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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.386

2010/05/08

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  <賢者の道〜Vol.386 - Come to Jesus - 2010-5-8>
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■【今週のテーマ】「天の父の御心を行う者」
■【聖書】 マタイ 7:13〜28


★人は思うように行かない時や苦境に陥った時、弱気になり戦う心を
失いがちです。


しかし戦いを続けてこそ大きく成長できるのです。私たちは不断の
精進を続けていかねばなりません。それには天の国の民となる必要
があります。


そうなるには、主なる神を呼び求めることと、神の御心を実行する
ことが必要なのです。


そこでイエスは、まず人生の航路を行くとき狭い道を歩み、狭い門
から入りなさい、と教えます。


そうであれば神の御心に従って堅固な岩の上に家を建てることが
できると言うのです。これは復活のキリストの命の霊で満たされ
た生活です。


勇気を持ってこれらを実行するならば、失うものよりも得るもの方
がずっと大きい、「もうだめだ」と思う心の壁を打ち砕いていくの
も勇気です。


八方ふさがりであっても降参せず、あえて狭い道、狭い門を行き、
あたって砕ける心意気が必要ですこれこそ人生航路の行き詰まり
を開くものなのです。


無敵のみことばをもって畏れず、あきらめず前進することです。


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1.狭き門・狭き道 
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私たち神の民の行く門が狭く道が細いのは、点の国の新しい律法が
更に厳格で、旧約の律法よりも更に高いレベルだからです。


そこでは古い人格、肉的思い、この世とその栄華はすべて排除され
ます。神の御心と一致するものだけが入る事ができます。ですから
私たちは聖霊なる神の導きと制限を受ける事になります。


これを「狭い門」「狭い道」とイエスは呼びました。ところが聖霊
の働きかけを無視するならば、私たちの行く道は幅広く、門は広いの
です。何の制限も受けずに、自由に行くことができるからです。


しかし神の民に行く道はそうではありません。十字架への道なのです。
しかしそれは復活へと通じる道でもあります。私たちが愛し、歓喜し、
楽しんでいる時ですら制限の下にあるからです。


しかし真の自由を得る行き方でもあります。「滅びに通じる門は、
広く、その道は広々としている」(マタ7:13)のです。


ここの「滅び」(アポーレイアは、「滅亡」「破壊」の意味)は本人
の崩壊ではなく、その人の行為と働きの崩壊を意味しています。


キリストという土台を無視して家を建てない者は崩壊するからです
(1コリ3:15)。


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2.偽預言者 
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そこで偽預言者に警戒せよ、と言います(同7:15)。彼らが誰で
あるかを見分けなければ成りません。私たちは預言者をその人言行、
働きによってではなく、実によって見分けなければなりません。


良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。土地である神
の民は、神のために耕され、野菜としてのキリストを生み出して神
の祝福を受けるのですが、茨やあざみを生えさせるなら、その土地
は役に立たなくなり、呪われ無価値なものとなってしまいます
(ヘブ6:8)。


従って、私たちはイエスが神であり、復活の主が命の霊である聖霊
なる神として、私たちに豊かな実を結ばしめることをもって確信し
なければなりません。


この主なる神を呼び求め、神の御心を行うために聖霊の導きを受け
る事がいかに大事かがわかります。

特に警戒すべき事は、私たちを惑わす者が主イエスの名によって
預言し、悪霊を追い出し、奇跡をし、信心深く祈り、語り、よく
奉仕したとしても、それが神の御心である野菜でなく、茨や
あざみであっては役に立たないだけでなく、災いとすらなくので、
惑わされてはいけないと言うのです。


そしてイエスはそのような惑わす者たちに対して裁きの日に、
「ここから立ち去れ」とすらきっぱりと宣告する、と言うのです。


この惑わす人とは、洗礼を受けているクリスチャンを指します。
その理由は、文脈からこの「山上の説教」は根本的に弟子たちに
語られています。


またそこでは、どのように救われるかについては語っていません。
なぜなら既に救われた弟子に対して語られたからです。


そしてここで述べられているのは信仰の問題でなく、行為の問題
だからです。ですからここで述べられている「滅び」は、救われ
ていない人の滅びではありません。「かの日」(同7:22)とは、
キリストの裁きの日の事で、そのとき、クリスチャンに対する
裁きがあることを示し、「大勢の者」が天の国に入れない事を
示しています。


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3..岩の上の家・砂の上の家 
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信徒であっても「愚かな信徒」と「賢い信徒」とがいます。どちら
も何かを打ち建てるために伝道します。証しします。奉仕します。
しかし、神のことばによってなす人とそうでない人があるというの
です。


愚かな人は、自分の意志で、計画し、努力して何事かをしようとする
のですが、砂(人の観念やこの世のやり方)の上に建てた家のごとく
雨が降り、川が氾濫し洪水(悪霊の力)となり、強風(異端の教え)
のテストによって砂に沈み崩壊してしまうような働きしかしないと
いうのです。


しかしながら、賢い人はひたすら裁きの座をみつめ、いかなる災難
があってもそれに耐える道を選び、堅固な岩(神の御心を行う事)
の上に家を建てるというのです。


★結論 


私たちはいつか試練に遭います。常にそれに耐えられる道を前進し、
十字架と復活の信仰に立つ勝利者でありたいものです。


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  発行者:ジェームス親泊
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