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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.245

2007/09/01


<賢者の道〜Vol.245 -Amazing Grace- 2007-9-1>

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■【今週のテーマ】「贖いの井戸とぎょうりゅうの木」
■【聖書】 創世記21:22〜34
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創世記21章には2つの子孫とその生活形態が記録されております。
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それはアブラハムの二人の子どもイシュマエルとイサクの二つの
流れです。それらの異なった生活形態は、二つの井戸の対比で見
られます。


まずイシュマエルの井戸ですが、それはエジプト近くの荒野にあり、
そこでイシュマエルは弓を射る者となり、妻をエジプトから迎えま
した(19〜21節)。


即ち、神の拒絶された場所に井戸をもったイシマエルは、この世を
表徴するエジプトに近く結びつき生き、命を殺す者として生計を
立て、この世の女を嫁として生きたのです。


これに対して、イサクのための井戸は、ペリシテ人の王アビメレク
の地とカナンの地の境でイスラエル南部ネゲブ地方の中心地ベエル・
シェバ(「誓いの井戸」の意)にありました。


この井戸は、アブラハムが掘ったものですが、アビメレクの部下
たちが奪っていました(25節)。


そこでアブラハムは七匹の雌の小羊を代価にして贖いました。
ですから「贖いの井戸」とも呼べるのです。


予表では、これらの小羊はキリストの完全な贖いを表し、その神聖
な生ける水が買い戻されたことを示します。


主イエスは「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命にいたる水が
わき出る」(ヨハネ四14)と言い、ご自身が私たちの命となられた
ことを示し、

「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から
生きた水が川となって流れ出るようになる」(同7:37〜38)、


「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲む
がよい」(黙22:17)とこの井戸がキリストの贖いの代価で贖われ
た命の源であったのです。


またこのイサクのための井戸は、契約を必要としました(創世記21:
31〜32)。


生ける水は、贖われた水であるだけでなく、契約された水です。
イシュマエルの水は、荒野の水、贖いも契約もない水でした。


しかしイサクの水は、すべて贖われた水、契約の水であり、キリスト
を知った私たちが飲むべき水もまた贖われ、契約された水なのです。


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このベエル・シェバの井戸の傍らには、アブラハムによって植えら
れたぎょうりゅうの木(豊饒・再生の象徴)がありました。
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それは柳の木の一種で葉が非常に細く、水辺に育成します。


井戸のために契約を結んだ後、柳の木を植えたのは飲んだ水の豊か
さを示します。今日の教会生活は、ベエル・シェバの井戸の傍ら
です。


この井戸から飲み、生きるとき、命の豊かさをもって流れる
ぎょうりゅうのように決して渇きを感じず、むしろ絶えず新鮮
な活力を得るようになるのです。


教会は、契約の誓いの井戸の傍らにあり、ぎょうりゅうで満ち、
私たちは風に流れるその木の枝のようにいのちの流れであることです。


教会は、植えることをしなければなりません。人を植え、殺さない
ことです。今日の教会が、誓いを忘れ、荒野にいるイシュマエルの
ように殺す者となっていてはなりません。


殺す者でなく、命を植える者でなければならないのです。殺すので
なく、生かす者となりましょう。私たちの魂という荒野は、自然の
命の源でありますが、内なる霊という園は、贖われた命の源です。


ベエル・シェバで、奪われた井戸のためにアブラハムは戦ったように、
私たちはこの内なる井戸のために戦い、それを獲得し、教会生活の
ために霊の井戸を持つ必要があります。


アブラハムはぎょうりゅうの木を植えたところで「永遠の神
(ヤハゥエ・エル・オラム)、主の御名を呼んだ」(33節)とあります。


つまりエル・オラムの神は、「永遠の命」を暗示し、アブラハム
は神を永遠の命、永遠に生きる内なる命として経験し、「おお、
ヤハゥエ・エル・オラム!」と呼びました。


いまや永遠の命は、イエス・キリストの内にあります(ヨハネ5:
11)。従って私たちも「おお、主よ!」と呼ぶだけで同じ享受が
持てるのです。


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命の木が創世記2章の記録の中心であるように、ここではぎょうりゅう
の木が中心です。
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それは命の木の表現であります。教会生活でも善悪を問う知識の木
を求めるのでなく、命の木を求める経験をしなければなりません。


イシュマエルの飲んだ水は、命を殺すものとし、イサクの水は神に
献げるものとしました(22:2、9)。


また、エジプトに下るのでなく、モリヤ山に上る者とし、エル
サレムを造らせ、神の神殿が建てられたのです(歴代下3:11)。



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