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シニアネット 『おいおい』

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シニアネット 『おいおい』 第958号 (2010.8.16)

2010/08/16

━━senior citizen net━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2010/08/16━

    シニアネット 『おいおい』           第958号
 
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━━━━━CONTENTS(もくじ)━━━━━━━━ 
巻 頭 俳 句 作者は新潟県糸魚川生まれ。(1923―)。加藤楸邨に師事。風土を大切にする。
歳  時  記 「盂蘭盆会」は盆とかお盆。都市では陽暦で行うが、地方によりまちまち。
社 説 要 約 第65回目の終戦記念日
投     稿 「農業問題」
身 辺 雑 記  日本の進むべき道
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 正座してわれの八月十五日      斎藤美規

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 8月15日は、終戦記念日。俳句では「敗戦忌」がある。「八月十五日」は、1945年日本がポツダム宣言を受諾した日。無条件降伏して、太平洋戦争は終結した。310万人の犠牲者を出した。反省して平和への希求を確認する日。追悼の心を大切にしたい。大半の遺骨は未だに帰国してない。
 「正座して」は、鎮魂の姿勢を表す。戦時下、青春期を過ごした人が「正座して」きょう1日を過ごすという。65年前の思いを言葉で表現するのは難しい。

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┏━━ 歳  時  記 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 「盂蘭盆会」は祖先の魂祀りする。7月13日から16日。陽暦と陰暦がある。地域や宗派により違う。歳時記では、お盆3日を中心に行う行事を「盂蘭盆会」としている。13日の夕に迎え火を焚いて祖先様をお迎えする。16日の朝に魂祀に供えたお供えを川や海に流す。送り火を焚いて送る。盆踊りや墓参りはどれも独立した季語になっている。

┏━━ 社 説 要 約 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎第65回目の終戦記念日◎
今年も8月15日を迎えた。戦没者を追悼し平和への誓いを新たにする日である。太平洋戦争が終わってから65年。戦争や地域紛争は絶えることがなく、平和への道筋はなかなか見えてこない。

15日;朝日社説(全)65回目の終戦記念日―「昭和システム」との決別
http://www.asahi.com/paper/editorial20100815.html
『■もうひとつの戦後■ 戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞感に苛まれているように映る。日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。55年体制からの脱皮は数多くの混乱を生んだ。民主党政権は、政治主導という看板を掲げて舞台に立った。事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。 この分厚い壁とは何か、いつ作り上げられたのか。 
 米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は近著「昭和 戦争と平和の日本」で、官僚制は「戦争によって強化され、その後の7年近くにおよぶ占領によってさらに強化された」と指摘する。同様に、日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、戦時中にその根を持つ。 日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。
 政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。 外交・安全保障も同様だ。普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島とし、核の傘の下からヒロシマ、ナガサキの被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。 割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。 
■任せきりの帰結■ 日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。「民主主義は私たちが守らなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。1960年当時、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするにはどうしたらいいか、問うた。歴史の主人公になろうとした一瞬があった。だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。映画を監督リンダ・ホーグランド氏は言う。「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」。冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。「仕切り型資本主義」は、任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。 
■生きてるあなた■ 家族や地域といった共同体の崩壊や少子高齢化によって、日本社会は昭和とはまったく相貌を変えている。グローバル化が深化し、欧州連合の拡張で国民国家の枠組みすら自明のものではなくなる一方で、アジアでは、中国の台頭が勢力図を書き換えつつある。昭和の物差しはもう通用しない。 「ANPO」の挿入曲「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)は、こう歌う。 
 死んだかれらの残したものは / 生きてるわたし生きてるあなた/他には誰も残っていない/
  過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に「生きてるわたし生きてるあなた」しかいない。(1430字)。 

