その他ニュース

賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

全て表示する >

賢者の道 Vol.282

2008/05/17


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  <賢者の道〜Vol.282 -In Christ Alone- 2008-5-17>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■【今週のテーマ】「聖霊の満たしと注ぎ」 
■【聖書】使徒2:30〜33

*+*-------------------------------------------------------*+*
新約聖書の中心的啓示は、キリストの受肉、十字架、復活、昇天の
4項目で、それらは聖霊を通して成就され、主のみからだの形成の
ためでした。
*+*-------------------------------------------------------*+*


神が人となったとき人の要素と性質が加えられました。

十字架の死を通過したとき、死の性質と力が加えられました。

復活を経過したとき、復活の要素が加えられました。

また昇天したとき、昇天の要素が加えられました。


このように神は今や受肉以前の神とは同じではありません。神は
多くの要素を持っています。


受肉の要素、死の要素、復活の要素、昇天の要素はすべて神の中
にあります。


肉体となり、死んで復活し、昇天した後、神はペンテコステ(五旬
祭)の日に下って来られました。このお方が聖霊でした。


しかし、この聖霊は、受肉以前の神ではなく、ご自身が元々所有
していたものに加えられた要素を持っておられた神でした。


神の要素を所有することに加えて、人の要素もまた所有しておられ
ました。しかもそれだけでなく、死んで復活し昇天した結果、死と
復活と昇天の要素を持ちました。


ですからペンテコステの日に下ってきた聖霊は実に豊かでした。
その中には、神もおられましたし、人もいましたし、死と復活
と昇天がありました。


ですから聖霊がどんなに豊かであるかということです。


神の霊が聖霊の中にあるだけでなく、受肉された神の人性も聖霊の
中にあります。さらに、十字架の死、復活、昇天、天の豊富と権威
もまた聖霊の中にあります。


ですから聖霊がわたしたちの中に来る時、わたしたちはすべての
豊富を経験するのです。


わたしたちは小さく、虚しい者ですが聖霊が内在するとき、豊かと
なります。

*+*-------------------------------------------------------*+*
十字架と復活の意義は、人が神のすべてを受け取るための前提
として贖罪、和解、赦しがなられたということです。
*+*-------------------------------------------------------*+*


十字架により、神と人のすべての問題を解決し、復活において人を
神の豊かさの中にもたらしたのです。そればかりか主は昇天され、
天の性質と祝福を経過して聖霊となって下られたのです。


これらのすべての過程を経過して、神はわたしたちが霊性を実際に
経験するようにと道を開いたのでした。


人が聖霊に触れるとき、神に触れる実際へともたらされます。
たとえ人に主イエスはわたしたちの為に身代わりとなって十字架に
つけられた、と話したとしても、それは教理にすぎません。


十字架は実際ではありません。しかし、聖霊において、十字架は
実際となります。聖霊において、人は十字架に触れ、十字架を経験
することができるからです。


ですからわたしたちが信じるすべての実際は、聖霊の中にあります。


どんな教えや肉の熱心さや模倣によって生じるものではありません。
真のクリスチャン生活とは、わたしたちの霊が神の霊に触れること
によって生じるもので、自分自身に信頼した結果ではありません。


*+*-------------------------------------------------------*+*
ある人たちは、聖書をよく読み、勤勉に兄弟姉妹たちを訪問し、
交わりを持ち、長い祈りをします。
*+*-------------------------------------------------------*+*


弱い人や、躓いた人や、困難な人に同情し、慰めを与えます。


しかしながら、これは霊的な実際ではないし、真の霊的な生活の
表現でもありません。


むしろ肉の熱心さです。このような熱心さと勤勉さは肉によるもの
です。


へりくだりと柔和さにしても神の霊に触れられて生み出されたもの
でなく、修養し、模倣して得たものですらあります。


かといって、何もしなければだらしなさと冷淡と不親切を露呈する
ことになります。


*+*-------------------------------------------------------*+*
それではどのように生活すべきでしょうか?
*+*-------------------------------------------------------*+*


神の霊がわたしたちの霊に触れ、霊的な命となり生み出されるもの
であるべきなのです。


主イエスは復活されてから、霊のからだを持って戻ってこられました。


そして復活の日の夕方、『聖霊を受けよ」と言いつつ弟子たちに
息を吹きかけました(ヨハネ20:22)。


このように復活によりご自身を命の息として弟子たちの内に入られ
ました。これはペンテコステの50日前の出来事です。


弟子たちは復活の日に、「命の霊」である聖霊の満たしを受けまし
たが、主がまさに天に昇ろうとされたとき、弟子たちに「高い所
からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)
と言われました。


ペンテコステの日に聖霊は激しい風のように力を持って臨んできま
した。


わたしたちは命に満たされる為に内側に「命の霊」を飲まなければ
なりませんが、一方、奉仕と務めのために力を備えるために、外側
に「力の聖霊」をまとわなければなりません。


命で強められ、力で備えられるのです。ところが多くの教会の問題
は、内面的にも外面的にもこれらが欠けているクリスチャンが多い
ことです。


*+*-------------------------------------------------------*+*
ではいかにして聖霊の内なる満たしを受け、聖霊の注ぎを受けるか
と言うことです。
*+*-------------------------------------------------------*+*


それにはキリストの命の霊である聖霊がわたしたちのどの部分に
加えられるかを見なければなりません。


人としてわたしたちには三部分があります。すなわち霊、魂、体
です(テサロニケ5:23)です。


魂は、思い、感情、意志から構成されています。最も内なる部分は
霊です。


物質世界は体を用いて触れ、精神世界は魂を用いて触れ、霊の世界
は霊を用いて触れることができます。


神は霊です(ヨハネ4:24)から、神に触れるには霊を用いなければ
なりません。


魂、ことに思考を用いて神を感じ取ることはできません。


「魂の人は、神の霊の事柄を受け入れません。・・・しかし霊の人
は、すべての事柄を識別します」(コリント2:14〜16)。


クリスチャンは霊では造り変えられていますが、魂において造り
変えられていなければキリストがいないということです。


感情的な人は短気を起こしそうになったらストップするように祈り
幸せで笑おうとするなら笑いすぎないようにストップするように
祈ることです。


感情を死に渡すなら、復活が続き、聖霊に満たされ、注がれます。


╋━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━╋
  発行者:ジェームス親泊
  協  力:おとずれ社 
  web版: http://homepage2.nifty.com/j-osamu/info.html
  まぐまぐ(マガジンID:99821) http://www.mag2.com/
  melma!(マガジンID:151618) http://www.melma.com/
  ご意見ご感想: j-osamu@nifty.com
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
    ◆GENTEIKADENSHOP Eストアー店◆
             http://www.genteikadenshop.com/
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2002-11-10  
最終発行日:  
発行周期:週1〜2回発行  
Score!: 100 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。