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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.273

2008/03/15

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イースター(復活祭)は、3月23日(日)です。ぜひ教会にお出かけ
ください!
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■【今週のテーマ】「あえて何もせず」 
■【聖書】創世記 45:4〜28

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ヨセフは、13年間の苦難の後、エジプトの支配者となりました。
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その間幾度も父に会うことを切望しましたが、自分のところに連れ
て来たのは9年後でした。


彼はエジプトから馬車を遣わして父を連れてくることができる力
と地位とを持っていましたが、あえて何もしませんでした。


彼が何もしなかったというのは、父のことを何も思わなかったと
いうような薄情な性格を意味するのではありませんでした。


それよりもヨセフは感情に満ちた人、父を愛する人で、一日たり
とも父を思わなかった日はなかったのです。それにもかかわらず
神の主権ある御手にとどまり、何もしないことを選びました。


彼は地位と力を得ていましたが、それを自分のためには使わず、
全面的に神の権益のために用いました。


ですから、父に会うことにしても、神に「主よ、あなたがそれを
行ってください。あなたがそれを行わないなら、私は何もしません」
と祈ったことでしょう。


私たちも、自分だけで先走らないという学課を学びましょう。


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ヨセフは自己を否んだ人でした。
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彼が行ったことは何であれ、自己を否む原則に基づいていました。


彼は極みまで兄弟たちに痛めつけられ、傷つけられましたが、復讐
しようとしませんでした。


むしろ彼らに適切な懲らしめを与え、彼ら自身が神の民として健全
に成長するのを願ったのでした。


このことは彼らが家に帰る途中言い争わないようにと命じる配慮の
言葉で分かります(45:24)。言い争いとは、ヨセフが兄弟たちを
冷静に懲らしめたことを示します。


ヨハネは兄弟たちを恨んだり、責めたりせず、受け入れ、慰めて
いるのです。


そればかりか彼らを神の助け手と考え、神がヨセフをエジプトに
遣わす助けをしたと考えたのです。


「神が私をあなた方より先に遣わされたのは、あなたがたのレム
ナント(原語で「残りの者」)をこのエジプトに残し、存続させ
るための道を備えられたのです」との思いをヨセフは語りました
(45:7)。


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 皆さんが教会生活をするのも同じはずです。
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ここにいるのは神の目的のためであることを知ればローマ8:28の
聖句が腑に落ちるはずです。

そこにはこうあります。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、
万事が益となるように、共に働くということを、私たちは知ってい
ます」と。ヨセフは神を愛していましたから、何が起ころうと、
彼に起こったことはすべて何であれ、益であったのです。


ですから教会生活で起こるすべてのことは益となるものと認識し、
怒ったり、赦さないなどと近視眼的に物事を考えることはないの
です。


不愉快なことであっても、神の国ために、教会にとって有益なの
です。ですから妻や夫や両親や教会の聖徒たちが、皆さんに行う
ことについて不平を言わないようにしましょう。


万事が相働いて益となるのです。ここで重要なことは、私たちが
神を愛しているかどうかです。もし愛していなければ、すべては
益とはなりません。慰められることはありません。


ヨセフは17歳から30歳まで絶えず苦しみました。この苦難は、
忍耐を要しました。しかしこれによってヨセフは訓練させられ
ました。


兄弟たちに会ったとき、彼は自分がファラオの顧問(原語では「父」
アブ)、宮廷全体の主、エジプト全体を治める者となっていること
を告げ、彼らを強めて、父を連れて来るようにしたのです。


彼は自分の感情、自分の利益、自分の思いでなく、あらゆることを
神の目的、神の民のためになした自己を否む人であったのです。


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ヨセフはかつて夢を持ち、その夢は成就し何不自由ない生活が与え
られていました。
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しかし、一つのことが欠けていたのです。それは父が共にいること
でした。なのに彼は自分からは何もしませんでした。


むしろ、忍耐して、適切な時が来るのを待ったのです。9年間何も
しなかったのです。


兄たちが造り変えられなければ父を招くことはできなかったのです。
神は主権を持って、その環境を備え、ヨセフが父を呼びにやる時が
熟したことを示しました。


ヨセフは多くの贈り物を持たせて故郷に兄弟たちを帰しました。


兄弟たちは父ヤコブのもとに帰ると、直ちに報告しました。
「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全国を治める者に
なっています」。


それを聞いたヤコブは、彼らの言うことが初め信じられませんで
した。そしてヨセフが遣わした馬車を見せたのです。


するとヤコブは元気を取り戻し、「よかった。息子ヨセフが生きて
いたとは。私は行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい」と告げた
のでした。


そしてヤコブは一族をつれてエジプトへと旅立ったのでした。


ヨセフは父を待ち続け、慕いました。しかし神の抑制の下におり、
自ら迎えには行きませんでした。その理由は何だったのでしょうか。


彼が立派な支配者であったのは、自分の感情を制御できたからです。


神の国の民は、かんしゃくを起こしたくても抑制すべきなのです。
そうでないと教会生活を台無しにしてしまいます。


聖霊の統治権の下にいなければ、どんなに主張が正しくても間違い
なのです。ヨセフは神が許可するまで祈り、待ち続けました。


神が事を起こすまで何もしませんでした。


行う力は持っているのもかかわらず、何も行いませんでした。これが
真に自己を否むことであり、真に十字架を負うことの意味です。


行う力があっても、自分を抑えて行わないことが、十字架を負う
ことです。


主イエスは父なる神に十二軍団以上の天使を遣わしてもらって自分
を救ってもらうように求めることができましたが(マタイ26:53)、
行わない強さをもっておりました。


私たちは、何か行う機会があるとすぐに飛びつき、簡単に事を行って
しまいがちです。


しかし、キリストの命は、できるのに行わない力を持っているのです。


この自己を制御できる命、十字架を負う命が、神の国をもたらし、
現出させる命なのです。

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創刊日:2002-11-10  
最終発行日:  
発行周期:週1〜2回発行  
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