15日;読売社説(全) 終戦の日 平和な未来を築く思い新たに
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100814-OYT1T00829.htm
『1945年の終戦の夏を顧みることは、国際協調の道を歩むことを誓った戦後日本の原点を問い直してみることでもあろう。終戦と言えば、8月15日を区切りに平和な日々が始まったというイメージが定着している。 しかし、8月9日に日ソ中立条約を破って満州(現中国東北部)に侵攻を始めたソ連軍は、15日以降も進撃を続けた。18日には千島列島最北の占守島にソ連軍が上陸、日本軍守備隊との間で激しい戦闘が行われた。 国際法上は、日本が降伏文書に調印した9月2日に降伏は成立した。しかし、日本政府が8月14日にポツダム宣言の受諾を表明したのを受けて、アメリカ軍などはすみやかに攻撃を停止している。ソ連軍は侵攻を続け、日本固有の領土である国後島など北方4島を占拠した。日本軍将兵ら約60万人が捕虜としてシベリアなどの収容所に送られ、過酷な強制労働を強いられた。約6万人が飢えや寒さにより死亡した。シベリア抑留については、旧ソ連崩壊後の93年、ロシアのエリツィン大統領が「非人間的」な行為だったとして謝罪している。しかし、ロシアは先月、日本が降伏文書に調印した9月2日を第2次世界大戦終結の記念日に定めた。事実上の「対日戦勝記念日」で、日本の北方領土返還要求をけん制したものでもあろう。政府は、北方4島の返還を今後とも粘り強く要求していかなければならない。
 終戦の夏のもう一つの悲劇は、広島、長崎への原爆投下だ。日本がポツダム宣言を拒否したために、やむなく原爆を投下したとトルーマン米大統領は主張していた。しかし、7月25日に原爆投下命令が出された後、翌26日にポツダム宣言は発表されている。8月6日、ルース駐日米大使は広島市の平和記念式典に米政府を代表して初めて参列した。米国内からは「無言の謝罪と受け止められかねない」と批判の声が上がっている。核を使用した米国の道義的責任を認めたオバマ政権として、ぎりぎりの決断だったのだろう。米国では、「原爆投下で本土上陸作戦が回避されたことにより、多数の米国人の生命が救われた」とする主張が根強い。しかし、原爆という残虐な兵器の使用によって、20万人を超える広島、長崎の市民の生命が奪われた事実の重みは消えない。一方で、日本も過去の誤りを率直に認め反省しなければ国際社会からの信頼は得られない。日本は世界の情勢を見誤り、国際社会からの孤立を深めていく中で無謀な戦争を始めた。中国はじめ東アジアの人々にも多大の惨害をもたらした。
 読売新聞では戦後60年を機に、昭和戦争の戦争責任の検証を行った。その結果、東条英機元首相ら極東国際軍事裁判(東京裁判)の「A級戦犯」の多くが、昭和戦争の責任者と重なった。今年は民主党政権になって初めての「終戦の日」でもある。菅内閣の閣僚全員が、靖国神社への参拝はしないという。菅首相は、靖国神社に「A級戦犯」が合祀されているため、「首相在任中に参拝するつもりはない」と語っている。民主党は昨年の政策集で、新たな国立追悼施設の設置に取り組む考えを表明していた。誰もが、わだかまりなく戦没者を追悼できる恒久的施設の建立に向けて、本格的な議論を進めていくべきだ。
 今年も東京・九段の日本武道館で、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。歳月は流れたが、戦争の記憶は日本人の胸に深く刻まれ、語り継がれている。 「終戦の日」は、過去の歴史を踏まえつつ、国際協調の下、世界平和のため積極的に行動する決意を新たにする日にしたい。そのことが先の大戦で亡くなった人々の遺志を生かすことにもなるはずである。(1457字)。

