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賢者の道

忙しく複雑化したストレスの多い社会で生活するためには、どうしたら良いのでしょうか?体に食物が必要なように、心にも栄養が必要です。賢者の知恵=「聖書の教え」を配信します。難しく考えることなく、シンプルに生きられたら幸いです。

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賢者の道 第137回

2005/07/16


<賢者の道〜Vol.137 - Summer - 2005-07-16>

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■【今週のテーマ】「初代教会の礼拝と愛餐の心」
■【聖書】 使徒20章7節〜12節
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◆さて長い冬もようやく終わって春が来て、過越しの祭をエルサレムで
祝うために巡礼船が出る季節となった。
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パウロは各地から集まった義捐金をもってエルサレムに出帆することに
した。


ところがこのとき海上でパウロを葬ってしまおうという密計がなされて
いることを知ったパウロは同伴の弟子たちだけを乗船させトロアスに
先に行かせ、裏をかいて彼はルカと一緒に陸路マケドニアをへて帰る事
にしたから、ユダヤ人たちの陰謀は失敗に帰してしまった。


2人は除酵祭ののちのフィリピから船出し、5日でトロアスに着き先着の
一行と合流し、7日間ここに滞在した。


その理由は分かりませんが、出発前日の「週の初めの日」つまり日曜日
にある信徒の3階座敷で、パンを割いて愛餐を共にし多くの燈火の下で
パウロは夜半まで語ったのでした。


ここには初代教会のキリスト者の礼拝がどのようなものかを示す模様が
描かれています。つまり、日曜日にはキリスト者たちが、礼拝のために
集まる習慣を既に持っていたようです。


彼らが「パンを割く」ために集まったのは週の初めの日だけで、この日を
主のために集まる日と考え「主の日」と呼んでいます(黙1.10)。


「パンを割くこと」が二度述べられています。そこで日曜の礼拝を
今日でも「主日礼拝」と言います。パウロは非常に多忙でしたが、
トロアスの聖徒たちと交わり、主日には機会を捕えて夜遅くまで
福音を供給しました。


パウロは主の体のために負担を持っていたのです。


初代教会では愛餐があり、このために全員がささげ物をしたのです。
それは貧しいものにとって素晴らしい食事でした。キリスト者が集まり、
愛の交わりの中で分け合って食べる食事が愛餐でした。


この愛餐の中で主の晩餐の聖礼典が守られたのです。ですから教会は、
愛餐共同体と言うことができるのです。愛餐は、教会の家族的な性格、
家族としての心を示しているのです。神の家族はこの暖かい友情と
一致の中で建造されていくのです。


ここには「一つのパンを分けて生きた」協同意識があります。


当時の集会は、今の教会のように一時間や二時間で済むというのでなく、
朝から夜まで続いたようです。通り一遍の礼拝ではなかったようです。


しかし、それはただ時間が長かったということではないのです。
時の経つのも忘れる、吸い寄せられて交わっていたということなのです。
それが明日への原動力となったのです。


ところがエウティコという若者がいて、窓によりかかって坐っていま
したが、睡魔に襲われ、やがて熟睡し、三階から下の中庭に落ちて
しまったのです。


人々は驚いて、駆け下りて抱き起こしてみると、既に絶命していたの
です。しかし。そこへおりてきたパウロは若者の上へ伏して、抱き
かかえて言いました。


「騒ぐことはない。命はまだある」そして、また三階へのぼって、
パンを割き、食してのち、なおも久しく語り合いがなされました。


その後エウティコは人々に連れられて元気な姿を現わしたので、
一同は驚喜したのでした。

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◆この箇所で学ぶことは、パウロの態度です。第一に、パウロは若者に
近づき、抱き上げ、介抱しています。ただ傍観してはいません。
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わずらわしいことであっても逃げず、他人から見れば貧乏くじを引く
ようなことであっても背負う、それがキリスト者です、その重荷を
背負うとやがて周囲に、平安や喜びや慰めがおとずれるのです。


第二に、パウロはまだ命があるのが分かると、引き続いて福音の集まり
を続けた。起こってしまったことにいつまで心を残さず、すばやい決断
をしています。


ことを処理するにあったて、なにが一番大事かを識別する目をもつこと
です。


第三に、転落事故にあった若者が生き返って「慰められた」ことです。
助かったのだから誰だって慰められるに決まってるではないか、と考え
てはならないのです。


実際、この若者は軽率です。なんという迷惑なことか、と文句が起こるの
が一般です。本当に「よかった、よかった」と言って喜ぶでしょうか。

トラブル・メーカーの若者からこうむる迷惑よりも、この疲れから居眠り
して、失敗を犯した弱い若者へのいたわりと思いやりこそ、「慰め」の
正体であったのです。


ここに、教会全体の愛を見ないわけにはいかないのです。駄目な人間は
どこにもいます。きちんと物事ができない人をみると苛立ちます。しかし
そのような人を包み込むのが教会なのです。


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