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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.228

2007/05/04



<賢者の道〜Vol.228 -Amazing Grace- 2007-5-4>

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■【今週のテーマ】「内なる顔の覆いを取る」
■【聖書】 マタイ16章28節〜17章2節
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イスラエルの北部ピリポ・カイザリアから更に奥に入って行くと
ヘルモン山(最高峰1814m)がありますが、イエスは、弟子たち
を伴ってこの山におそらく登られたのであろうと思われます。
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「高い山」と言われるこの山でイエスは太陽のように輝き、衣は光の
ように白くなりました。この輝きは、神のかたちを帯びることです。


私たちも、神のかたちをもって輝くとき、神の権威を帯びるのです。


ではどうしたらよいのでしょうか?


 パウロは、私たちの「顔には覆い」がかかっており、主イエスの
霊の中にいなければ覆いは取り除かれないことを教えています
(コリント三12〜18)。


私たちはみな覆いのない顔を持って輝いて歩みたいものです。
しかしこの箇所を厳密に理解するならば、この顔は、単に外側の顔
ではなく、内側の顔の表現にすぎません。


イスラム圏の女性たちの衣装は別にして、誰も外側の顔に覆いを
してはいませんが、私たちの多くはいまだに内側の顔に何かの覆い
をしております。


この覆いは、宗教的なもの、聖なるものもまた、罪深いものこの世
のものと同じく覆いとなります。


コリント三章の文脈でいう覆いとは、旧約聖書(タナハ=律法、
預言書、諸書の頭文字をとった名称)を指します。


ですから妻、夫、子どもたち、兄弟姉妹、善い行い、悪い行い、
神のための熱心な奉仕活動ですら覆いとなり得るのです。主ご自身
以外のすべてのものが覆いとなり得るのです。


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 どれほど潔く霊的であっても、どれほど宗教的であっても、
主イエスご自身でない限り、それらは覆いとなり得るのです。
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ですからいまだにその覆いの下にいる限り主イエスを見ることが
できないのです。私たちは覆いのない顔をもって主の栄光を見つめ
映す必要があります。


それはモーセが40日間、神の栄光を見つめ、神の栄光が彼の顔から
輝いたときのようにです。


ですから私たちはすべての悪いもの、善いもの、潔いもの、潔く
ないもの、宗教的なもの、宗教的でないもの、霊的なもの、霊的
でないものを、忘れる必要があります。


何でも主ご自身以外のものなら、それらを脇に置かなければなり
ません。主イエスの中にあって生き、神の命を持っているならば
たとえ十字架の経験をしても死なない部分があります。


この部分が復活の命です。私たちが主の十字架を負い、それを
受け入れるなら、主の復活の命だけを信じ、それ以外の一切を
決別しなければならないのです。


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主にあるならば、いかなる十字架を経過したとしても、すべてが
消え去るのではありません。何かが残ります。これが復活です。
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ですから十字架を受け入れますと、天然、自然の肉的強さが取り
除かれます。モーセやペトロもまた、それを経過し、比べ物になら
ない大胆さと天来の力とを保持することができました。


サタンや悪霊どもは何でも利用して、主イエスを見つめることから
そらすことができます。


ただ一つ、彼らが利用することができないのは、主ご自身です。
主だけは惑わすことができないのです。ですから私たちは主イエス
にぴったりと寄り添っていなければならないのです。


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新約聖書には、少なくとも四つの書が主を見つめることから
人々を妨げるもの、主イエスと接触して主を享受することを
人々から覆うものについて書かれています。
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ガラテヤの信徒への手紙は、律法、宗教、伝統を取り扱ってい
ます。これらは隔ての覆いです。律法は聖なるものですが、人を
キリストから引き離し、断ち切ることができます(ガラ五4)。


不道徳な図書だけでなく、善か悪かの律法的生考え方に捉われる
のは、キリストから断ち切られ、離され、無にもたらされるのです。


ですから、顔を律法でなく、キリストに向けなければならないの
です。律法は常に宗教を形成し、宗教は長い伝統を持ちます。
これらは主ご自身と絶縁する場合があるのです。


コロサイの信徒への手紙では、哲学という言葉が使われてい
ます(2:8)、これはグノーシス主義を意味します。


これはギリシャ、エジプト、バビロン、ユダヤの思想を混ぜ込んだ
知識でした。哲学は良いものですが、主ではないので覆いとなり
ます。


ヘブライ人への手紙は、ユダヤ教のすべての良いものはキリストの
予表、影としての考えを示しています。


これらは写真に譬えられます。いくら写真を見て愛しても本物では
なく、覆いに過ぎないのです。


最後にコリントの信徒への手紙です。


ここでは霊的賜物、異言、癒し、奇跡ですら覆いとなると警告して
います。


私たちは主を顔と顔を合わせて見るよう祈り、隔ての覆いを取り
除くよう変貌の山に登り輝きましょう。


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