15日;毎日社説(全) 戦後65年、終戦の日 歴史見すえ平和創ろう
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20100815ddm004070005000c.html
『1945年はどんな夏を迎えていたのだろうか。米軍の上陸に備え「本土決戦」「一億総特攻」が叫ばれたが、人々は食糧不足にあえぎ、空襲におびえていた。そして8月に2発の原爆が投下される。今からは想像もつかない、まさに「日本のいちばん長い夏」だった。
 ◇国際感覚も情報も欠如◇ 終戦時の内閣書記官長、迫水久常氏が「(7月26日の)ポツダム宣言は寝耳に水だった。もっぱらソ連を仲介とする和平工作に目を向けていた」と発言したのが印象的だった。ポツダム宣言受諾を巡って結論が出せないまま何日もすぎた。本土決戦を叫ぶ陸軍のクーデターの動きが政府関係者を脅かしていた。8月10日未明、昭和天皇の「聖断」で降伏が決まり15日の玉音放送に至る。国際感覚の欠如と情報不足は耳を疑うほどだ。焼け野原となった日本は奇跡的な復興をとげた。東西冷戦下、平和憲法と日米安保体制により経済・通商に主力を注げたという偶然もあった。同時に国民皆保険、犯罪率の低さ、長い平均寿命など安心感の強い社会も実現した。だが、最近は社会の劣化を示す事例が相次いで露見している。「消えた年金」問題や医療崩壊などへの国民の懸念が昨年の政権交代の大きな契機となった。高齢者の所在不明問題も、行政や地域の力が落ちていることを示す。
 最近の日本は内向きになりすぎていると言われる。戦時中のように外の動きが見えなくなっては困る。中国に追い上げられているとはいえ、世界2位の経済力の国が自国のことだけに気をとられているわけにはいかないはずだ。まして、かつて不幸な戦争を引き起こした日本である。積極的に平和を創る役割を担うのは当然のことだ。途上国の貧困の除去や教育支援なども含めた広い意味での平和創りで今後一層の寄与をしていくべきだろう。
 日本はアジアを中心に積極的なODAを展開してきた。金額でもかなり長期にわたり世界1位の援助大国を誇っていた。だが、今や米、独、仏、英に抜かれて5位である。今年度予算も11年連続の減額でピーク時(1997年度)の約半分というのは寂しい。PKOの派遣要員も今年初めの段階で中東のゴラン高原など3地域で計39人、世界85位というのは消極的すぎた。2月からのハイチ大地震の復興支援は久々の大型の派遣で国際的にも評価されている。今後も日本の得意分野を中心とした積極策を期待したい。
 ◇核廃絶へ意義深い接点◇ 今夏は平和を創る上で前向きの動きがあった。特筆すべきは核廃絶を巡る動きだ。原爆投下の当事国である米国の駐日大使が初めて広島・平和記念式典に参加した。英仏代表と国連事務総長も初参列だった。広島・長崎の式典は被爆による犠牲者を鎮魂し核廃絶を誓う、平和を願う運動の象徴的な場だ。一方で、米国など核大国は、核抑止戦略を前提に核不拡散や核軍縮を議論している。理想と現実の溝は大きかった。
 だが、オバマ米大統領の「核兵器のない世界」演説(09年4月)から空気が変わった。北朝鮮やイラン、テロリストへの核拡散こそが脅威であり、冷戦型の核抑止の比重は低下したとの認識に立つ。核不拡散、核軍縮を通じて最終的に核廃絶をめざすという構想だ。それぞれ動機は異なるが、核大国と広島・長崎が初めて「核廃絶」という共通の目標を持ち、接点を持ち得た意味は大きい。
 唯一の核使用国である米国のオバマ大統領も、唯一の被爆国である日本の菅首相も、ともに核廃絶に向けて行動する「道義的責任」を表明している。さまざまな日米連携が考えられ、日本政府も積極的に行動を提起すべきだ。オバマ大統領の早期の被爆地訪問を期待したい。二度とあの戦争の悲劇を繰り返してはならない。そのために平和を創る努力をしていく。一人一人が考える終戦記念日にしよう。(1522字)。

