たちは救われた者で
した。しかし一人は婚礼の服を着ていなかったのです。


これは、卓越した義の要求です。婚宴にあずかる者は晴れ着を着て
いなければならないのです。


「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさって
いなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」
(マタイ5:20)のです。


王は厳格でした。これは戒めを守ると言う事以上に、日ごとキリスト
を生かし出しているかどうかの問題です。私たちの生活が誰によって、
また何によって生きるかのことです。


私たちの怒りはキリストによるものでしょうか。キリストによらない
怒りであれば礼服を着ていない者の怒りです。


私たちは救いの衣(客観的義)は既に着ているとしても、その上に
婚礼の礼服(主観的義)をまだ着ていないかもしれないのです。


12〜13節で、王は礼服を着ていない者、つまりキリストにあって
勝利の生活ができなかった者を婚宴に着く資格のない者として外の
暗闇(永遠の滅びでなく、懲らしめとしての主の栄光の領域外)
に放り出す。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(14節)
のです。


▼結論

このように救われているクリスチャンにも主の懲らしめはあります。
汚れのない思いと行い、愛に満ちたキリストにある品性をもって
生活する事が求められています。主は厳格なお方です。

懲らしめに遭わないように絶えず礼服をまとってキリストの御前に
立ちましょう。


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