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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.230

2007/05/19


<賢者の道〜Vol.230 -Amazing Grace- 2007-5-19>

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■【今週のテーマ】「二つの異なる神の召し」
■【聖書】 創世記12:1〜6、使徒言行録7:2〜3
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へブライ人(イブリー)とは、原語の意に含まれる「(ユーフラテス)
川を渡って来た人」(創世記14:13・70人訳ギリシャ語聖書注)を
指します。
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アブラハムはその最初に川を渡った人でした。主に従う事とは、
川を渡る事柄です。これは容易なことではありません。ではどの
ようにアブラハムは川を渡ったのでしょうか。


アブラハムの神の召しについて注意深く見てみましょう。
それは創世記12章と使徒言行録7章で述べられています。


この二つの部分から、神がアブラハムに二回、現れたのを見る
ことができます。


第一回目は、彼がハランに住む前、メソポタミアに住んでいた時、
現れます(使徒7:2)。


第二回目は、彼がハランに住んでいた後、再び現れます(創12:1)。


第一回目の召しは、彼の父の生存時であり、第二回目の召しは、
父の亡き後でした。


その二つの召しの違いは、最初は、神はアブラハムに故郷と親族
から離れるように告げられ、次の召しで、神は故郷、親族、父の家
から出るように告げられました。


神は第二回目で、親族を離れるだけでは十分でなく、父の家から
でなければなりませんでした。


アブラハムは、二つの場所で、二つの異なる神の召しを受けたの
でした。


神はなぜ繰り返したのかと言いますと、アブラハムが泥沼に足を
取られて、直ちに川を渡らなかったからです。


私たちにしても神の召しに直ちに応答する人は少ないものです。
親族という泥に足を取られる人もいます。


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アブラハムがカルデア(「悪鬼的」の意)のウル(「光」の意)に
いた頃、栄光の神が突然、現れ、光をもたらしました。
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神が来て人を召す時、常に光があります。光がもたらされると、
もはや自分のとどまる場所でないと気づきます。


彼は、父テラや親族に、神が現れたことや召されたことを語ったの
ですが、兄でテラの長男であるハランに反対されて行動に移せな
かったのでしょう。


そこで神は反対者ハランを取り去られました。創世記11:28で
「ハランは父のテラより先に、故郷カルディアのウルで死んだ」と
告げられています。


テラにとって長男の死は、それ以上延期すべきでないという警告で
あったのです。


テラという名は「延期する、遅れる、ぐずぐずすること」の意味
です。


かくして彼は家族を連れて、カルデアのウルを共に出て、
ユフラーラテス川を北上し、長い旅を経て、ついにハランに
移りました。


しかしだらだらと長い旅をしてもその川を渡りはしなかったのです。
ウルから離れたのですが、川を渡らなかったのです。


教会生活でもそうです。川に沿って歩いてはいるのですが、神が
望まれるように川を渡らず、向こう岸にいる人がいます。


ウルには、ハラン(「干からびていること」の意)という名の人
がいました。今、同じ名の町を見ます。どちらも同じ名です。


彼らは一つのハランを離れて、別のハランに移ったのですが、
神の目には、どちらも同じことでした。


神の召しを拒絶したハランは、干からびていたに違いありません。
神の召しを受けるのを妨げる場所も干からびた感覚を与えます。


ハランにアブラハムは父が死ぬまでとどまりました。次に神が再び
アブラハムに現れて召されました。彼の応答が遅かったので兄と
父の二人を失ってしまいました。


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二度目の神の召しで、故郷と親族から離れるだけでなく、父の家
から離れるようにと課題を追加しました。
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彼は従いましたが、すっきりした方法ではありませんでした。
それは父の家の家族である甥のロト(「覆い、包み」の意)を
連れて行ったからです。


75歳になっていたアブラハムには自分の子どもがおらず、そんな
長い旅では若者を必要としていたからでしょうが、間違いでした。


これは弁解で、13章で分かりますがロトは問題を引き起こします。


救われるとは、召されることで、単に罪が赦され、天国に行く資格
が与えられるだけでなく、周辺の環境、状況から召し出されること
です。


救いとは旅に出ることです。アブラハムは、やっと川を渡りました。
救われるとは、召されて神の目的を成就することです。


アブラハムはカナンの地に到達しました。私たちの良き地は、
キリスト、教会、神の国です。


私たちは、天よりすばらしいものをもっています。死後の天国より
まさるもの、それはキリストです。


神は地と同じように天をも揺り動かそうとしています(ヘブライ12
:26)。


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しかし私たちは揺り動かされない神の国を受けました。
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それは教会を伴うキリストです。神の目標は、キリストです。
私たちはそのキリストの中にいます。これが良き地です。


そしてカナンの良き地は、教会です。そこはキリストの豊かさと
祝福の詰まった所です。


シケム(「力を与える肩」の意)に達し、モレ(「知識を与える
教師」の意)の樫の木の下で神はアブラハムに現れました。


キリスト教を旅してきた人も教会で神に出会い、力と知恵を与えら
れます。そこに祭壇を築き、持っている物を献げ、親密な神との
関係を維持しましょう。


教会はモレの樫の木です。力づけ、太陽の熱から守り日陰を与えて
下さいます。


ぐずぐずせず川を渡り、命を移されたイブリーとして勝利の人生を
得ましょう。 


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