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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.389

2010/05/29


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  <賢者の道〜Vol.389 - Come to Jesus - 2010-5-29>
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■【今週のテーマ】「新しい葡萄酒を新しい皮袋に」
■【聖書】 マタイ 9:1〜17


★イエスはご自分の住んでおられるカファルナウムに戻られた後、
1人の中風の人が連れて来られました。


イエスはその病気の原因が罪にあると見抜き、罪の赦しの宣告を
しました。こうしてこの人は造り変えられ、いやされました。


彼は新しい人生を歩みだしたのです。私たちも造り変えられ、
新しき生涯を歩みだしましょう。いつまでも古い、過去の人生に
こだわるのはやめましょう。


ではどうしたらよいのでしょうか?


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1.罪を赦す権威 
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罪の赦しを宣告されたイエスに対し、律法学者の幾人かは
「なんと罰当たりな言葉だ。自分を神だと言っている様なもの
じゃないか」と考えました。


これはユダヤ人の指導者たちによる最初のキリストへの拒絶でした。
彼らの思いを主イエスは霊の力で見抜かれ(マル2:8)
「なぜそんな悪い事を考えているのか」とさとしました。


人の罪が赦されているかどうかは、誰にもわかりません。


しかし人が立ち上がって歩き出したことを誰でも告げられます。
つまり罪の赦しを告げることは神の権威がなければできないの
です。


イエスの罪を赦す権威は、力によって裏づけられました。
「さあ、起きて、寝床をたたみ、家に帰りなさい。もう治ったの
だから」。


以前は寝床がこの病人を担ったのですが、今や彼が寝床を担って、
帰って行ったのです。これはいやされた事の外、罪が赦された
ことを証明しました。


私たちはイエスが神であることを知ることです。このお方の救いの力
によらず、真の病のいやしはありません。


新しく造り変えられるために、自分の罪を御前に差し出し赦される
よう求めましょう。その結果すべての病もいやされます。


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2.あわれみと謙遜 
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さてイエスがそこを発ち進んでいくとマタイという取税人が収税所
に座っているのを見かけて「私について来なさい」と言われました。


すると彼は立ち上がって、「何もかも捨てて」(ルカ5:28)イエス
に従い、救われた後、神の恵みによって使徒になり、このマタイ福音書
を執筆しました。彼はレビとも呼ばれていました(マル2:14、
ルカ5:27)。


造り変えられるには、引き付けられなければなりません。
主には引き付ける力があったのです。求める人は見いだします。
この世のものに魅せられている人には見い出せません。
 

マタイはさっそくイエスとその弟子たちを自分の家に招き盛大な
宴会を催しました。そこには多くの取税人や「罪人」と呼ばれた
人々も招かれていました。


彼らは人々に軽蔑され、尊敬に値しない人々でした。
ファリサイ派の人々は、それを見てかんかんになり、「あんたがた
の先生は、なんであんな連中とつきあうのか」と非難する。


もし彼らに神が人を取り扱われる方法が人知では量り知る事のでき
ないものであるという認識があったなら、このような態度に出る事
はなかったのです。


彼らの批判を聞いたイエスは、「丈夫な人には医者はいらない。
いるのは病んでいる人だけです」と。


これらの取税人や罪人は病んでいる人なのだから、悲しみや痛みに
あわれみをもって接し、正常な道に連れ戻し回復させ、生かし、
救うべきだ、と言うのです。


しかし、ファイサイ派の人々は、自分を義とすることにより霊的眼
が見えなくなり、自分が病んでいる事がわからなかった。


そこでイエスは、「あわれみとはどういうことか学んできなさい」
と学ぶようにと告げられたのです。


あなたはいつでも自分が正しいと思っていますか。「いいえ」と
答える人であれば幸いです。自分を義と考えず、罪深いと考える人
は幸いです。そのような人のところに主は顕現します。


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3.新しい布切れ   
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洗礼者ヨハネの弟子たちにしてもファリサイ派の人々と同様、
キリストの復活のいのちの霊なしの宗教を信じ、断食を重んじ、
古い形式に埋没しており、イエスに注文をつけました。
「なぜ先生のお弟子さんたちは断食しないのですか」と。


イエスは、ファリサイ派の人々には自分を「医者」として譬えまし
たが、この場面では自分を婚宴の「花婿」に譬えられました。
弟子たちは「婚礼の客」に譬えられています。
そして今は花婿と共にいるときに断食などする必要はないと言うのです。


「誰も水洗いして縮ませていない布切れを古い衣に継ぎ当てする人
はいない、そんなことをしたら当て布は縮んで衣を破り、破れは
もっとひどくなる」と言います。


この未処理の布切れは、受肉から十字架までのキリスト、つまり
天然の古い命による行為、思いを表徴します。


「新しい布切れ」は、十字架で処理された後の、新しい仕立てられた
復活のキリストを表徴します。今やイエスは花婿だけでなく、婚宴に
参加する資格を与える婚宴の衣です。


★結論 


私たちは、罪深く婚宴に参加する資格のない者です。


放蕩息子が父から最上の衣を着せられたように、神の臨在を享受する
のは新しい衣に覆われる必要があります。


復活の命の霊がその衣です。新しい葡萄酒もまた古い皮袋に入れては
なりません。新しい発酵力のある葡萄酒は古い皮袋を引き裂くからです。


この新しい皮袋が教会生活です。


これが裂ければ、キリストはいなくなり神の臨在もなく、勝利の力
を失うのです。


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