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シニアネット 『おいおい』

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シニアネット 『おいおい』 第955号 (2010.08.06)

2010/08/06

━━senior citizen net━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2010/08/06━

    シニアネット 『おいおい』           第955号
 
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━━━━━CONTENTS(もくじ)━━━━━━━━ 
       巻 頭 俳 句 作者は山梨県生まれ。(1885−1962)。大正俳句の最高峰。
       歳  時  記 原爆忌。ヒロシマ忌(夏)。ナガサキ忌(秋)。
       社 説 要 約  65年目の原爆忌
       身 辺 雑 記  65年目の「8月6日」
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 原爆忌人は孤ならず地に祈る      飯田蛇笏

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 昭和29年作。「人は孤ならず」という思いから、「地に祈る」の祈りが生まれる。放射線の周期は70年と言われた。当時、70年間は草木も生えないと言われた。その大土地は、65年間植物を育てた。放射線を消すが如くに。
死者に対する「祈り」は、子息2人を戦争で失った悲しみから生まれるのか。戦争の犠牲者にたいする想いがある。逆縁の悲しみの中にあった作者。1941年に次男は日本歯科大学卒業後病死。44年長男戦死。三男戦病死。四男の龍太は右肺浸潤で41年より休学。47年に大学を卒業。五男は内地勤務だったので無事帰還した。戦争の落した翳が見える。
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┏━━ 歳  時  記 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 原爆忌は広島市の8月6日は夏の季語、長崎市の8月9日は秋の季語。8月7日の立秋を挟むから。今年の秋葉広島市長の平和宣言に「広島弁」が入る。「広島弁」には、独特の抑揚があり、他の地の人には分からない方言が多い。「いなげな」、「はしる」、「いたしい」、「ゆっくりしていきんさい」、「てごをする」等々。65年にして初めての広島弁の平和宣言を歓迎したい。
 広島の原爆は、人類に対する初めての核兵器の使用であり、非戦闘員を含めた無差別殺戮であった。私事だが、65年と言う時間のフィルターを通して出て来る「記憶」が「昇華した記憶」になっているのには驚いた。被爆した8歳の少年の眼でみた無残な情景が、現在では意外に美しい。何故だろう。封印を切り落としてみると箱の中の「記憶」は変質していたのである。

┏━━ 社 説 要 約 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎65年目の原爆忌◎
 広島はきょう6日、長崎は9日に65回目の原爆忌を迎える。被爆の惨禍が二度と繰り返されぬよう、平和への誓いを新たにする日だ。広島の平和記念式典には、ルース駐日米大使が、米国代表として初めて参列する。米国と同じく欠席を続けてきた核保有国の英、仏臨時代理大使も初めて顔をそろえる。国連事務総長の参列も今回が初めてとなる。潘基文事務総長が式典であいさつに立ち、核兵器なき世界の実現を訴える。

6日;朝日社説(全) 原爆投下65年―連帯し核廃絶のゴールへ
http://www.asahi.com/paper/editorial20100806.html?ref=any
『■オバマ氏の広島訪問を■ 昨年4月、オバマ米大統領がプラハで「核兵器のない世界」に向けて行動すると表明した。広島平和記念資料館長の高橋昭博さんは昨年1月、就任まもない大統領への手紙につづった。「ぜひ広島にお越しください。新たな時代の始まりとなります」。プラハ演説のあと、オバマ氏は主要国首脳会議(G8)の核声明、米核戦略の見直し、米ロ核軍縮条約の署名、初の核保安サミットの開催と、次々に手を打った。動きを知るたびに高橋さんは手紙を書いた。すでに計4通。 「被爆者が願っているのは、核兵器絶対否定であり、核兵器廃絶です」 。オバマ氏の広島訪問を望むのは、「核兵器を使用したあとに何が起きたのか。自分の目で見てほしい。そうすれば、核廃絶に向けてさらに一歩進む」と信じるからだ。多くの命が一瞬に消えた地にオバマ氏が立てば、「核なき世界」に向けてこの上なく強いメッセージとなる。 
■理想と現実の接点 ■ もっとも、オバマ氏が核兵器のない世界を唱えるのは被爆者と同じ動機からではないだろう。「核がテロリストに渡れば核抑止論が働かない。核を廃絶した方が安全だ」というわけだ。「核兵器は絶対悪」という被爆者の人道上からの叫びとは、大きく隔たっている。 「それでもゴールが同じなら連帯していい」。被爆者で元長崎大学長の土山秀夫さんは、そう断言する。 そのために「感性と論理の訴えが必要だ」と説く。被爆者の証言は核廃絶の必要性を人々の感性に呼び覚ます。冷厳な国際政治の場で核廃絶の必要性を論理的に説得できなければならない。 核廃絶という被爆国の理想論と、核抑止という保有国の現実論が交わることはこれまでなかった。核戦略という極めて政治的な問題に、被爆者をはじめとした市民社会の意思が反映されることはなかった。限りない平行線とも見えた理想論と現実論に小さいながらも接点が生まれつつある。 ルース大使の式典出席はそれを象徴する。 
■核兵器禁止条約の準備 ■ これをひと夏の交錯で終わらせてはならない。 そのためには核兵器廃絶のプロセスを練り上げ、現実の政策へとつなぐ。そして、ねばり強い外交交渉で核保有国への包囲網をつくっていくことだ。 たとえば、5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議の最終文書は「核兵器禁止条約」構想に初めて言及した。 カナダの元軍縮大使で、国際NGO「中堅国家構想」名誉議長のダグラス・ロウチさんはこの言及を「国際的な議論の俎上)に上がった」と評価し、「国際交渉の準備を」と呼びかける。 モデルとなる条約案は1997年、核戦争防止国際医師会議などのNGOが発表している。米など核保有国は消極的な態度をとってきた。ところが、核をめぐる状況が劇的に変わったいま、核廃絶の実現に欠かせないこの条約への関心が高まっている。交渉の準備に必要な条件を整えていきたい。 核被害の実態を原点に、政府だけでなく専門家や自治体、NGO、さらには市民によるネットワークを築く。同じ志を持つ国と連帯する。  唯一の被爆国である日本は、その先頭に立たなければならない。(1252字)。