15日;産経社説(全) 終戦から65年 「壊れゆく国」正す覚悟を
http://sankei.jp.msn.com/life/education/100815/edc1008150404001-n1.htm
『◆慰霊の日に国難の打開を思う◆ 先の戦争の尊い犠牲者を追悼するとともに日本の国のあり方に改めて思いを致したい。眼前には夥しいモラル破綻と政治の劣化などに象徴される荒涼たる光景が広がる。こんな国のままでよいのか。どこに問題の本質があるのか。「壊れゆく国」を早急に正し、よりよき国として次の世代に引き継ぐ重い責務がある。現在の日本の平和と繁栄の礎になっているのは、あの戦争で倒れた軍人・軍属と民間人合計約310万人だ。だが、死地に赴いた英霊たちの思いを今の日本人は汲み取っているのだろうか。
◆どういう国を作ったか◆ 7月に刊行された「国民の遺書」(産経新聞出版)は、靖国神社の社頭に掲示された遺稿を紹介している。昭和20年5月、九州南方にて23歳で戦死した長原正明海軍大尉は「どうか国民一致して頑張って頂きたいものです。特攻隊員の死を無駄にさせたくないものです」と綴った。「誰を恨むこともない。敗戦という国家の重大事に際しての礎石なのだ」。昭和24年3月、インドネシア・ティモール島で、自己の職責とは無関係に死刑となった笠間高雄陸軍憲兵曹長が妻にあてた32歳の遺書である。国家や国民への思いに頭を垂れたい。「あの世に行ったとき、特攻隊員の先輩たちにこう聞かれると思っています。『おまえはどういう国をつくったのか』と。私はそのとき、きちんと答えることができるようにしたい」。生前、柔和な表情でこう語ってくれたのは、今年5月、82歳で鬼籍に入った阪急電鉄社長や宝塚歌劇団理事長などを歴任した小林公平さんだ。昭和18年12月に海軍兵学校に入り、終戦を最高学年で迎えた。特攻隊を志願した先輩たちは小林さんらに日本を託したのだった。こうした踏ん張りが世界第二の経済大国に結実した。だが、その中ですっぽり抜け落ちたのが、国家のありようだ。米国に寄りかかったことは、日本の復興を促したが、一方で独立自存の精神を希薄にしてしまった。
 忘れられたことはまだある。敗色濃い戦局をひた隠しにし、破滅的な結末を招来した戦争指導部の責任だ。自国による検証を行わず、責任をうやむやにした。今、日本の安全保障環境に警報ベルが鳴り響いている。台頭する中国に対し、米国のパワーの陰りが随所にみられるからだ。しかも米軍普天間飛行場移設問題の迷走が示すように、日米同盟を空洞化させているのは日本自身なのだ。その結果、生じつつある日本周辺での力の空白を埋めるため、力の行使も辞さない勢力が覇を唱えようとしている。
  
◆立ちゆかぬ「米国任せ」◆ これまでのような「米国任せ」による思考停止では、もはや日本は立ち行かない。欠落しているのは国を導く透徹した戦略観だ。これは昭和19年7月にサイパン島を失い、10月のレイテ沖海戦で海軍が事実上消滅して日本の敗北が決定的になったあとも、指導部が終戦工作に動こうとしなかったことと相通ずる。日米戦争を不可避にした南部仏印進駐についても米英などの経済封鎖をほとんど予想しなかったとされる。対米英戦争もドイツがソ連に勝利するなどを前提に組み立てたという。国家戦略のなさ、外交センスの貧弱さ、情報分析能力の欠如−その危うさは今と似ている。戦前・戦中の軍事力偏重は戦後、完全否定となった。絶対的な無防備平和主義は、自己中心主義を育てたといえなくはない。やはり自分たちの問題は自らで解決する基本に立ち戻ることが求められている。自力で守れないときは同盟国とのスクラムを強める。弱さは必ずつけ込まれる。
 思いだしたいのは、昭和天皇が昭和20年8月14日の御前会議で述べられたことだ。「日本の再建は難しいことであり、時間も長くかかることであろうが、それには国民が皆一つの家の者の心持になって努力すれば必ず出来るであろう。自分も国民と共に努力する」。いまの国難を打開するには、国民が総力を挙げて、これに立ち向かい、乗り越えようとする覚悟と気概を持つ以外にない。(1612字)。

