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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.381

2010/04/10


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  <賢者の道〜Vol.381 - Come to Jesus - 2010-4-10>
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■【今週のテーマ】「復活の中にある教会 」
■【聖書】 1コリント15:42〜50

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神が人となられたこと、つまりイエスの誕生を「受肉」と呼びま
すが、これは神を人の中へともたらします。神が人を着ることで
す。
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これに対してイエスが十字架を経て復活された「死と復活」は、
人を神の中へともたらします。イエスは人を着て死に、人を
復活へともたらしました。


それでは復活とは何でしょうか。


これは、神の領域、範囲です。つまりイエスは人を神の領域へ
ともたらしたのでした。これらを正しく理解するのは聖霊の光
と啓示が必要となります。


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1.イエスの復活 
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イエスはこの地上に誕生し33年半の生涯を持ちましたが、人として
生きられ、ご自身が神である事をほとんど啓示されませんでした。


罪がなかったこと以外は私たちと全く同じでした。しかし、復活
によりこの有限な制限された人は、無限に変り、永遠になりました。
「復活によって力ある神の子と定められた」(ロマ1:4)のです。



受肉において「人の子」として現れましたが、死と復活により
「神の子」として現れました。


受肉において人として現れましたが、復活の後、神として人々の前
に現れました。もちろんイエスは受肉前、既に神でしたが、復活後、
表現された神はそれとは同じではありませんでした。


その違いは、受肉前のイエスは人性を持っていませんでしたが、
受肉により、人性を持ち、人の生活を送り、内にあった神性が
おのずと表現されました。


同様に、復活後、表現されたものは神の生活でしたが、それは
内なる人性がおのずと表現された生活でした。


死と復活は、人を脱ぐとか、無効にするのでなく、人を神にもた
らし、人が神の命を生かし出すことでした。ですから思いや感情
や意志が無くなるのではありません。


むしろ、意志は強く、思いは思慮深く、感情は豊かになります。
怒ることもありますし、歓喜する事もあります。イエスが叱責し
怒られたようにです(マタ21章、23章)。


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神の命の中に生きることは人の味わいに満ちています、決して
人間性が無効になる事ではありません。                          
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ところが死と復活を経過する以前、イエスがマルタに言われたのは
「わたしは復活であり、命である」(ヨハネ11:25)という言葉で
した。


これは復活がイエスであるという事です。しかしまだ肉体は復活
していませんでしたので、十字架を経過しなければなりませんで
した。


死を経過して復活された後、イエスはその霊と成りました。
「最後のアダムは命を与える霊となった」(1コリ15:45)とあり
ます。


体は「自然の命の体」から「霊の体」になりました(同46節)。
復活は聖霊の中に包まれて存在します。


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2.イエスの来臨 
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ヨハネ福音書14章2節で「イエスは行くと」言い、再び「来る」と
言います。行くとは死ぬ事であり、「戻って来る」とは復活の事
です。


それは聖霊として来られる事です。


同19節では「しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、
あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなた
がたも生きることになる」とあり、「生きる」という2つの言葉
が復活の物語を伝えます。


復活の後、イエスは聖霊として生きています。そして私たちの中に
住んでおられるので、私たちは復活の中に生きるのである事を教え
ています。


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聖霊があるところに、復活があります。聖霊を知る事がなければ、
復活についての話は無意味です。
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ですから私たちは聖霊を知り、復活に生きるために、私たちは
十字架を経験しなければなりません。十字架は、私たちの思い、
感情、意志を死に渡すことを要求します。


こうして、自己の判断、好き嫌いの感情を否み、聖霊にゆだね導き
出されると復活の命を得て、昇天させられるわけです。


そして神である聖霊の豊かさを実感します。聖霊の中には、神、人、
死、復活、昇天の全てがあります。


復活の力が私たちを勝ち得て余りあるものとします。


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3.教会は、復活から出てきました。それ以前は存在しませんでした。
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そして復活は聖霊にあり、聖霊は私たちの中にあるのです。


私たちが共に集まり、組み合わされ団結して奉仕する、あるものは
床を掃き、雑巾がけをしたり、訪問する場合でも、聖霊にあって
しないなら教会の奉仕ではありません。


外側の状況だけでは奉仕かどうか分りません。教会の奉仕は
復活の中にあるのです。復活の中にある奉仕であれば、人の
対処によってやりきれない事はありません。


遥かに高くされ、復活的で、「天に属し」て、生きるからです。


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