6日;読売社説(1) 原爆忌 核軍縮の潮流を確かなものに
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20100805-OYT1T01121.htm
『ルース大使の式典参加は、オバマ政権の核軍縮に向けた強い意思表示と見ることも出来る。日米両国は同盟の絆で結ばれているが、広島、長崎への原爆投下をめぐる両国の認識には依然として隔たりがある。ルース大使が参列する理由について、「第2次大戦のすべての犠牲者に敬意を示すため」と米政府は説明している。原爆投下への謝罪が表明されるわけではない。しかし、大使の参列は、原爆投下をめぐる日米の溝を埋めていく上で意義深い一歩と言える。将来、オバマ大統領自身の被爆地訪問も期待されよう。
 今年4月には米露両国が新戦略兵器削減条約(新START)に署名するなど、核軍縮への潮流は確かなものとなりつつある。しかし、一方で北朝鮮は核開発を続けている。北朝鮮の核の脅威や中国の軍事大国化という現実を見れば、日本にとって米国の「核の傘」は不可欠だ。広島市の秋葉忠利市長が式典で行う平和宣言は、「核の傘」からの離脱や非核三原則の法制化を日本政府に求めるという。米国の核抑止力を機能させるためには、非核三原則の「持ち込ませず」についても、核搭載艦船の寄港・通過などは認めることを検討すべきだろう。広島、長崎に原爆を投下されても、「核の傘」に頼らざるを得ない。そうした深いジレンマの下で、核軍縮、核不拡散をどう世界に訴えていくか。日本に課せられた大きな課題である。(637字)。

6日;日経社説(1)広島・長崎の発信力生かし核軍縮加速を
『米政府は駐日大使の参加を「第2次世界大戦のすべての犠牲者に敬意を表する」ためと説明する。被爆者への謝罪を期待する地元との認識のずれは大きい。核廃絶に熱意を傾ける米オバマ政権が代表の出席を決断した意義は認めるべきだろう。核軍縮への世界的な関心を盛り上げたことが、英仏の代表や国連事務総長らの式典参加を促したともいえる。広島や長崎の発信力を生かす好機である。オバマ大統領には、任期中の被爆地訪問をぜひ、実現してもらいたい。
 核軍縮をいかに主導していくか。日本の役割も問われる。核大国の米ロは4月、戦略核兵器を大幅に削減する新核軍縮条約を締結した。5月に開いた核拡散防止条約(NPT)の再検討会議では、核軍縮の推進などを盛り込んだ最終文書を10年ぶりに採択した。国際社会が結束し、核軍縮に取り組んでいこうという環境は整いつつある。大切なのは、具体的な成果を一つずつ重ねていくことだ。世界にはなお、2万個を超える核弾頭が存在する。米ロだけでなく、中国を含めた核保有国の核軍縮が欠かせない。米中が批准していない包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効も促すべきである。
 核拡散を食い止めるため、NPT体制の強化も課題となる。インドやパキスタンなど事実上の核保有国にNPT加盟を粘り強く説得していく外交努力も必要だ。北朝鮮やイランの核開発の阻止は論をまたない。日本が米国の「核の傘」に守られている現実からみても、核の抑止力を直ちに排するのは難しい。核廃絶の希求と重い現実。核軍縮を促し、この溝を一歩ずつ埋めていくことこそ、日本に課せられた義務である。(668字)。

