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シニアネット 『おいおい』

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シニアネット 『おいおい』  第869号 (2008.08.15)

2009/08/15

━━senior citizen net━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2009/08/15━

    シニアネット 『おいおい』           第869号
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━行動に役立つ情報紙━━━━━━

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 川底の石の青さよ終戦日          浅井慎平

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「終戦日」には、小2で立ち会あった。ただ流れる川の水を見ている。「川底の石の青さ」が、64年前と不変である。その川の水が、永久に不変であって貰いたいとの願いがある。戦後生まれが、人口の3/4になった。戦没者310万人(軍人、軍属210万人・民間人80万人)の犠牲を出した悲劇を伝承しなければならない。15日は、追悼して平和を祈念する日である。それぞれの立場で、戦没者に対して、慰霊をしよう。
写真家だが、俳人で句集「ノスタルジア」(平成20年)がある。愛知県瀬戸市生まれ。(1937− )。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E4%BA%95%E6%84%BC%E5%B9%B3

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┏━━(社説)終戦の日━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 5紙が一斉に「社説1本」にした。(日経のみ2本立て)。各新聞社の特徴が出た。3/4が戦後生まれの人口構成。「戦争と平和」が、時代とともに変化して来て居る。21世紀に、生きる生き方を伝承したい。単なる、事実の伝承ではなく、新しい時代の「伝承」の方法を研究したい。ITを使って。日本武道館では、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。天皇、皇后両陛下と共に、例年、三権の長である衆参両院議長、首相、最高裁長官が列席する。日本国として最も厳粛な儀式である。

15日;読売社説(全)終戦の日 追悼めぐる論議を深めよ
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20090814-OYT1T01063.htm
『今年は第2次大戦勃発から70周年の年でもある。1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻で始まった。直前の8月23日には独ソ不可侵条約が締結された。ソ連もポーランドに侵攻し、バルト3国を併合した。このドイツとソ連に接近して外交上の失敗を繰り返したのが、当時の日本だった。日本陸軍は当初、ドイツと同盟を結び、ソ連をけん制しようと考えていた。その独ソによる不可侵条約の締結に驚いた平沼騏一郎内閣は「欧州の天地は複雑怪奇」との声明を出して総辞職した。その後、近衛文麿内閣は日独伊三国同盟と日ソ中立条約を締結した。松岡洋右外相は日独伊にソ連を加えた4か国の連携で、英米との力の均衡をはかり、日米関係を打開しようと考えていた。だが、独ソ戦が始まり構想は破綻した。続く東条英機内閣は、米国との無謀な戦争に踏み切る。
戦争末期、鈴木貫太郎内閣はソ連に終戦の仲介を依頼したが、ソ連は日ソ中立条約を破って旧満州(現中国東北部)に侵攻した。57万5000人の将兵がシベリアなどに抑留され、5万5000人が死亡したと推定されている。こうした経緯からも、当時の日本の指導者たちは世界の情勢を見誤っていたのは明らかだろう。
 戦後は首相を務めた2人のかつての苦い経験から、麻生首相と鳩山代表は、どのような歴史の教訓をくみとるだろうか。麻生首相は就任後初めて「終戦の日」を迎えるが、靖国神社には参拝しないという。「国家のために尊い命をささげた人たち」を政争の具などにするのは間違っていると、理由を語った。靖国神社には、東条元首相や松岡元外相ら、14人の「A級戦犯」が合祀されている。自民党内には、靖国神社に合祀された「A級戦犯」の分祀や国立追悼施設の建設の主張もあるが、党の方針は示されていない。民主党の鳩山代表は、仮に首相になっても参拝せず、閣僚にも自粛を求めるとともに、国立追悼施設の設置に向けて取り組みを進める方針を示している。
 昭和天皇は、戦死者の魂を鎮めるという靖国神社の性格が「A級戦犯」の合祀で変わってしまうのではないかと懸念されていた。靖国神社は、いったん合祀した「A級戦犯」の分祀は、神道の教学上できないとしている。だが、神社側が分祀に応じない限り、選挙の結果がどうであれ、国立追悼施設建立に向けての議論は、勢いを増していくだろう。国のために尊い命を犠牲にした人々の追悼のあり方について、改めて国民的な議論を深め、結論を導き出す時期に来ているのではないだろうか。

