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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.403

2010/09/04

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  <賢者の道〜Vol.403 - Come to Jesus - 2010-9-4>
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■【今週のテーマ】「十字架と復活の上に建つ教会」
■【聖書】 マタイ福音書16章21〜28節

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★キリストと教会を見るには、3つのことが必要です。
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すなわち、キリストに養われ、豊かさで満たされること、
すべての宗教的パン種からきよめられること、
フィリポ・カイザリヤのヘルモン山の透明な空の下にいること
(宗教的な霧があるところに立つべきではありません、ことに
教会政治の霧の中に迷い込んではなりません)、


このようなところにとどまるならフィリポ・カイザリヤで与えられた
〈キリスト〉と〈教会〉の啓示を見ることはできません。


マタイ福音書16章13節から20節と21節から28節の繋がりを考えて
見ましょう。


それはキリストの上に教会が建てられるためには、十字架の道を
採るということです。それは、教会がキリストの上に建てられる
唯一の道です。


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1.十字架への道 
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21節は言います。「このときから、イエスは御自身が必ずエルサレム
に行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて
殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち
明け始められた」。


キリストと教会の奥義の啓示の後、主の十字架と復活が解き明かさ
れます。


主イエスは、教会を建てるためにどうされたかと言うと、エルサレム
に行き、十字架を通過して、復活へと向かったのです。


イエスはキリスト(救い主であること)と教会(天の王国)の啓示
に続いて、十字架と復活を啓示されたのです。


従って、キリストと出会い、教会を建てるには十字架につけられ、
復活を経験しなければならないのです。
 

21節で主イエスはご自身の十字架と復活の両方を語りましたが、
弟子たちは十字架を問題にしたのですが復活については無視しま
した。


彼らは主が殺されると言う思いで一杯になり、恐れ、同時に主が復活
について語ったのを理解できなかったのです。それは今日の私たちも
同じです。


それは自分の都合に合うことは受け入れ、合わないことは受け入れ
ないからです
 

22節でペトロは言います。「主よ、とんでもないことです。そんな
ことがあってはなりません」といさめたのです。そんな彼をイエスは
「サタン、引き下がれ、あなたはわたしの邪魔をする者、神のことを
思わず、人間のことを思っている」と言いました。


神中心でなく、人間中心の生き方への批判です。


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2.死に渡されること 
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24節で、主は、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は
自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と
言われましたのです。


25節で「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしの
ために命を失う者は、それを得る」。


〈思い〉、〈自分〉、〈命〉の三つの事が互いに関係し合っています。
これは主御自身が命を失うように、弟子たちも命を失い、人間中心
の思いを捨て、自分を捨てて生きなさい、と言われたのでした。


これが「十字架を背負う」ことです。


多くのクリスチャンは十字架の誤った観念を持っています。
十字架をただ「苦しみ」と解釈したりしています。


しかしながら、みことばのこの個所では、十字架は苦しみではなく、
殺されることを意味しています。つまり十字架の目的は、わたし
たちが苦しむことではなく、終わらされること、殺されること、
死に渡されることです。


臨済宗の至道無難禅師は「死人となりて、なりはてて、思いのまま
になすわざぞよき」という一首を詠じています。


生きたままで死人となり、思う存分生きる、なんと愉快な事か、
と言います。


主イエスも、十字架につけられ、殺されたように、洗礼も、人が
処刑され、終わり、葬られることを意味します。


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3.教会を建てること 
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苦しむこと、苦難が教会を建てることではありません。
十字架を真に負うことが、教会を建てるのです。
それは自分、命、思いを死に渡すことだからです。


洗礼において葬られ、死に渡され、終わらされました。
この終結の中にとどまる必要があります。死人には意見はありません。


主イエスの思いを曲げることは出来ません。なぜなら思いが機能
しないからです。


ペトロは主の思いを変えようと意見しました。まだ生きており、
活動的で、攻撃的でした。墓に葬られた人のようではありませんで
した。


わたしたちは死の下に横たわり、終わらされることが「十字架を背負う」
ことの意義です。マルティン・ルターはかつてローマ教皇を恐れる以上
に自分を恐れる、と言いました。


自分の内に最も強い教皇、自己を持っている事を知っていたから
です。狡猾で隠れた敵、サタンは、わたしたちの自己です。ですから、
自己の内から突然湧き上がる怒りやねたみの感情を制御できない人が
実に多くいるのです。


★結論 


十字架を背負うことで終わるのではありません。これに続き、復活が
あります。


わたしたちが自分を終わらせるとき、自然に霊の中で応答が起こり
ます。これが約束された「復活」です。これがなければ教会は建て
られません。


復活の中で主イエスは命を与える霊となって、わたしたちの内なる霊
の中に住まわれます。


「主があなたの霊と共にいて下さるように」(2テモテ4:22)。
この復活の希望は、神からの豊かな報酬の約束でもあります。
わたしたちは十字架と復活の上に教会を建てる者となりましょう。


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