6日;毎日社説(1)被爆65年 核廃絶の道筋描こう
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20100806k0000m070118000c.html
『今年4月には、米露が新たな核軍縮条約に調印した。広島、長崎両市が核廃絶を目指して呼びかけた平和市長会議には、144の国・地域にある4000を超える自治体が加盟している。一方で今年5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議では核保有国の利害が対立し、核兵器廃絶の期限など具体的な道筋は描けなかった。アジアでは北朝鮮が核開発を続け、中国も急速な勢いで軍拡を続けるなど、核をめぐる情勢は不透明さを増している。国際社会で高まりつつある核軍縮の動きに北朝鮮や中国などを巻き込み、大きな流れにしていかなければならない。
 そのために、日本は何をなすべきなのか。今年の広島の平和宣言は政府に対し、非核三原則の法制化や「核の傘」からの離脱を訴える。長崎の平和宣言も政府に核兵器廃絶へのリーダーシップを求める。「核兵器廃絶の先頭に立つ」と公約する民主党は、国際社会へのアピールを強めていくべきだ。
 日豪両政府がイニシアチブをとって設立した核不拡散・核軍縮に関する国際委員会は「世界核不拡散・核軍縮センター」の新設を提唱している。被爆体験を持つ日本こそが、その拠点を誘致し、核兵器の非人道性を世界に訴えるなど、核軍縮を積極的に後押ししてもらいたい。秋にはオバマ大統領が来日する。広島、長崎への訪問が実現するよう、政府は強く働きかけてほしい。被爆者の平均年齢は、76歳を超えた。「核なき世界」に向け、着実な歩みを進める上で被爆体験の継承は不可欠だ。若い世代に語り、伝えていく教育にも力を入れよう。核軍縮の機運が高まる今こそ、唯一の被爆国である日本は核廃絶への道を主導したい。(668字)。

4日;産経論説(1)広島平和宣言 核の傘離脱は無謀な提言
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100804/lcl1008040812001-n1.htm
『北朝鮮は弾道ミサイル発射や核実験を繰り返している。中国は日本に照準を合わせた中距離の核ミサイルを配備する一方、先月も東シナ海で対艦ミサイル攻撃などの実弾訓練を行った。これらの事実は、日本や韓国が依然、米国の核の傘を必要としていることを物語っている。民主党政権も最近、在日米軍の抑止力を認める方向へと政策転換しつつある。宣言に盛り込まれる「非核三原則の法制化」も、非現実的な提案だ。核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とする三原則は日本の国是とされてきたが、核搭載艦船の一時寄港・領海通過を事前協議の対象外とする暗黙の合意の存在が、3月の外務省の有識者委員会の報告で明らかにされた。これは、冷戦下で米の核抑止力を有効に機能させるための「政治の知恵」だった。当時より核の脅威が増している今、むしろ、非核三原則を見直し、米の核持ち込みを寄港や領海通過などに限って公然と認める方法を探るべきだ。
平和宣言は、核廃絶への原動力として、オバマ米大統領らの功績をたたえているという。オバマ大統領は昨年、ノーベル平和賞を受賞した。だが、オバマ大統領は授賞式の演説で「平和は義務を必要とし、犠牲も伴う」と指摘し、平和を維持するための武力の必要性を強調した。オバマ氏はプラハの演説でも、「核兵器がある限り、いかなる敵であろうとこれを抑止する」とも言っている。秋葉市長がオバマ発言を正しく理解しているのか、疑問だ。6日の平和記念式典には、ルース駐日米大使をはじめ、英国やフランスなど核保有国の代表も出席する。
世界中に誤ったメッセージを発しないためにも、秋葉市長に再考を求めたい。(680字)。

┏━━身 辺 雑 記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今年は、昭和20年から65年目だ。記念すべき年である。戦争は絶対してはいけない。人類の悲願である。「戦争が好き」という子供が増えているそうだ。「戦争を知る世代」が、少なくなっているためか。私も「ヒロシマの原爆」を封印して来た。あまりにも無残である。小さな村の国民小学校に陸軍病院であった。被災者が押しかけた。手当らしい応急処置もされずに、黒焦げの死体が山と積まれ、数日間村は火葬場になった。焼かれた骨はスコップで掬われ、カマスに入れられた。お寺に並べられていた。遺族が見えると、適当に骨が掬われて渡された。
 8月6日の夜は、村の民家が病院になり、全村をあげて被災者を収容した。我が家にも元気な数人が割り当てられた。夕食を運んだ記憶がある。診療所代わりになった我が家の座敷は、傷口に蛆ののぞく被災者が集まった。国民学校は死体の山となったと言う。子供には見せないとの配慮から、学校には行けなかった。無残だと思っていた情景が夢を見る如くに美化された。忌避してきた被爆の実態が変質した記憶になっている。65年と言う歳月がそうしたのかも知れない。美化したり風化されることは避けたい。しかし、正しい記録を残して置きたい。(500字)。

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