15日;朝日社説(全)あの戦争の記憶―世代を超え、橋を架ける
http://www.asahi.com/paper/editorial20090815.html?ref=any
『あの戦争の記憶をどう受け継いでゆくか。年々難しくなる課題に私たちは直面している。 
 ■当事者に向き合う ■  さいたま市の英会話学校で働く神(じん)直子さん(31)は、学生時代にスタディーツアーでフィリピンを訪ねた。現地の集会で、一人のおばあさんに「日本人なんか見たくない」と言われたことが胸に突き刺さった。日本兵に夫を殺されたという。 その3年後に知人から偶然、戦地での行いを悔いながら亡くなった元日本兵がいる、と聞かされた。フィリピンで従軍した人の今の思いをビデオメッセージにして、現地の人に届けてはどうか。そう思いついた。旧日本軍の部隊名簿などを手がかりに数百通の手紙を出してみた。ぽつりぽつりと返事が来た。神さんはカメラを手に、全国を訪ね始める。 「お国のために何でもやる。そんな教育に従って生きてしまった気がする」と、振り返った元兵長がいた。「強盗、強姦、殺人、放火。軍命とはいえ、罪の気持ちはある。でも謝るすべを知りません」。工兵隊にいた人は声を絞りだした。 
 話の最後に「無我夢中でゲリラを突き刺した」と、打ち明けた人もいた。フィリピンは太平洋戦争の激戦地だ。日米両軍の死闘のなかで、日本の軍人・軍属60万人中50万人が死亡した。フィリピン人も100万人以上が犠牲となった。 証言の映像を持参したフィリピンでは、元兵士が葛藤を持ち続けていることに驚いた人が多かった。みなではないけれど、許すと言う人もいた。 
 神さんにとって戦争の歴史は、モヤモヤとよどんでいる、という。教科書の記述や靖国参拝を中国や韓国から批判されると、国内から反発が起きる。海外に行くと、唐突に過去を突きつけられる。でも学校ではろくに近現代史を学んでいない。広島の被爆体験を描いた「はだしのゲン」は読んだことはあるが、海外に出兵した日本人のイメージは具体的に浮かばない。 あの時代に近づき、戦争に携わった当事者に向き合わなければ、モヤモヤを埋めて先へと進めない。神さんは「ブリッジ・フォー・ピース」という団体を立ち上げた。若者たちが手分けして70人近い元兵士の話を聞いた。フィリピンの市民団体などの協力で、毎年のように上映会を開く。 
 ■語り始めた元兵士 ■  東京都中野区の安田誠さん(86)は航空通信兵だった。フィリピンから復員後、薬の輸入商社で働き、子会社の社長まで務めて引退した。 
 2等兵の経験談など、だれも耳を傾けまいと思ってきた。だが、気がつけば、外国に対し勇ましいことを言う空気が世にあふれている。戦地の悲惨さを、若い者は知らんのだろうか。 
 孫に2年前、戦争を語る集会に連れて行かれたのが契機になった。請われるまま公民館などで話す。散歩中に同年配者を見かけては、仲間に誘う。元兵士たちの体験を、共有できる形にして残そうという試みもある。 東京都北区の民家に先月、小さな史料館が開館した。20〜30代のボランティアらでつくる「戦場体験放映保存の会」が、4年前から聞き取りを進めてきた。証言映像のDVDと手記類を合わせ、まず2200人分を公開する。 
 「国民的な記憶だったはずの従軍体験を、できるだけ残すことが、戦争を知らない孫たちの世代の使命。あと5年、いや3年が勝負です」と、同会事務局長の中田順子さん(35)は言う。 
 元兵士が仲間に呼びかける形で、証言の輪は広がっている。合言葉は「戦友(とも)よ、語ってから死のう」。安田さんもその一人に加わった。 
 ■体験者なき戦後へ ■ NHKが進めるプロジェクト「戦争証言アーカイブス」では、従軍経験を語る映像がウェブ上で閲覧できる。10月までの試行で約100人分。銃後の経験を含めた証言をもっと増やし、11年には本格サイトを完成させる。番組制作で集めたインタビューを未放送分も含めて収録し、戦場名や年表からの検索も可能にした。日本人の戦争体験全体を、体系的・総合的に整理するねらいだという。 社会の中で薄れてゆく記憶を、つくりなおす。世代を超えて橋を架ける作業がいくつも進められている。 
 ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。無名の元兵士たちが若者に語り残すのは、そうした戦争のリアリティーだ。その集積を、日本が二度と過ちを繰り返さないための共有財産にしてゆこう。 戦場の現実を踏まえない議論を、政治の場で横行させてはならない。 遠くない将来、あの戦争の体験者はいなくなる。それからも、私たちは「戦後」の時間を刻み続けていく。

