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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 Vol.217

2007/02/17


<賢者の道〜Vol.217 -Amazing Grace- 2007-2-17>

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■【今週のテーマ】「神と共に歩んだエノクの生き方」
■【聖書】 創世記 5:18〜27
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創世記第四章は主の御名を呼び求めることを語り、第五章は神と
共に歩むことを語っています。
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そこには救われたものの系図が見られます。又そこには人が「生き」
子を「もうけ」そして「死んだ」ということが繰り返し出てきます。


「生きた」「生んだ」「死んだ」という循環が繰り返されています。
しかしここで学ぶことは、何年生きたかはともかくとして、人々は
生き、生み、死んだという点です。


これ以外に何をしたかということは記されていない、行ったことは
生き、生んだと言うことです。「生む」とは、実を結ぶことと言え
ます。


つまり神の目的に成就は、生むことにかかっています。神の教会は
多くの家族を生んできました。生きて生むことができるのは、
すばらしいことです。


この系図をルカ福音書第三章と一緒に見るなら、アダムの系図が、
イエスの誕生で終わることが分かり、創世記第五章の人々が
決して虚しく生きたのでないことが分かります。


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 この十世代の記録のうち、一つの世代が死を逃れたことを見出
 します。
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第七世代のエノクは生き、生み、神と共に歩み、生み、そして死に
ませんでした。


神がエノクが死を経験しないように、天に移されたからです
(創5:24、ヘブライ11:5)。


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エノクは携え挙げられた第一の人でした。
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主イエスが再臨されるとき、私たちはみな空中に携え挙げられる
と預言されています(テサロニケ四16〜17)。


ですが、注意深く読むならば、この「空中携挙」の出来事は多くの
クリスチャンが想像する方法ではないことを知ります。


エノクの事例が、「携挙の原則」を打ち立てています。
その原則とは何でしょうか。それは、神と共に歩むことによって、
命において円熟させられることです。


携挙の前提条件は、神と共に歩むことです。それは出しゃばらず、
自分の思いや願いによってことを行うのでなく、神なしに何かを
するのではありません。


神を中心またはすべてとすること、神の啓示と導きに従ってことを
行うことです。


そしてこの「神」を人は主イエスによってのみ見いだすのです。
エノクはそのようにして主イエスにある神と共に歩み、一切の
ことを行いました。


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 他の人と共に歩むのは決して容易ではありません。
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山に行ったときの話ですが、リーダーの足並みが早すぎてついて
行けない同行者がおりました。


では皆さんに伺いますが、誰が誰と共に歩こうとしているので
しょうか?


これは標準をどこに置くかという事です。リーダーが標準であれば
ついていかなければなりません。


一緒に歩くのを標準とするならば、遅い人にペースを合わせなけれ
ばなりません。


会社にはノルマがあります。それを標準とします。いくら丁寧でも
時間がかかりすぎるようでは生産コストが高くなります。


では神が、エノクと共に歩んでいたのでしょうか?
それともエノクが神と共に歩んでいたのでしょうか?


聖書は、神がエノクと共に歩かれたと言っています。


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 ルカ福音書第24章で、復活の日、主イエスはエルサレムから
 エマオに向かっていた二人の弟子たちと共に歩かれました。
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弟子たちが主イエスと共に歩いたのでなく、主イエスが弟子たちと
共に歩いたのです。


しかし主はエマオに向かって弟子たちに従って下っていくのですが、
実はエルサレムへ連れ戻そうとしているのです。
上昇するために下降したのです(エフェソ四9)。


一人の人が他の人と一緒に歩むのは容易なことではありません。


一緒に歩きたくても、あっちにいかないで下さい、こっちに
曲がってください、と言うならば論争となります。
多くのクリスチャンがしていることはこれです。


主と共に歩むのは、主にリードを取っていただくのであり、
自身を否むこと、思いや感情を否み、主に降参することなの
です。


主を呼ぶことはあなたを生かしますが、主と共に歩むことは
常にあなたを殺すことです。そればかりか、それは新しい命の
誕生となる復活をもたらす条件、前提となります。


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このことを主イエスは十字架によって実証されました。
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ですから十字架を負うことは、私たちにとって苦難を担うという
より、古き人を終えることにあります。肉の自我、嫉妬、争いを
殺すことです。


また十字架は、異邦人とユダヤ人とを隔てる中垣、諸々の戒めや
規定、儀式がもたらす敵意を殺し、廃棄し、一人の新しい人へと
創造された平和をもたらしたのです(エフェソ二14〜15)。


これが真の教会です、霊の一致があり、古き被造性を終わらせた
人の群れです。
 


神と共に歩んだエノクは、古き自我を殺し、堅い殻を破り、
復活へと上昇して行ったのです。


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復活は一瞬の内に失ったすべてのものを取り戻し、回復させます。
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木は発芽から結実まで永い過程を経なければなりませんが、復活に
おいて神殿に置かれた、枯れたアロンの枝は同時に芽を出し、
花が咲き、実を結びました。


発芽、開花、結実が一夜にして起こったのです。これが復活です。


失敗した時間と事態を回復し、神の用意された豊富を受けるために
砕かれた霊を育てましょう。


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