その他ニュース

賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

全て表示する >

賢者の道 Vol.299

2008/09/13


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  <賢者の道〜Vol.299 -In Christ Alone- 2008-9-13>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■【今週のテーマ】「怒りの正体と和解」 
■【聖書】マタイ5:21〜26

………………………………………………………………………………
新約聖書の最初の4巻を「福音書」と呼んでいますが、それは単なる
言葉でなく、命そのものであり、血であり肉であり、十字架、復活の
宣言、愛の精神の宣言でもあるからです。
………………………………………………………………………………


もちろんそれはイエスの伝記でもありますが、それだけではないから
です。そして初めの三つ、マタイ、マルコ、ルカによる福音書を
「共観福音書」と名づけていますが、それはこの三福音書が、大体
同じ視点から書かれ、記事に共通点が多いからです。


ところがヨハネ福音書だけは、前者とは異なり全く違った見方から
書かれています。


そして他の福音書では分からないイエスのエルサレムにおける行動を
詳述しています。


………………………………………………………………………………
さてマタイ福音書です。
………………………………………………………………………………


これは28章から構成され、そのうち5、6、7章は「山上の垂訓」
と呼ばれるもので、イエスが弟子たちに話した言葉を一箇所に集録
しました。


ルカ福音書では、数箇所に分けて書いているように、違った場合に
語られたものでしょうが、マタイはそのようなことに頓着せず、
イエスの教訓だけを一まとめにして記載しました。


イエスはマタイ28:2で、「あなたがたに命じておいたことをすべて
守るように教えなさい」と弟子たちに命じていますが、この命令で、
この山上の垂訓をしのぐものはありません。


それは主の命令の中心であり、最も重要な命令と言ってもよいでしょう。


ですから、これらはクリスチャンが守るべきものです。そして聖霊
の働きは、これらの主イエスが地上におられた間に語られたすべて
のことを思い起させるのです(ヨハネ14:26)。

  
まず山上の垂訓で、イエスは八つの「幸い」(マカリオイ)を語って
います。


10節と11節には「幸い」という言葉が別々に出てきますが、内容は
同一のことを告げていますので一つとして数えますので九つの「幸い」
ではありません。


………………………………………………………………………………
ここでイエスは、クリスチャンとしての特質を語りました。
………………………………………………………………………………

 
次に、クリスチャンの使命を語ります。「地の塩、世の光たれ」と
言います。


地の塩たるを以って、上村邦良師はその著「『山上の垂訓』研究」で、
「クリスチャンの第一使命」と呼び、世の光たるを以って「クリス
チャンの第二使命」と名づけています。 


第一使命は、塩の如く地味に、てらわず、誇らず、自己宣伝に走らず、
権力を振り廻さず、へりくだって、欺瞞と不義を憎み、賄賂を退け、
真実を語り、男女間の純潔、家庭を清潔に保ち、喫煙・飲酒の悪弊を
断つよう唱導すべきと言います。


クリスチャンの第二の使命は、世の光たれ、です。


光は、明るさ、潔さ、温かさを性質としますが、それは愛そのものに
ほかなりません。それは神の愛を中心に生きることです。


そして世を高め、世を潔め、世を愛することです。


次に、イエスが来た目的、ユダヤ教に対する態度を単刀直入に表明し、
非難攻撃がまったく的はづれであると、告げます。律法を廃するに
あらず、成就完成することが使命であると告げたのです。

 
そして、クリスチャンとしての特質が発揮され、その使命がまっとう
されるために具体的にどうすべきか、それについて五21から七章の
終わりまでにおいて詳述しています。


その第一にでてくることが、「腹を立ててはならない」という教え
です。兄弟に「ばか」と言ったり、「愚か者」と言う人格不尊重の
態度で生きる者は、「最高法院に引き渡されたり、火の地獄に投げ
込まれる」とイエスは教えます。


幸福な人生、神の国の倫理、社会的使命をもって生きる第一は何か
というと 怒りの制御にあります。


「兄弟を憎む者は、今もなお闇の中にいます」(1ヨハネ二9)し、
「兄弟を憎む者は皆、人殺しです」(1ヨハネ三15)。


………………………………………………………………………………
怒りの正体を分析し、上村師は、三つに分類します(2−20頁)。
………………………………………………………………………………


第一は病的怒りでヒステリーなど、第二は、主観的怒りで、感情に
おぼれ、先入観にひきづられ、他者や事柄を正確に認識せずして、
罵詈雑言を欲しいままにする場合で、愛の働く余地はない怒りで
「私憤」と言うべきもので、罪を生みます。


第三は、「公憤、義憤」と 呼べるもので愛を基調とする怒りです。


神の正義を考え、客観的に事実を正確に判断し「罪は憎めど人を
憎まず」の思いで感情に支配されない愛の怒りです。主イエスも
怒られたことがありました(マルコ三5、マタイ二一12)。


これはイエスが「言行不一致の人、矛盾撞着に陥れる人、罪を抱く人」
(上村師)を意味するものではありません。


このように聖書は、すべての怒りが裁かれるとは言っておらず、ある
怒りが神に罪を得、兄弟に罪を得ると言っています。エフェソ4:26
では「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。


日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」と言います。


これは罪を犯すほど怒ってはならないこと、罪に支配されてはなら
ないことを意味します。怒るには時間の制限があるのです。


ですから私たちは自分の怒りを制限すべきです。


………………………………………………………………………………
では隣人と仲たがいした場合どうすべきでしょうか。
………………………………………………………………………………


まず祭壇に供え物を献げる前に和解することです。


人が裁判所に訴えるならば、その前に早く和解することです、と
イエスは言います。


ここを上村師はこう解き明かします。

「たとえ自己を省みてやましいき所なくとも」、「いわんや万一自己
に訴えられるべき罪科があれば」、「断じて法廷に立たざるよう
努めるべきである」、

「クリスチャンが、もし人の定めし非人格的なる法律にのみ頼る
ごときが態度に出づるは、驚くべき謬想といわねばならぬ」、


「愛に立つクリスチャンはあくまで平和の愛好者であらねばならない」、


「たとえ人に勝つことありとも、愛の精神に叛く結果、神の台前
には罪を重ねることとなろう」。


かくして「理非のいかんにかかわらずとにかく全力を尽くして争者と
和解するゆえんは、殺人的行為にまで導く根本動機たる怒りの念を
除去し、人格尊重の関係に至らんことにある」(!)32頁)と言います。


もし死んだら永遠に和解はないのです。


╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━╋
  発行者:ジェームス親泊
  協  力:おとずれ社 
  web版: http://homepage2.nifty.com/j-osamu/info.html
  まぐまぐ(マガジンID:99821) http://www.mag2.com/
  melma!(マガジンID:151618) http://www.melma.com/
  ご意見ご感想: j-osamu@nifty.com

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
    ◆GENTEIKADENSHOP Eストアー店◆
             http://www.genteikadenshop.com/
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2002-11-10  
最終発行日:  
発行周期:週1〜2回発行  
Score!: 100 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。