15日;毎日社説(全)「打たれ強い日本」に 低エネルギー化急げ
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20090815ddm005070139000c.html
「終戦記念日の主張として、日本を低エネルギー消費の国にしようというのは、やや奇異に映るかもしれない。しかし、日本の平和と安全にとってぜひ必要なことだ。気候変動の脅威とエネルギー需給の不確実性、さらには食料問題。こうしたグローバルな脅威を完全に遮断することはできないが、少なくとも低エネルギー社会化で「打たれ強い国」にすることはできる。それはまた、グローバルな危機に脅かされている途上国に対する、何よりの支援ともなるだろう。
 ◆グリーン化進む英軍◆ 実のところ、エネルギー消費が効率的で少ない「グリーンな軍隊」ほど「強い」のだ。英国防省が昨年12月公表した「気候変動戦略」は、その思想を強く打ち出している。気候変動の脅威に即応するには兵器の省エネが不可欠という主張だ。石油がぶ飲みの軍隊は継戦能力に欠ける。米軍は「ハイブリッド戦車」さえ研究している。満州(中国東北部)の撫順炭鉱の油頁岩(オイルシェール)から石油を抽出しようとしたり、日本中の松の根を掘り返し航空機用燃料を取り出そうと試みたのである。1944年12月21日付毎日新聞埼玉版によれば、松根油の採取のため同県内だけで「学徒を延べ6万9000人動員」したという。
 戦後、米政府は戦略爆撃調査団を送り込み、爆撃の効果など広範な調査を行った。その報告書はこうした日本側の努力について、日本は貴重な労働力と設備をムダに使い、かえって戦争遂行を妨げる結果に終わった、と酷評している。
 世界の人口は現状の65億人から90億人に向かいつつあり、食料危機を想定する国が増えている。昨年、農産物の輸出禁止をする国が相次いだが、現在もインドなど多くの国が輸出を禁止している。今春、マダガスカルでクーデターが発生したのは、ひとつには外国企業が農地を囲い込んだことへの反発だった。途上国の農地を買い占め、自分だけ食料を確保しようとする国が後を絶たない。石油、水、食料をめぐる一触即発の危機が世界各地でふくらんでいる。日本をふくめ各国がいま、グリーン・ニューディール政策を競い、化石燃料への依存を減らし温室効果ガスの排出を抑え込もうとしている。つまりは、技術進歩によって環境と成長の両立を図ろうとする試みである。私たちは日本が率先して取り組むよう求めた。
 ◆化石燃料なしの社会◆ ただ、温暖化の緊急性や資源の有限性を強く意識するなら、ここからさらに一歩踏み出す必要がある。早晩、私たちは環境と資源の制約によって、暮らし方を大きく変えねばならなくなる。それが何年後かは議論が分かれるが、英国防省が示唆するように、エネルギーの使用量が少なければ少ないほど、危機への抵抗力は強まる。東京財団が「化石燃料を使わない社会」をシミュレーションした。原子力、水力などは現状維持で、自然エネルギーを最大限利用したとして、1960年代の1次エネルギーの消費量になるという。ひどく貧しい時代だった気がする一方で、いま失われたある種の豊かさがあったような気もする。実のところ、世界のモデルになるような「豊かな低エネルギー社会」をどうすれば実現できるか、道筋は見えていない。低エネルギー化は常識では貧しい暮らしを意味する。それではだれも賛成しないだろう。エネルギー消費が少なくても、そこに何らかの豊かさが生まれていなければ意味がない。
 ひとつはっきりしているのは、これが「地方の自立」に深くかかわる問題だということだ。なぜなら、低エネルギー社会は食料のみならずエネルギーも地産地消でなければ成立しないからだ。地方が「浪費と無縁の豊かさ」を競い合う分散型社会に日本は変わっていくだろう。あと半月で衆院選の投票日だ。鎮魂の月、8月の衆院選は初めてである。すでに事実上の選挙戦が始まっており、各党が政策論争を戦わせている。間遠に思えるかもしれないが、日本の安全保障の基礎を準備する問題として、低エネルギー社会をめざす是非や方策を論じてほしい。