15日;日経社説(1)敗戦の教訓をいまに生かしているか
『「戦争をおこすのはたしかに人間です。しかし、それ以上に戦争を許さない努力のできるのも私たち人間ではないでしょうか」。太平洋戦争の激戦の地になった沖縄では、その戦跡にたたずむ平和祈念資料館の壁にこのような一文が書かれている。終戦から65年。平和への決意を新たにしたい。この歴史から学ばなくてはいけない。私たち一人ひとりが敗戦の教訓を胸に刻み、日本の進路に生かしていきたい。戦争への深い反省が欠かせないのは言うまでもないが、それは出発点にすぎないだろう。なぜ無謀な戦争に走ったのかを徹底的に検証し、同じ失敗を繰り返さない努力を尽くすことが必要だ。
 日本が中国に加え米英とも戦争することになった原因のひとつが、いまから70年前に結んだ日独伊三国同盟だった。ドイツ、イタリアと組んで米国に対抗する狙いだったが、米国との対立は決定的になったうえ、その後のドイツの敗退でこの構想はあっさり崩れた。対中、対米政策の失敗も重なった。中国各地に戦線を広げ、それが米英の日本への警戒感を増幅させるという、負の連鎖を招いた。ここからくみ取るべき教訓は何か。国際情勢の甘い分析と、国力をかえりみずに大風呂敷を広げた外交、国内の情緒に依拠した対外政策は、国の進路を誤るという現実だ。いま世界では中国やインドといった新興国が重みを増す一方、超大国の米国は金融危機の後遺症やアフガニスタン戦争などで傷ついている。こうしたなか日本国内では、米国と距離を置き、外交のフリーハンドを広げるべきだという離米論も聞かれる。だが、米国との同盟なしで安定を保つのは難しい。影響力を増す中国とバランスを保つため、周辺諸国も強固な日米同盟を必要としている。情緒と願望に押し流され、現実を踏まえた冷徹な外交を忘れたとき、国の安定と繁栄は危うくなる。この歴史の教訓を改めて肝に銘じたい。(765字)

┏━━ 投稿 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎農業問題◎
東京都の福山秀雄様より、小紙957号の「身辺雑記」に御意見を頂きました。解りやすい文章です。掲載します。
『農業は完全に2極化しています。すなわち今では大部分になってしまった、大型家庭菜園ともいうべき、別に仕事を持っている、サラリーマンを主たる業務とする兼業農家と、それだけで食べて行こうと している専業農家です。
 専業農家として成り立つようにしようとすれば、体力は勿論、技術の習得に10年は掛かると言われています。だから年を取ってから農業をやるなら、技術を持った従業員を持つ経営者かまたは、家庭菜園的な趣味としてやるかのどちらかでしょう。
 民主党が農家の赤字補填の政策を打ち出してから、土地を借りて農業をするのも難しくなりそうです。自分で何かを植えて赤字にする方が、労せずして所得が増えるからです。専業農家も土地は借りているところが多いので、意慾と競争力のある農家の経営が立ち行かなくなるのではと心配する論調もあります。専業農家はこの失われた10年や20年にも実は成長産業でした。これを潰さないようにしないと。』

┏━━身 辺 雑 記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 8月は祈りの月。6日(広島原爆)、9日(長崎原爆)、12日(JAL墜落)、15日(終戦)。そしてお盆。今年は65年目の終戦記念日だった。終戦の日と盆と重なるのは、戦死者の思いが働いたか。戦争で失ったが、復興で「モノ」の豊かさを得た。
 「モノ」を生産して豊かになる。自然なプロセスである。「モノ」重点の社会が出来た。衣食足りて、礼節を知る段階でおろそかになった。1960年代以降の社会の流れが、経済偏重になった。日本の伝統美とか日本古来の文化から目がそれた。今からでも遅くない。「ソフト」を大切にする社会にシフト出来る。ソフトの基盤は、「モノづくり」にあるから。
現在の日本の位置を考えてみよう。「戦争の時代」は明治以降の100年間だった。日本は、貧しいが平和であった。自然災害はあるが、外敵に侵略はされなかった。海に囲まれている島国だかであろうか。グローバル化の時代に生き残る術を見つけよう。新しい長期戦略を模索したい。(400字)。

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