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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.266

2008/01/26


■【今週のテーマ】「「主の臨在を持ったヨセフ」」
■【聖書】創世記 39章 21〜23節

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  創世記37章では、ヤコブが息子ヨセフをいかに愛したか、で始まり、
  ヨセフの夢が告げられます。
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そこで神は、神の民がすべて命の小麦の束であることを示しています。
たとえ邪悪な神の民がいようとも神にとって選ばれた民は命の束であり、
夜空に輝く星です。


この夢の後、ヨセフの兄たちが彼を殺そうと企て、エジプトに奴隷
として売ってしまいます。


第38章でユダの性的堕落について描き、39章でヨセフが受けた暗い
誘惑と不当な取り扱いについて見ます。


このような中、ヨセフは立ち上がる束、輝く天の星として行動しま
した。


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  37章、38章には、2つの罪が記録されています。
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1つは怒りの罪です(37:18〜28)。
ヨセフの兄たちは怒りをあらわにしています。
彼らはヨセフを殺そうとしています。


しかしルベンだけは父への影響を考えて売ることを提案しました。
にもかかわらず兄たちの怒りを見ます。


38章では、ユダが情欲にふけっていることを見ます(38:15〜18)。
人の堕落の後、でてきた最初の結果は、肉親の兄弟殺し(カインに
よるアベル殺し)であり、神の裁きの洪水をもたらした原因は肉的罪、
情欲への異常な傾向でした。


この2つの罪が、ここ37章、38章に繰り返されています。


しかしヨセフは兄たちの死の怒りの水の中から浮かび出て、生き残り
ました。これは私たちの命の記録ではないでしょうか。


日ごとに、私たちは人の怒りの死の水の中に取り囲まれます。しかし
おぼれるどころか浮かび上がり生き残ります。


これは内側にキリストの構成を持っているからです。内なるヨセフは、
起き上がり立ち上がる命の束だからです。



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 38章の情欲の放縦は、暗闇の象徴です。
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ヨセフの兄ユダは、暗闇の中に生きていました。
彼の目は暗くされ、物を正確に見ることができなくなっていました。


ユダは暗闇の中、放縦に振る舞い見知らぬ女性と思って性的関係を
持った人が、実は嫁タマルであったのです。


彼女は父の子をみごもって双子を産みました。彼が暗闇にいなけれ
ばこのような結果にはならなかったはずです。


39章のエジプトの侍従長ポティファルの妻も同様に暗闇にいました。


そしてヨセフを誘惑し性的堕落の道を行こうとしていましたが、
ヨセフにより拒絶され、逆恨みをして彼が投獄されるよう嘘の証言
をしたのでした。


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しかしこのような闇のただ中で、天に輝く星のように生きるヨセフを
見ます(39:7〜12)。
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誘惑を受けたヨセフは拒んで「あなたはご主人様の妻です。
どうして大きな悪を働き、神に罪を犯すことができましょう」と
言っています。


ヨセフは夢見る者でしたが、その夢の真意を受け取りそれを実行
する人であったのです。


私たちは怒り出そうとすることがあります。しかしそうしてしまうと
命の束であることができなくなります。


怒りをもつように、情欲も私たちは持っています。これを制御する
ことも困難ですが、それはビジョンを持ち、圧倒され、導かれる以外
に打ち勝つことは困難です。


私たちを制御するビジョンがあります。神のビジョンのない民は
堕落します、滅びるのです。


教会生活は、天の星のビジョン、束のビジョンをもたらす情欲の制御
する機能でもあります。


天のヴィジョンの下でのヨセフの生涯は、マタイ福音書5章、6章、
7章(神の国の憲法)で見られる神の国の生活でした。


そこでは怒りは制御され、情欲は抑制されなければなりませんで
した(マタイ5:21〜32)。


いかに神の国の民であれと主張しても、怒りを制御できず、情欲を
抑制できなければ無意味なことです。


その点、ヨセフを見ると実に円熟した命の支配した神の国の民の姿を
思わされるのです。


神の国の実現は、自らの内なる怒りを拒絶し、湧き起こる情欲を
罪定めできる自制心から始まるからです。


このように神の国の生活をする人には、常に神の臨在があります。
そして主の臨在があるところにはどこにでも、神の権威があります。


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 創世記39章を開いてみましょう。
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エジプトに連れて来られたヨセフを買い取ったのは、ファラオの宮廷
の役人で、侍従長のポティファルでした。


ところが神が彼と共におり、神の権威が彼に臨んだので、ファラオ
(王)のすべての財産は任され、エジプト人の家の経済生活向上に
寄与したのでした。


ここですでにポティファルはヨセフの統治下に置かれていたのです。
その後、ヨセフは、彼の妻の捏造により濡れ衣を着せられ、監獄に
投ぜられました。


そこには監守長がおり監獄を支配していましたが、実際の支配者は
彼ではなく、神の臨在と権威を持った囚人のヨセフでした(39:22)。


このようにヨセフは、ポティファルの家でも、監獄でも、王として
の立場をとり、やがて解放されます。


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 これはどうしてでしょうか?
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簡潔に述べるならば、神の国の憲法を守る者には、神の臨在と権威
が伴い、王としての立場が与えられるということです。


この宇宙における権威は主ご自身です。
主の臨在があるところには、どこでも権威、支配する力があります。


たとえ過酷な労働環境にあっても、体ひとつ動かすことのできない
障害を持つ状況にあっても、獄中にあっても、その環境を支配する
権威があるのです。


これは熟成した命はおのずから支配し、その命を宿す者に繁栄を
与えるからです。

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創刊日:2002-11-10  
最終発行日:  
発行周期:週1〜2回発行  
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