15日;産経社説(全)国家の心棒、立て直す時 鎮魂の日に思う難局の打開
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090815/acd0908150252001-n1.htm
『あの戦争を知る人の多くは鬼籍に入った。いや応なく忘却が進む。だが、総力戦に敗れ、国の行く末を国民が深く憂え、同時に日本再建へ心を一つに立ち向かったことに思いを馳せたい。日本はいま、多くの難題を抱えている。少子高齢化の進行、不況下での負担と給付、北朝鮮の核や中国の台頭…。これらの問題に正面からどの程度、立ち向かってきただろう。複雑化し、解を見いだすのは容易でないがゆえに放置されてきた。その拱手(きょうしゅ)傍観が危機をさらに深めてはいないか。
 ●同じ「日本丸」にいる●  しかも問題の根本解決には党派を超えた枠組み作りが不可欠なのに、目前の利害と対決感情に身を置いてしまう。混乱と混迷からなかなか抜け出せない。激論、競争は民主主義を活性化させるが、行き過ぎては国益を損ねる。
 気付くべきは、同じ日本丸に乗り、運命を共にしているということだ。国家と国民の一体感を取り戻すことが、この国を救う。
 あの戦争の教訓も道標だ。世界の情勢を見極められず、自らの実力を客観的に把握しなかったことなどが、無残な破局を招いた。70年前の1939年、独ソ不可侵条約締結に対し、平沼内閣は「欧州情勢は複雑怪奇」と声明して総辞職した。国際情勢への無頓着さは昔の話ではない。
 日本の周辺環境は大きく変貌している。21年連続で2けたの伸び率を示した中国の国防費に対し、米国防総省が今年3月、発表した「中国の軍事力」は「アジアの軍事バランスを変化させ、大きな不安定要因」と分析した。「中国は2020年までに複数の空母を建造する」との予測も加えた。そう遠くない将来、空母3隻を擁する一大海軍国が姿を現し、日本近海で空母機動部隊が遊弋(ゆうよく)する。中国海軍高官が米中で太平洋を東西に分割管理しようと提案したことが空想とはいえなくなる。日本の存立は危うさを増す。
 国連安全保障理事会の警告を無視して核実験を続行し、弾道ミサイルを発射する北朝鮮はこれからも、国際規範を踏みにじっていくだろう。北が核爆弾の小型化技術獲得に成功した可能性について、米国防情報局幹部は今年3月、上院委で言及した。いずれ保持する核搭載ミサイルは日本に向けられる。日本はその備えを常時検証し、万全を期さねばならない。冷戦終結から20年、この地域はいまだに冷戦状況が色濃い。日本の平和と安全が直接脅かされているのに、あまり注意が向けられていない。防衛費の7年連続削減は、その証左である。戦後日本は経済中心主義を取ってきた。自衛隊は保持しているものの、国の安全保障を米国に依存してきた。その習いが甘えとなり、今もなお一国平和主義が消えない。厳しさから目をそむけ、安逸をむさぼるゆえんでもある。
●戦後体制をどうする●  しかし、忘れてならないのは、北朝鮮による拉致事件が、国家の最大の使命である国民の生命と安全の確保をないがしろにしてきたことを明確にした点だ。国家の抑止力が機能していれば、工作員はあれほどやすやすと領土・領海を侵犯できなかったはずである。絶対的な無防備平和主義がまかり通ったのは、国家主権の行使を縛る憲法第9条によるといえる。「国のかたち」が不備だったことが悔やまれる。国家の機能を回復することが、戦後日本の大きな宿題であり続けている。
 総選挙の公示は18日だ。政権交代が声高に叫ばれている。自民党をこらしめるため、一度民主党に政権を任せようといった鬱憤晴らしでは問題は片付かない。21世紀を生き抜いていける国家像、いわば戦後体制をどうするかを自民、民主両党は政権の選択肢として提示しなくてはなるまい。変えるものと変えるべきでないものを整理して示す必要がある。戦禍の廃虚から立ち上がった先人たちは豊かな国を見事に築き上げた。だが、肝心の国のかたちは抜け落ちてしまった。 心を一つに力を合わせ国家の心棒を立て直すことが現在と将来の危機を乗り切る原動力となる。日本をよりよい国にすることが、あの空襲で犠牲になった多くの国民、戦陣に斃(たお)れた幾多の英霊への鎮魂につながっていく。310万人超える戦没者を深く追悼し、死者の思いを考える8月15日でありたい。

15日;日経社説(1)悲劇を繰り返さぬ決意を新たにしよう
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20090814AS1K1100113082009.html
『戦争を体験した世代は年を追うごとに減っている。痛恨の歴史を語り継ぐ努力を続けなければ、戦争の記憶は確実に風化していく。 その戦跡の入り口は那覇市街を見下ろす小高い丘の上にある。先の大戦で国内唯一の本格的な地上戦となった沖縄戦で使用された「旧海軍司令部壕」だ。細い地下通路の先に幕僚室や作戦室があり、全長は450メートルあったとされる。3カ月近く続いた沖縄防衛戦の犠牲者は20万人に及び、うち約半数を民間人が占めた。玉砕を覚悟した大田実中将は1945年6月、海軍次官あてに異例の電報を打って自決した。最期の場所となった部屋の近くに電文が掲げられている。「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」。電報は県民の献身的な協力ぶりをたたえて終わっている。しかし惨状を切々と訴える全文から伝わってくるのは、近代兵器で重武装した米軍との徹底抗戦を女性や子供にまで強いた判断への憤りである。
 総合的な戦略や柔軟性を欠く軍の作戦方針がもたらした悲劇は、ガダルカナル、インパールなど数多い。長引く戦争はアジア諸国の傷跡をいっそう深いものにした。終戦の年には3月の東京大空襲、8月の広島、長崎への原爆投下などによって民間の犠牲者が急増する。それでも軍上層部は昭和天皇の「ご聖断」が下るまで「本土決戦、一億玉砕」を叫び続けた。
 無謀な戦争で国中が焼け野が原になった。だが、そこから不屈の精神で経済復興を成し遂げた日本だからこそ、国際社会で果たすことができる役割があるはずだ。世界的な軍縮や地域紛争の抑止といった平和構築のための活動への取り組みはまだまだ不十分である。戦後の政治体制の転換点になりうる衆院選が事実上始まっている。日本を取り巻く国内外の情勢は変化し、外交や安全保障の戦略を根本から議論すべき時期に来ている。 過去の失敗を直視し、悲劇を繰り返さないための教訓を国のかじ取りに生かしていく。多くの戦没者の霊に報いる道はこれしかない。

┏━━身辺雑記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  今年の8月の新聞は、例年とは少し違った。戦争と平和に関する特集記事が減った。64年目の節目にあたり、伝え方が変わってきたのではないか。実体験を伝承することは、戦争を正しく伝えるように見えるが、必ずしも正しく伝わらない。時代背景、時代の実情を理解することから、始まる。どうして,そのようになったかの説明が無ければ、伝承は無理である。システムを理解せずに、機能を学習するに似ている。
 こうした事情から、特集記事が減ったのだろうか。ネタ切れになったのか。システムを理解してもらう、その後から個別問題にかかりたい。情報処理技術が長足の進歩を遂げている。アーカィブス技術やWEB技術により、問題記解決は可能である。

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